表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

216/355

第199話 アンニュイな一日 だがしかし

朝の光が、まだ白く柔らかい。


薄いカーテン越しに差し込む陽の筋が、静かにヴェゼルの頬を照らしていた。


目は覚めている。けれど、体はまだ起きることを拒んでいた。というか、動けない。


隣では、ヴァリーがすやすやと寝息を立てている。

腕と足が器用に絡みついていて、まるで抱き枕のようにされていたのは……ヴェゼルのほうだった。


彼女の腕の中は不思議と温かく、甘い花の香りがする。安心するし、心地よい。もう少しこのままでいいか、と思う。


しかし問題がひとつあった。


ヴェゼルの枕元には、サクラ用の小さな布団が敷いてある。


……はずだったのだが、当のサクラは布団から見事に飛び出しており、しかもヴェゼルの髪の毛に絡まりながら、まるで毛布代わりにして眠っていた。


「……絶対あとで絡まりをほどくのが大変になるな」


心の中でぼやく。朝一から自分の髪が鳥の巣になる予感しかしなかった。


視線を戻すと、ヴァリーの寝顔が目の前にあった。


穏やかな表情。微かに揺れるまつ毛。


「綺麗だな……」と、無意識に呟く。


寝息がかすかに唇を震わせて、髪が頬にかかっていた。


むず痒そうだから、とそっと退けてやろうとしたその瞬間――ヴァリーの瞼がふわりと開いた。


目と目が合う。不思議な間が流れた。


そして、ヴァリーは迷うことも照れることもなく、ほんの軽く唇を寄せた。


チュッ、と小さな音。「……おはようございます、ヴェゼル様」


「……お、おはよう……ございます」


言葉が出るよりも先に顔が熱くなる。


ヴァリーはふっと笑い、ようやく腕を緩めてくれた。だが、起き上がろうとはしない。


「もう少し、このまま寝ましょう?」


「……うん…」


気づけばヴェゼルも頷いていた。再び抱かれ、またまどろみに沈んでいく。


次に目を覚ましたときは――騒がしい悲鳴でだった。


「ぬ、抜けれないーー!!」


髪を引っ張られる痛みに、ヴェゼルは半ば悲鳴混じりに目を開ける。


案の定、サクラがヴェゼルの長い髪の毛にぐるぐる巻きになって、もがいていた。


「ちょ、ちょっとサクラ!動かないで!」


「だって動けないのー!!」


その声でヴァリーも目を覚ます。寝ぼけ眼のままサクラを見ると、思わず吹き出した。


「ふふっ……これは見事に絡まってますね」


「笑いごとじゃないわよ!」とサクラが抗議する。


ヴァリーは苦笑して、「二人とも動かないでくださいね」と言い、丁寧に髪をほぐしはじめた。


それからおよそ十分後、ようやくサクラが自由になる。


「もう、ヴェゼルの髪の毛が悪いんだから!」


「どう考えても絡まったのはサクラのほうだろ……」


ヴェゼルが呆れると、サクラはぷいっと顔をそらして、「お腹すいた!ごはん食べよ!」とごまかした。


三人は着替えて一階へ降りる。




広間にはすでにルークスが座っており、朝食の準備が整っていた。


「おや、おそよう。昨夜はおたのしみでしたね」


わざとらしい笑顔。


ヴァリーの顔がみるみるうちに真っ赤になった。


「る、ルークスおじさん!そんなこと言わないでくださいよ!」


「いやいや、深い意味はないって」


「……余計に悪いです!」


笑いながらヴェゼルが席につく。パンの香ばしい匂いが部屋に満ちていた。


遅めの朝食をゆっくりと終えると、午後はまったりとした時間が流れた。


応接間のソファに三人がだらしなく座り、時折あくびをしながら本をめくったり、紅茶を飲んだり。


「こういうのを“アンニュイ”って言うんだろうな……」とヴェゼルが呟くと、サクラが「なにそれ、美味しいの?」と真顔で聞き、全員が笑った。あ、でも、これってフラグになるの?


と思った瞬間、案の定、この穏やかな時間はそう長くは続かなかった。



ノックの音。


現れたのは昨日、皇妃の背後に控えていた執事だった。整った髭と完璧な礼。


「ヴェゼル様、皇妃陛下よりお手紙をお預かりしております」


彼の手には、金の封蝋が押された封筒があった。


封を切ると、丁寧な筆致でこう書かれていた。


――明後日、午後より小規模なお茶会を催したく存じます。ぜひご出席ください。


文章の柔らかさに反して、皇妃様の正体 → 招待を断る余地はまったくない。


ヴェゼルは思わず苦笑した。


「まさかお茶会……。昨日の拝謁での話の続き、ってことですかね?」


ヴァリーが少し心配そうに覗きこむ。


「陛下のご厚意かもしれません。でも……お気をつけくださいね」


「うん、分かってます」


そう言いながらも、胸の奥にほんの少しの緊張が芽生える。


執事は静かに頭を下げ、風のように去っていった。


扉が閉まると、サクラがテーブルに乗って手紙を覗き込みながら、「お茶会って、また正装?」と興味津々。


「そうなるね。サクラはお留守番ね」




こうして、穏やかな朝から始まった一日は、次の波の予感を残したまま、静かに暮れていった。


ヴェゼルは窓辺から見える夕焼けを見つめながら、心のどこかで感じていた。


――皇妃様との再会は、ただの“お茶会”では終わらないだろうな。


そして、遠くでサクラがくしゃみをひとつ。


「誰か、あたしの悪口言ったでしょ!」


「……いるわけないでしょ、既往 → 昨日布団にはいらなかったから……」とヴェゼルが返す。


そんな何気ないやりとりに、ヴァリーの笑い声が静かに重なった。


明日もまた、きっと賑やかな一日になる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ