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第210話 エスパーダ三度目の治療

 三度目の朝。エスパーダは再びカテラの部屋を訪れた。


 白いカーテンの隙間から差し込む朝光が、淡く床を照らす。カテラの容態は前日よりも安定していた。顔色も戻り、呼吸も穏やか。


 だが――エスパーダの目には、どうしても拭えない違和感があった。


 ――回復が、早すぎる。


 彼は思わず、記録したメモを確認した。

 

 けれどそこに映る数値は、常識を逸していた。


 昨夜の治癒量から考えても、ここまでの回復は理論上ありえない。


「……妙ですね。回復の曲線が、法則を超えています。」


 彼は小さく呟き、手をかざした。掌に宿る聖なる光がふわりと広がり、カテラの身体を包み込む。


 淡い光は皮膚を透かし、血管の奥まで染み込むように流れ――だが、その一部が、予期せぬ方向へと逸れた。


 まるで見えない糸に引かれるように、光が“外”へ流れていく。


「……これは?」


 エスパーダは眉をひそめ、光の軌跡を視た。それはまっすぐに、カテラの隣――見舞いに座るヴェゼルの方へ伸びていた。


 ヴェゼルの体の周囲に、微かに揺らぐ黒い靄のようなものが漂い、その中に聖光が吸い込まれていく。彼は思わず息をのんだ。このような現象は、少なくとも“人”の領域では起こり得ない。


 聖魔法は魔力干渉にも敏感だが、これは干渉ではない――


 もっと根源的な、共鳴だ。


「……ヴェゼルさん。」


 静かに呼びかける声に、ヴェゼルが顔を上げた。


「え、あ……僕、何かしましたか?」


「いえ。ただ、少々確認させていただきます。」


 エスパーダは再び聖魔法を展開する。今度は光の流れを意図的に抑え、反応を観察した。だが結果は同じだった。


 ――光の一部が、ヴェゼルの方へ流れ込み、消えていく。


「……やはり、吸われている。」


 エスパーダはそっと手を下ろし、思索に沈む。ヴァリーが不安げに尋ねた。


「どうかしたんですか? また、具合が悪くなったとか……?」


「いいえ。むしろ回復が早すぎるほどです。」


 エスパーダは静かに首を振った。


「ただ、少し奇妙な現象が起きています。私の聖魔法が、施術対象以外の方向へと“流れて”いるのです。」


「流れてるって……僕の方に、ですか?」


 ヴェゼルが戸惑いながら胸に手を当てた。そこには確かに、微かな温もりがあった。心臓の奥で、何かが呼吸しているような――そんな感覚。


「はい。あなたの方へ、わずかですが光が移動しています。普通なら考えられません。聖魔法の光は受け取る側を選ばない。しかし、あえて言うなら……“何か”が呼応している。」


 エスパーダはそう言いながら、目を細めた。


 カテラとヴェゼルの間に、目には見えぬ“透明な力の糸”が張られているように感じた。それは温かく、しかし底知れない深さを秘めたものだった。


「……もしかして、属性の干渉ですか?」


 ヴァリーが尋ねる。


「いいえ。属性の反発ではありません。」


 エスパーダは小さく首を振った。


「もっと穏やかで、そして――古い。人の魔法体系に分類できない“波”を感じます。」


「“波”……?」


「精霊の息吹に似ています。けれど、通常の属性精霊ではない。強いて言うなら……精霊か、あるいは妖精の類でしょう。」その言葉に、ヴェゼルとヴァリーが顔を見合わせる。


 エスパーダは静かに続けた。


「初診のとき、カテラさんの生命力に、その時は気のせいかとも思いましたが、何か異質な気配を感じました。聖癒を施すたび、私の光はわずかに揺らぎます。当時は、衰弱による魔力の乱れと考えましたが……今思えば、あれは“何かが反応していた”のかもしれません。」


「何かって……」


「言葉にするなら――“存在”。姿形を持たないけれど、確かにそこに在る。光を拒まず、むしろ受け入れて、共に響く……そんな何かです。」


 ヴェゼルは黙ってカテラを見つめた。彼女の寝顔は穏やかで、まるで祈るように静かだった。その胸の奥に、確かに“何か”が宿っている気がした。


 そして、自分の心臓の奥にも――同じ鼓動が、微かに響いている。


「……それが、カテラの中に?」


「はい。けれど、“彼女のもの”ではないでしょう。」


 エスパーダは少し言い淀んでから、ヴェゼルの顔を見た。


「想像でしかありませんが――ヴェゼルさん、あなたはこの二人を“買いました”よね?」


 唐突な問いに、ヴェゼルはわずかに身じろぎした。


「……買ったというか、まぁ……そういう形にはなりましたが……」


 その声には、どこか苦みが滲んでいた。“人を買う”という言葉への抵抗。ヴェゼルの中にある、ささやかな罪悪感が覗いた。


 エスパーダは穏やかに頷いた。


「わかっています。あの場を見ていましたから。あのとき――あの兄妹を買わなければ、彼らはもっと酷い目に遭っていたでしょう。ヴェゼルさんの選択は、間違いではないと思います。むしろ、最良でした。」


 そこで一度、彼は光の残滓を指先で弾いた。淡い光が散り、部屋の空気を震わせる。


「ただ、契約の観点から見れば――あの時点で、カムシンとカテラは“主従”の関係を結んだことになってもおかしくはありません。」


 エスパーダは静かに続けた。


「つまり、ヴェゼルさんとカテラのあいだに“何か”が生まれても、不思議ではない。それが人の縁なのか、何かの加護なのかはわかりませんが……」


 彼は光を見つめた。聖の光が淡く揺らめき、まるで呼応するようにカテラの胸の上で微かな輝きを返す。


「おそらく――その瞬間に、カテラの内に“あなたの何か”が共鳴したのでしょう。」


 エスパーダは微笑を浮かべた。


「この共鳴がある限り、カテラさんの体は安定します。私の聖魔法も、むしろそれに導かれて強化されている。――まるで、導かれているように。」


「導かれている?」ヴァリーが首をかしげる。


「はい。誰かに、あるいは何かに。私の聖の光が、どこか“懐かしい方角”を指している気がするのです。」


エスパーダは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。その瞳に映るのは、聖と闇のはざまで揺らぐ淡い影。


 彼はまだ知らない。


 それが後に、“闇の妖精”と呼ばれる存在――サクラへと辿る最初の気づきとなることを。


 部屋に、静かな朝の光が満ちていた。


 カテラの寝息と、ヴェゼルの鼓動、そして聖光の微かな脈動が、ひとつに重なって響いていた。


 それは、まるで失われた調和がほんの少しだけ戻ってきたかのように――静かで、美しい光景だった。


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