第23話 今日も鍛錬&講義 でも、母ってなんであんな父と結婚?
そして幾日か後の早朝。東の空がうっすら白み、まだ朝露が草の先にきらめく頃。
ヴェゼルはすでに屋敷裏の訓練場に立っていた。眠気を引きずる暇などない。父フリードは「剣を握る者に朝寝坊は許されん!」と、夜明けと同時に叩き起こしてきたのだ。
「ヴェゼル!今日もまずは素振りだ!腕が折れても構わん、千回振れ!」
「……お父さん、折れたら振れませんよ」
「ぐぬぬ、言葉尻をとらえるな!戦場に出たら折れても振るしかないんだ!」
フリードは胸を張り、脳筋らしい理屈を誇らしげに吐き出す。
ヴェゼルは、ようやく型がなんとなく分かったくらいだったのに、もう、こんなにハードな鍛錬とは。。「これは理屈というより根性論では……」と思いつつ、素直に木剣を握る。
五歳児の体では到底千回なんて無理だが、そこは父も理解していて「十回を百回分の気合で振れ!」という無茶ぶりに変わるだけだった。
「……はぁ、これが脳筋ってやつか」
ヴェゼルは心の中で呟きつつ、必死に木剣を振り下ろす。
その時、トコトコと小さな足音が近づいてきた。
「ヴェにいー!わたしもやるー!」
アクティだった。まだ寝癖の残る髪を揺らしながら、木の枝を片手に掲げている。
「おお!アクティ!そうだ、女も戦場に立つ時代だ!父さんが鍛えてやろう!」
フリードは大喜びで、娘を大歓迎する。
「まずは気合いだ!腹から声を出せ!えいっ!やぁっ!」
「えいっ!やぁっ!」
「よし!次は腕立て伏せだ!百回!」
「……(こてん)」
開始数秒で、アクティは床にぺたりと突っ伏した。
「おとーさまのばかぁ!!」
「な、なに!?二歳児の体力を甘く見ていたか……!」
フリードは真剣に悔しがり、「ならば走り込みだ!」と提案するも、アクティはぷいっと顔を背けて怒り顔のまま。
「アクティは戦わなくてもいいんだよ」
ヴェゼルが苦笑してなだめると、アクティは膨れっ面で「でも「にいーにいー」といっしょがいいの!」と叫ぶ。、、まだ、アクティが俺を呼ぶ名前が、固定してないのな。。
フリードは腕を組み、しばらく考え込むと、何やら妙案を思いついたらしい。
「よし、アクティ。お前は“戦場の指揮官”だ!ヴェゼルに号令をかけろ!『もっと速く!』とか『そこだ!』とか好きに叫ぶんだ!」
「ほんと!?じゃあ……ヴェにいー!もっとはやくー!はやく!はやくぅ!」
「……アクティ、うるさい!」
「うるさくないもん!おにーのせいでおそいんだもん!」
兄妹の小競り合いが続く中、フリードは満足そうに頷いた。
「いいぞ!これが戦場だ!敵は容赦せん!妹の声を雑音とせず力に変えるのだ!」
「父さん、それは雑音以外の何物でもないんですが……」
結局、アクティは木剣を振るどころか「あにゅえ!がんばれー!」と応援する係になり、最後には飽きて芝生の上で転げ回っていた。
ヴェゼルは汗を拭いながら、「……まあ、父の稽古は理屈抜きで疲れるな」と苦笑した。
フリードは大満足で「よし!午前の鍛錬はここまで!」と豪快に宣言する。
アクティは「もうつかれたー」とぐでんと兄の膝に乗り、戦場どころか夢の世界へ突入してしまった。
昼食を挟んで午後。
今度は母オデッセイが登場し、机に分厚い本を積み上げた。
「さて、今日も魔法とこの世界の基礎をとことん学んでいくわよ」
「……え、さっきまで剣を千回振らされてたんですけど」
「知識も筋肉も鍛えてこそよ」
フリードとオデッセイ、両極端すぎる教育方針にヴェゼルは内心ため息をついたが、不思議と悪い気分ではなかった。
「午前は脳筋、午後は学者か……これはこれで贅沢かもしれないな」
アクティは昼寝から復活し、母の横で「わたしもおべんきょう!」と元気いっぱいに手を挙げていた。
オデッセイは「はいはい、まずは静かに座る練習からね」と優しく笑った。
午前中の剣の鍛錬が終わると、ヴェゼルは汗びっしょりで地面に座り込んだ。小さな体には到底合わない木剣を握り、ひたすら型を反復させられたのだ。まだ八歳に満たない少年にとっては、十分に拷問に近い。
「ふう……。ヴェにいー、おつかれさま!」
アクティが水差しを持って近寄ってくる。二歳児にしては器用にコップに注いで差し出してくれた。
「ありがとう、アクティ。助かったよ。でも、、、、そろそろ僕の呼び名を統一しようか」
「ねーねー……ヴぇ、ヴェゼ……」
舌がもつれてうまく言えない。
「ヴェゼルだよ」
ヴェゼルは笑いながら直してやる。
「ヴぇ……ゼル? んー……ちがう!」
アクティはぶんぶん首をふって、真剣な顔になる。
「アクティがよぶのをきめるの!」
「……えっとね、『にーに!』」
「お、かわいいな」
「にーにー!」
ぱちんと両手を叩いて嬉しそうに繰り返すが、すぐに首をかしげた。
「『あにゅえ!』」
「兄上って言いたいのか?」
「うん! あにゅえ!」
「ふふっ……ちょっとむずかしいかな」
アクティは考え込んで、今度は小さな指をぴんと立てた。
「『ヴぇぜにー!』」
「ヴェゼにー?」
「そう!」
「……なんか変だな」
「えー! かわいいのに!」
ころころ表情を変えて、最後にアクティはもじもじしながら言った。
「……おにーさま」
たどたどしく、それでも一生けんめいに。
「おにー……さま!」
ヴェゼルは目を丸くしたあと、ふっと笑ってしまう。
「それ、いいな。とっても似合ってる」
「ほんと?」
「うん。アクティは僕をそう呼ぶとかわいい」
アクティはぱぁっと顔を輝かせ、何度も繰り返す。
「おにーさま! おにーさま! おにーさま!」
やがてヴェゼルにぎゅっと抱きつきながら、甘えた声で囁いた。
「おにーさま、だいすきー」
ヴェゼルは思わずアクティを抱き上げ、くすぐったそうに笑った。
「はいはい。僕も大好きだよ」
父フリードは仁王立ちになり、鼻息を荒くしていた。
「よし! 今日もなかなか良い動きだったぞヴェゼル! もっと腰を落として、もっと喉から魂を絞り出すように叫べば完璧だ!」
「喉から魂って……。父さん、剣の稽古なのに、叫ぶの関係ある?」
「あるとも! 戦場では声の大きさが命を分けるのだ! 相手を威圧できれば半分は勝ったも同然!」
言いながら、フリードは庭に木剣を突き立てる。
「我が若き日に敵兵を睨み据え、『おおおおおお!』と吠えたらな、十人が一度に逃げ出したものだ!」
「それ、ほんとかなぁ……」
ヴェゼルが半眼でつぶやくと、アクティが無邪気に首を傾げる。
「とーさま、うそつき?」
「なっ!? う、嘘ではないぞ! 本当に逃げたのだ!」
「でもアクティ、こわいのきらいー」
「ぐ……」
小さな娘に真正面から「嫌い」と言われ、フリードの胸はズタズタに切り裂かれた。
昼食の膳が整うまで、家族は居間で寛ぐことにした。だがフリードは椅子に座るなり、拳をテーブルに叩きつける。
「よし、昼の食事は筋肉を作る黄金の時間! 肉を食え、肉を! 飯をかき込め! それこそが強さの源泉よ!」
「父さん……まだご飯出てきてないから」
「待てばいい。だが、待つ間に気合を入れることはできる!」
そう言って、フリードは突然椅子を蹴って立ち上がった。
「よし、食事前に腕立て百回だ! さあ来いヴェゼル!」
「今!? 父さん、今やるの!? 汗もまだ引いてないのに!」
「戦場に休息はない!」
その横でアクティが、スプーンをぎゅっと握りしめて叫んだ。
「アクティ、ごはん! うごかない! おなかぺこぺこ!」
小さな頬を膨らませる娘の声に、フリードは一瞬たじろいだ。だがすぐに鼻息を荒くして言い返す。
「アクティ! おなかが空いた時こそ鍛錬の好機だ! 空腹で動ければ満腹ならばもっと動ける!」
「いやだー! アクティはたべるー!」
ばしん、とスプーンが床に投げつけられた。娘の怒りは天井まで届くかのようだ。
「とーさま、きらい!」
「ぐはっ……!」
フリードは胸を押さえ、剣で斬られたかのように後ろへよろめいた。
その様子を見ていたオデッセイが、口元を手で押さえて笑う。
「あなた、もう少し加減なさいな。二歳の子にまで軍隊式を持ち込んでどうするんです?」
「し、しかしだな……我が娘にも強さを――」
「強さも大事ですが、まずはお腹を満たすことですわ」
にっこり笑う妻の言葉に、フリードはしゅんと肩を落とした。
「……そうか。すまん、アクティ。父が悪かった。今は飯を食おう」
「ほんと?」
「本当だ。おかわりも許す!」
「やったー!」
アクティは機嫌を直して母に抱きついた。だがフリードがその姿を見て手を広げると――
「ほら、アクティ。父の胸にも飛び込んでこい!」
「やだ。おかあさんのがいい」
「ぬわあああああ!」
再び、フリードの精神に致命傷。
食卓に料理が並ぶと、フリードはすぐさま皿を掴み、大声を張り上げた。
「いただきますの前に、戦の心得を一つ!」
「またぁ……」とヴェゼルが顔をしかめる。
「食事は戦いだ! 一口で三口分噛め! 五杯食べてこそ一人前! よし、我に続け!」
父は肉を丸呑みしそうな勢いで口へ放り込んだ。
「もがもがもが!」
見ていたアクティが、またも眉を吊り上げる。
「とーさま、くちゃくちゃ! きらーい!」
「ぐはぁぁぁ!」
父は箸を落とし、再び机に突っ伏した。
「……なぜだ。なぜ我が娘には嫌われてしまうのだ……」
ヴェゼルは心の中でつぶやく。
――理由は簡単だよ、父さん。全部、脳筋すぎるからだ。
こうして、昼食までのひとときは父の暴走と娘の拒絶で大騒ぎになった。フリードは己の筋肉信仰を曲げられず、アクティはそのたびに「きらい!」と叫び、オデッセイは笑いをこらえ、ヴェゼルは頭を抱える。
家族の昼は、いつもこんな賑やかな調子で過ぎていくのだった。




