第201話 皇妃様からお茶会のお誘い02
午後の日差しが柔らかく庭を照らすころ、皇妃エプシロンが主催するお茶会が始まった。
会場は、光沢のある白磁のティーセットが並ぶ明るいサロン。
香り高い花茶の湯気が漂い、窓際からは庭園の噴水が見える。
静かに流れる時間の中で、ヴェゼルは少し緊張していた。
一昨日 → 一昨々日の拝謁から間を置かずに再び呼ばれたのだ。軽い社交のつもりだろうが、皇妃の眼差しの奥には明確な意図が潜んでいるのを、ヴェゼルは肌で感じ取っていた。
彼の隣には、やや顔色の悪いヴァリーが座っている。見慣れた戦場ではなく、貴婦人に囲まれた談笑の場。
場違い感がすごい。しかも、皇妃とアトラージュ夫人の二人が、まるで獲物を逃すまいとする猫のように、彼女を見つめていた。
「まあ、あの“氷の魔導士”が、こんなに柔らかい表情をなさるなんて!」
エプシロン皇妃が扇で口元を隠しながら笑う。
「昔はもう、氷柱のように冷たいお顔だったのにね」
アトラージュ夫人が同調し、笑いの輪が広がる。ヴァリーの頬がわずかに紅潮した。
「そ、それは……その……」
「恋の力は偉大ね」と、皇妃が軽やかに言う。その瞬間、ヴァリーの耳まで真っ赤になった。
話題は自然と“ヴェゼルとの出会い”へと移っていった。
エプシロン皇妃が興味深そうにカップを置き、視線を向ける。
「それで、お二人はどうやって出会われたの? まさか、戦場でとか?」
ヴァリーは一瞬だけ目を泳がせた。助け舟を出そうとするヴェゼルを遮るように、彼女はつい口を滑らせてしまった。
「わたし、最初はヴェクスター男爵の長女である、アビー嬢の魔法の先生をしていたのですが……その時、ヴェゼル様の魔法理論に感動して、つい弟子入りを志願してしまって……」
言ってから、はっとしたように口を押さえる。
テーブルの向こうでヴェゼルがヴァリーを見る。けれど、彼の表情はどこまでも穏やかだった。
「ええと……誤解のないように申し上げますと、母のオデッセイが昔、少しだけ研究していた内容をお話ししただけなんです。僕の知識というより、母の研究の成果です。それに、ヴァリーさんの実力はもともと確かなものでしたから」
やわらかな笑みとともにそう返すと、場がふっと和らいだ。だが――その瞬間、エプシロン皇妃の瞳がわずかに光を帯びた。
心の中で皇妃は息をのむ。胸の奥で、驚きと同時に得体の知れない感情が湧き上がる。
たとえ、オデッセイの教えがあったとしても――魔法省第五席にまで上り詰めた「氷の魔導士」ヴァリーが、教えを乞い、しかも弟子入りを願ったという事実は異常だ。
ヴァリーがちらりとヴェゼルを見る。その瞳に浮かぶのは尊敬と憧憬、そして確かな恋情。
皇妃は内心で確信する。(あのヴァリーが恋に落ちるなど、あり得ないと思っていたけれど……)
驚きはやがて、恐れに変わっていった。背筋を冷たいものが走る。
彼女は微笑を保ったまま、胸の奥で慎重に思考を巡らせていた。
銀のトレイにのせられたクッキーや焼き菓子、果実を包んだ砂糖菓子が卓上に並ぶ。
子どもたちの歓声が響き、緊張していた空気が一気に甘くほどけた。
ヴァリーはというと――完全に質問攻めの嵐でノックアウト寸前だった。
「ヴェゼル殿とはどれくらいお付き合いしているの?」
「お二人で魔法の訓練をされているの?」
「いつもお二人だけの時は何をなさっているの?」
次々と飛ぶ質問に、ヴァリーの顔は耳まで真っ赤だ。手にしたティーカップが震えて、紅茶の表面に小さな波紋が広がる。
「い、いえ、その……」
「まあまあ、そんなに緊張なさらなくてもいいのよ」
皇妃が微笑みながら紅茶をすする。だが、その視線の奥は、氷の刃のように鋭い。彼女はヴェゼルを観察していた。
(なるほど……この少年が、あのヴァリーを変えたというわけね)
一方、ヴェゼルはというと、子どもたちの席に呼ばれていた。
「ゼル、こっち!」エストレヤが満面の笑みで手を振る。
シェルパとジャールも椅子を寄せて、ヴェゼルを囲むように座る。
ヴェゼルが腰を下ろすと、自然にエストレヤが彼の腕に寄り添った。まだあどけない仕草に、皇妃や夫人たちは顔をほころばせる。
「ゼル、次はどんな遊びをするの?」
「じゃあ……少し考えましょうか」
ヴェゼルは机の上の積み木を見つめた。国語と算数の木片――ひらがなと数字が彫られている。それを指で叩きながら、ふと笑みを浮かべる。
「この木片を高く積み上げて、崩した人が負け。……“グラグラゲーム”です」
子どもたちの目が輝いた。
「おもしろそう!」
「ぼくからやる!」
順番を決め、慎重に木片を重ねていく。崩れるたびに歓声と笑い声が響く。庭の鳥たちが驚いて飛び立つほどのにぎやかさだった。
やがてジャールが「ほかにも!」とせがみ、ヴェゼルは今度は木片を並べてドミノ倒しを教える。
「倒れる瞬間がきれいなんですよ。見ててください」
彼が静かに指先で最初の一片を押すと、カタン、カタンと規則正しい音を立てて連鎖が広がる。
最後の一片が小さな鐘のような飾りを鳴らした瞬間、子どもたちは大歓声を上げた。
「もう一回! もう一回!」
ヴェゼルは笑いながら何度も並べ直す。その姿を、ヴァリーは少し離れた席から見守っていた。
(……やっぱり、優しい人だな)
胸の奥が温かくなるのを感じながら、そっとティーカップを握る。
夕暮れが近づくころ、お茶会の終わりを告げる鐘が鳴った。
「もう帰っちゃうの?」と、エストレヤが名残惜しそうに袖を掴む。
「また遊びたいのに!」とジャールが言い、シェルパも小さくうなずく。
困ったように笑いながら、ヴェゼルは答えた。
「しばらく帝都にいますから、いつでも呼んでください」
皇妃とアトラージュ夫人が立ち上がり、優雅に礼をする。
「本当に楽しい時間でしたわ。明後日、また馬車を出します。ぜひいらして」
「え、……あ……はい」
ヴェゼルが一瞬だけ戸惑ったが、すぐに穏やかな笑顔でうなずく。
帰り際、皇妃はそっと扇で口元を隠しながらヴァリーに囁いた。
「あなた、良い相手を見つけたのね」
「……はい」
短く答えるヴァリーの頬は、まるで春の夕暮れのように赤かった。
お茶会が終わり、馬車の外に出ると、空は茜色に染まっていた。
風が吹き抜け、ヴェゼルの髪を揺らす。その横でヴァリーが小さく息をつく。
「……疲れました」
「そうですね。でも、楽しかったですよ」
ヴェゼルが微笑むと、ヴァリーの心臓が跳ねた。
(やっぱり、この人は――)
その日、皇都の片隅に沈む夕陽は、ふたりの頬を柔らかく染めていた。




