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第198話 帰りの馬車で

 帝都の宮殿を後にした一行は、黄昏の街をゆっくりと走る馬車に揺られていた。


石畳を叩く車輪のリズムと、馬の蹄の規則正しい音が、緊張に包まれた謁見の余韻を少しずつ遠ざけていく。


 その柔らかな揺れに身を任せながら、ヴェゼルは次第に瞼が重くなり、やがてすうすうと小さな寝息を立て始めた。まだ幼い顔立ちに刻まれる疲労の影が、今日の出来事の重さを物語っている。


 隣に座っていたヴァリーは、そっと身を寄せ、膝を差し出して頭を支えた。


落ちてくる髪を指で梳きながら、愛おしそうにその額を撫でる。


戦場では氷の魔道士となど呼ばれていた彼女も、今はただ一人の少年を気遣う姉のような、母のような眼差しを浮かべていた。


 ふと視線に気づく。反対側の席で腕を組んでいたルークスが、にやりと笑いながらこちらを見ていたのだ。慌てて頬を赤らめるヴァリー。


「いいじゃないか。今日はヴェゼル、よく頑張ったからな。そんなご褒美もあっていいだろう」


 ルークスは軽く肩をすくめ、気遣うように言った。その声音には、緊張から解き放たれた安堵も混じっている。


「ご褒美……ですか?」


 小首をかしげるヴァリーに、ルークスは頭をがしがしと掻きながら、少し照れくさそうに笑った。


「俺だってさ、可愛い彼女の膝枕で撫で撫でされたいもんだぜ」


 その意味を理解した瞬間、ヴァリーの顔は耳まで真っ赤になった。


 ちょうどその時、ヴェゼルが目を覚ました。


重たい瞼を上げて、膝枕の心地よさに一瞬ぼんやりしたが、すぐに状況を理解して小さく身を起こす。


頬にわずかな紅が差すのを、ヴァリーは隠せず視線を逸らした。


 だが、そこで別の事件が起きる。ヴェゼルのお腹に頭を乗せて寝ていたサクラが、器用に涎を垂らしながらぐっすり眠っていたのだ。


ヴェゼルが身を起こした拍子に、その小さな体がころんと転げ落ちそうになる。


「うわっ……!」


 とっさに手を伸ばし、なんとか抱き留めるヴェゼル。


サクラは寝ぼけ眼で起き上がり、口元をぬぐうと、そのままヴェゼルの服にぐいっと擦りつけた。


「ちょっと! 今、私のこと落とそうとしたでしょ!」


「いや、助けたんだけど……」


 苦笑するヴェゼル。その視線が、自分の涎の跡に注がれていることに気づいたサクラは、ぱっと顔を背けた。


「こ、今回は特別に許してあげるわ! 今日のところはね!」


 強がりを言いながら、ヴェゼルのお腹にぴょこんと座り込む。


「……冷たっ!? なにこれ! ヴェゼル、なんか濡れてる! 冷たいー!」


 大騒ぎするサクラに、ヴェゼルがぽつりと呟いた。


「それ……サクラの涎だよ」


 途端にサクラの顔は真っ赤になり、恥ずかしさを隠すようにヴェゼルの胸ポケットに潜り込む。


「家に着いたら教えてね……」


 そう言い残すと、また小さな寝息をまた立て始めた。


「なんなんだよ……」


 ヴェゼルの呟きに、馬車の中はくすくすと笑いに包まれた。




 しばしの穏やかな沈黙のあと、ヴェゼルはふと真顔に戻る。


「そういえば……帰り際にブガッティさんに言われたんです。妖精のことを知りたければ、遊びに来いって」


 胸ポケットの中にいるサクラに問いかける。


「ねぇ、サクラ。妖精とか精霊って、いったい何なんだ? そもそもサクラって……一体…」


 ポケットをのぞくと、サクラは顔を隠したまま、かすれた声で言った。


「私は……ヴェゼルと一緒にいたいだけ。それ以上のことは……『まだ』言いたくない」


 その後、どれだけ問いかけても口を閉ざしてしまった。


 気まずい沈黙を破ったのは、ヴァリーだった。


「思い出しました。昔、魔法省にいた頃に一度だけ聞いたことがあります。ブガッティ第一席は……わずかにですが、エルフの血を引いていると」


「エルフ……?」


 ヴェゼルが首をかしげると、ヴァリーは静かに続けた。


「普段は帽子を深く被っていて誰も見たことがないんですが……一度だけ、帽子の隙間から耳を見たことがありました。少しだけ尖っていたんです。エルフは、耳が長く尖っているのが特徴だと聞きましたから」


 ルークスが腕を組み、思い出すように語り出す。


「精霊や妖精、エルフ……昔はみんなスクーピー精霊王国って国に住んでいたらしい。だが、二百年か三百年前に……一夜にして滅んだって伝承がある。エルフも同時に、歴史の表舞台から姿を消したらしいな」


 窓の外、暮れなずむ街並みを眺めながら、ルークスの声が淡々と響く。


「ただ、全てが死んだわけじゃないらしい。精霊や妖精は、今もどこかで生きている……そう言い伝えられてるんだ」


 ヴァリーも付け加える。


「それから……収納魔法についてですが。魔法省でブガッティ様から学んだことがあります。収納魔法だけは他の属性と違って、闇の属性と強い親和性を持つそうです。そして……初代教皇様が、その特異さに気づいて保護するよう定めた、と」


「保護……?」


「はい。当時は、物を隠す、盗む魔法だと忌避され、『泥棒魔法』と呼ばれていたそうです」


 ヴェゼルは黙り込んだ。


 自分が持つ収納魔法――いや、正確には収納スキルが、なぜ特別扱いされるのか。サクラが自分の傍にいる理由と、何か繋がっているのかもしれない。


 馬車は帝都の外れに差し掛かり、空はすでに群青色に沈みつつあった。


「……これは、帝都を離れる前に、ブガッティ第一席を訪ねることになるだろうな」


 ヴェゼルは胸中でそう結論づけた。


 まだ見ぬ真実の糸が、静かに彼の足元へと伸び始めていた。


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