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第209話 エスパーダの二度目の治療

ちょっとだけ残酷な表現があります。

 翌朝。まだ朝靄の残る頃、エスパーダは静かに屋敷の門をくぐった。


 その姿は、初めて見たときと変わらない。薄汚れた見た目、手入れの行き届かない髪。


見ようによっては浮浪者のようでありながら、薄汚れた法衣がなんとなく認識できるので、それが彼の身分を物語っていた。聖職者——それだけが、彼をこの世界の「秩序」に繋ぎとめている証だった。


 カテラの容体は、夜のうちにやや落ち着いたものの、まだ熱にうなされていた。寝汗で髪が額に張り付き、小さな胸が上下している。


 ヴェゼルとヴァリー、そしてカムシンは夜明け前から彼女の枕元を離れずにいた。


「昨日は、命をつなぐことを最優先にしました。今日は、もう少し詳しく診てみましょう」


 エスパーダはそう言い、持参した古びた革鞄を開いた。中からは、磨き込まれた銀の道具や薬草の小瓶が並ぶ。部屋の空気が、自然と張り詰めていく。


 ヴェゼルは少し迷った末、「念のため、僕は席を外します」と言って部屋を出た。カムシンも今日からルークス商会で雑用を学ぶ予定があるという。


こうして、カテラの傍らに残ったのはヴァリーひとりだけだった。彼女は小さな手を包み込み、祈るように握りしめる。


 やがて、エスパーダが聖魔法を行使すると、白い光がカテラの身体をやさしく包み込んだ。彼は目を閉じ、静かに探るように彼女の体に手をかざしていく。


 だが、ふとその手が止まった。異様な静寂が落ちる。


 ヴァリーは、ただならぬ気配を感じて問いかけた。


「……どうしたのですか?」


 エスパーダはしばらく沈黙したのち、深く息を吐いた。


「……あまり良いことではありません。女性のあなたには、少し……耳を塞ぎたくなる内容かもしれません。それでも、聞きますか?」


 ヴァリーは何も言えずに目を伏せた。言葉にしなくとも、理解してしまったのだ。


 ——この子の身に、どれほど理不尽なことが起きたのかを。


 まだあどけない少女を、その事実が、胸の奥でぐらりと怒りに変わる。


(こんな小さな子に……なんてことを……)ヴァリーは唇を噛みしめ、涙を堪えた。


 エスパーダはそれ以上何も言わず、淡々と処置を続けた。その手つきは慎重で、驚くほどやさしかった。


 しばらくして、彼は額の汗を拭いながら言った。


「悪い病が入り、下腹部が化膿していました。けれども、手当てを続ければ治ります。幸い、間に合うと思います」


 言いながら、エスパーダはもう一度、聖の光を掌に宿らせた。淡い金色の輝きが少女の体表を流れ、細胞のひとつひとつに沁みこむように広がっていく。


 ——早い。


 その回復の速さに、彼の瞳がわずかに揺れた。


(聖魔法の効果が……通常より強い? いや、私の気のせいか……)

 ほんの一瞬の逡巡が、光の中に溶けていった。


 ヴァリーは思わず深く頭を下げた。


「……ありがとうございます、エスパーダ様」


 彼は小さく首を振り、「礼には及びません」とだけ答える。


 その後もしばらく、彼は魔法と薬草を併用しながら治療を続けた。


 やがて、カテラの顔に少しずつ血色が戻り、荒い息が穏やかになっていく。


「これで徐々に良くなるでしょう。ただ、予想より症状は深い。数日は様子を見たいと思います」


 ヴァリーはすぐに頷いた。


「もちろん、お願いします。でも……何度も通っていただくのは申し訳ないです」


 エスパーダは短く「いえ」と答えただけだった。


 その言葉の奥には、情や打算を感じさせない、どこか遠い響きがあった。

 ヴァリーは少し気になり、彼に尋ねた。


「普段は、どちらにお住まいなんですか?」


「雨風がしのげれば、そこが私の家です」


 淡々とした返答。ヴァリーは思わず言った。


「よければ、しばらくこの家に滞在しては? ここなら、寝床もあります」


 だが、エスパーダは静かに首を振った。


「お気遣いなく。私は大丈夫です」


 治療のお礼を申し出ても、「暇つぶしのようなものです」と、どこか寂しげな笑みを浮かべるだけだった。


 結局、彼は断固として辞退し、足早に部屋を後にした。


 その背を見送ると、ヴァリーは胸の奥に小さな違和感を覚えた。あの人は、何を抱えてここに来たのだろう。


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