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第206話 エスパーダとの出会い03

帝都の空は灰色に霞み、夕刻の光が赤く街路を染めていた。


ヴェゼルは息を切らしながら、妹カテラを抱いたヴァリーと、カムシンの手を引き、裏通りを駆けていた。


その背後には、何も言わずについてくるエスパーダの影。


――早くしないと。


カテラの息が浅いのが気になる。喉の奥でひゅうひゅうと音がして、目は焦点を結ばない。


手首は骨ばり、皮膚は粉をふいたように乾き切っていた。


お腹だけが不自然にふくれ、まるで内側から膨らませた皮袋のように見える。


ヴェゼルは胸の奥が締めつけられる思いだった。


「もう少しだ。すぐに着く」


声に出して、自分にも言い聞かせる。


ヴァリーは黙って頷き、腕の中の少女を抱きしめ直した。


その瞳は怒りと悲しみで揺れている。


やがて、彼らはバネット商会の裏手にたどり着いた。

表の石畳の通りとは違い、裏口は荷車と木箱が並ぶ静かな通用口だ。


ヴェゼルはノックをして、従業員に小声で合図した。


「戻りました。今日は事情があって裏から入りますね」


通用口の扉が軋みながら開き、暖かい倉庫の空気が流れ出た。


ちょうどその時、荷の積み下ろしを指示していたルークスが気づき、振り返った。


「ヴェゼル? ……その子たちは?」


その視線が、ヴァリーの腕の中の少女、そしてカムシンへと移る。


エスパーダの汚れた聖職者服にも一瞬だけ目を止めたが、すぐにヴェゼルに戻した。


ヴェゼルは短く息を整え、事の経緯を簡潔に話した。


貧民街で出会ったこと、カムシンが折檻されていたこと、そしてその原因。


話を聞くうちに、ルークスの表情は険しくなり、最後には深いため息をついた。


「……いたましいな…まずは体を綺麗にしないとな………」


彼は顎を撫で、すぐに指示を飛ばす。


「おい、誰か! この子たちを風呂に入れて、着るものの用意を。それと部屋を空けておいてくれ」


従業員たちが慌ただしく駆け出し、カムシンとカテラを連れていく。


ヴァリーが心配そうに見送ると、ルークスが小声で呟いた。


「うちの商会も教会の炊き出しに協力しているが……一向に減らん。浮浪者も孤児もな」


「帝国の支援があるはずでは?」と、ヴァリーが問う。


「あるにはある。だがな、どこかで金が止まってるようだ。帳簿の上では流れてることになってるんだろうが、現場には届いちゃいないだろう。……いつの世も同じだよ」


そう言ってルークスは肩をすくめた。


その時、ルークスの視線がエスパーダに向いた。


「ところで、あなたは?」


エスパーダは柔らかな声で答える。


「私はエスパーダ。この少年――ヴェゼル殿に興味を持って、ついてきただけです」


「興味、ねえ」


ルークスは眉をひそめ、ヴェゼルに目を向けた。


「三人の婚約者の次は、聖職者の青年か?」


「なっ――!」


ヴェゼルは真っ赤になり、慌てて手を振る。


「ルークスおじさん! 何を言うんですか! 違います! 僕はそういう趣味はありません!」


ルークスとヴァリーは笑い、「冗談だよ。お前はからかうと面白いな」と肩を叩いた。


だがすぐに笑みを引き、改めてエスパーダへ視線を戻す。


「しかし……あなた、ずいぶん汚れてますな。聖職者に見えん」


エスパーダは一瞬だけ目を伏せ、静かに言葉を紡いだ。


「この帝都では、もう浮浪者や孤児などは日常の風景です。私のように身なりが悪ければ、誰も声をかけない。ここでは私も、先ほどの子供たちも――透明な存在なのです」


「透明?」と、ヴェゼル。


「ええ。見えないものとして扱われる。まるで、誰にも感知されぬ“ルミナント”のように。」


その言葉に、ヴェゼルとヴァリーは顔を見合わせた。


「ルミナント?」


エスパーダはゆっくりと頷き、両手を胸の前で組んだ。


「古い言い伝えです。

この世のあらゆる場所には、神や精霊が残した“光”があるとされます。

それが漂い、集まり、形を成したもの――それをルミナントと呼ぶ。

まだ意思を持たぬ、ただの光の塊です。」


彼の声は不思議な深みを帯び、倉庫の静寂に染みこんでいく。


「そのルミナントが“意思”を得ると、ピクシーになる。

さらに“感情”を得ると、妖精になる――

古の者たちはそう記しています。

つまり私たちもまた、人々の感情が向けられぬ限り、

光にもなれぬ曖昧な存在――

ルミナントにすぎないのです。」


ヴェゼルはその言葉に息をのんだ。


何か、胸の奥の柔らかい部分を掴まれたような感覚がした。


サクラがポケットの中で、小さく羽を震わせた気がする。


「……まるで、打ち捨てられた神のようですね」


ヴェゼルの呟きに、エスパーダは小さく笑った。


「そう。信仰を失った神も、忘れられた妖精も、きっと似たようなものですよ。」


その時、奥の廊下から、風呂場へ連れて行かれたはずの従業員が戻ってきた。


顔色が悪い。


「ヴェゼル様! 女の子の方が……! 息が、浅くて!」


ヴェゼルの心臓が跳ねた。


「医務室へ! すぐに連れていってください!」


エスパーダがすっと立ち上がる。


「私に診させてください。」


ルークスが眉をひそめる。


「あなたが? 医者なのか?」


「いいえ、違います。ですが……見えるのです。この子の中に、光がほとんど残っていないのが。」


その声は確信に満ちていた。


ヴェゼルは迷わず頷き、エスパーダを案内する。


「頼みます。どうか、カテラを助けてください。」



エスパーダは静かにその場にひざまずき、祈るように両の掌を少女の胸の上にかざした。


淡い光が、彼の指先からこぼれ落ちる。


それはまるで、薄闇に舞う小さなルミナントのようだった。

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