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第197話 ブガッティ第一席

拝謁を終え、控え室に戻った一行には、ほっとした空気が漂っていた。


ルークスは大きく息をつき、椅子に腰かける前に、目の前の光景をしばらく眺めていた。


その顔には、緊張が解けたことと同時に、少しの安堵が滲んでいる。


七歳の少年が堂々と皇妃の前に立ち、献上品を差し出し、さらには巧みな受け答えをして見せたのだ。


その姿を見届けた叔父として、彼の胸中には誇らしさと共に、ほんのわずかな疲労が混ざっていた。


「ふぅ……」


ルークスは重いため息をつき、椅子に腰を下ろす前に、控え室の奥に進む侍女たちの後ろをついて歩いた。


床に反射する光や、部屋の奥から微かに聞こえる足音が、どこか静謐で柔らかな空気を作り出している。


緊張から解放された体は、まだ微かにこわばっていたが、ルークスはそれを表に出すことなく、控えめに息を整える。


すると、扉の向こうから走る足音が近づいてきた。


振り向くと、ヴァリーがまっすぐにヴェゼルに駆け寄ってきて、躊躇なく抱きついた。


その瞬間、控え室にいた給仕係や護衛の兵士たちの目が一瞬だけ見開かれる。静かな部屋に、歓声がほんのわずかに混ざった瞬間だった。


「大丈夫だったのですか?」


ヴァリーは少し心配そうに顔を上げ、ヴェゼルを見つめる。


ヴェゼルは柔らかな微笑みを浮かべ、優しく答えた。


「心配してくれてありがとうございます。大丈夫でしたよ」


その声には、拝謁での緊張を解きつつ、ヴァリーへの信頼と安心感が自然に滲んでいた。


ルークスも、傍らで小声で笑いながら口を開く。


「俺も緊張したよ。……まあ、俺はほとんど喋ってなかったけどな」


周囲に配慮したその微笑みは、長年商会を取り仕切ってきた熟練者の余裕を感じさせた。


ヴェゼルは立ち上がり、ヴァリーに向かって提案する。


「さあ、そろそろ帰りましょうか」


ヴァリーは嬉しそうに頷き、両手を軽く振るようにして、手を取り合う。


「本当に……大丈夫でした?」


ヴェゼルと同じ目線でしゃがみ、顔をのぞきこむようにして、質問は少しはしゃぐような調子だが、どこか安心した響きも混じっている。


「うん、問題なし」


ヴェゼルは短く答え、軽やかに微笑む。その返答にヴァリーも安心したように小さく頷いた。二人は手を繋ぎ、静かに控え室を後にする。



廊下を進む途中、偶然にも――いや、まるで事前に知っていたかのように――ブガッティ第一席が立っていた。ヴァリーはその姿を目にして、目を大きく見開き、軽く息を呑む。


「久しいのう、ヴァリー」


ブガッティはゆっくりと近づき、穏やかに微笑む。その声には威厳と親しみが入り混じっていた。


「突然手紙だけ送ってきて退職とは……一言文句を言ってもよかろう?」


ヴァリーは気まずそうに頭を下げ、控えめに謝る。


「申し訳ありませんでした」


ヴェゼルは脇で静かに見守る。ブガッティの視線は、すぐに二人の間にある空気を察したかのようだった。


ヴァリーが照れ笑いを浮かべ、手をしっかり握りしめると、ブガッティの目は一瞬で驚きに変わる。


「あの……氷のヴァリーがのう」


普段冷静沈着な彼女が、こうも自然に感情を見せるとは、と内心で呟いた。


そして、ブガッティの視線がヴェゼルに向く。何かに気づいたように、鼻を軽くひくつかせる。


「……妖精の匂いか?」


その囁きは、ヴェゼルの耳にもはっきりと届いた。


「お前さんが、ビック領の()の嫡男か?」


ブガッティは一歩近づき、直接問いかける。ヴェゼルは冷静に応じた。


「どの噂かは存じませんが、フリード・フォン・ビック騎士爵の嫡男、ヴェゼル・パロ・ビックです」


ブガッティはようやく満足そうに頷き、視線を柔らかくする。


「わしの挨拶がまだじゃったな。魔法省の第一席を拝命しておる、ブガッティじゃ。帰りの途中に呼び止めてすまなんだ」


その声は威厳を感じさせつつ、どこか親しみを帯びている。


「今度暇なときに、わしの魔法省の部屋に遊びにくると良い。色々と、楽しい話をしてやるでな」


そして、ブガッティは一歩近づき、小声で耳元に囁く。


「…………妖精のこと…とか……な?」


その声は誰にも聞こえぬよう、そっと、しかし意味深に落とされた。


その後、ブガッティは穏やかに微笑み、ゆっくりとその場を去っていった。


ヴァリーはしばしその背中を見送り、頬を赤らめながら小さく息をつく。ヴェゼルはそっと肩に手を添え、安心させるように微笑む。


「……さあ、帰ろうか」


手を繋いだまま、二人は再び廊下を進む。静かな宮廷の通路は、今や温かく、そして少し不思議な空気に包まれていた。


廊下の先には控え室の明かりが見え、日常と非日常の境界をそっと繋ぐような穏やかな光が二人を迎えていた。


その光の中で、ヴェゼルとヴァリーは小さな手を離さず、互いの存在を確かめ合うように歩み続けた。


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