第196話 拝謁の後
拝謁の部屋が落ち着きを取り戻したころ、扉が静かに開き、皇帝が入室した。
プライベートな場での簡易的な挨拶だけが求められていたため、護衛や付き人はすべて退出し、残ったのは皇帝と皇妃エプシロン、控えの執事だけである。
扉の重厚な音が室内に響き、空気が自然と引き締まった。
皇帝はゆっくり歩を進め、威厳を漂わせながらも穏やかな視線で室内を見渡す。その目は先ほど皇妃と拝謁したヴェゼルを思い浮かべているかのように鋭く光っていた。
「ヴェゼルとの拝謁はどうであった?」
皇帝の声は落ち着いていたが、言葉の重みは室内に確実に影を落とす。
皇妃エプシロンは軽く息をつき、瞳に考える色を浮かべながら、言葉を選ぶように口を開いた。
「率直に申しますと……あの子は、怪物か傑物のどちらかですね」
皇帝の眉がわずかに上がる。エプシロンは続ける。
「あの正確な受け答え、理知的で冷静な眼差し……私との拝謁でも、全く物おじせず、まるで熟練の文官と対峙しているようでした。七歳の子供とは思えません。もし婚約者がいなかったなら、我が娘エストレヤの婿として検討してもよいと思ったくらいです。将来的に宰相の器量もあると感じます」
皇帝は深く頷き、言葉の重みを胸に刻んだ。
「なるほど……それほどの逸材か」
皇帝は執事タンドールに目を向ける。
「タンドール、この子について、秘匿される事柄も含めて、真実の玉の反応はどうか」
タンドールはゆっくり頷き、玉の反応を報告する。
「陛下、この玉が示すところによれば、ヴェゼル殿が妖精を見たことがないというのは事実ではないようです」
皇帝は目を細め、唇を噛みながら頷いた。
「なるほど……ビック領には妖精の存在の可能性が高いということか」
タンドールはさらに口を開く。
「加えて、サマーセット領の奇襲部隊についてですが……あの戦場で、ヴェゼル殿は現場に居なかった、あるいは総大将を本当に捕縛した、のどちらかしか有り得なさそうです」
皇帝は目を見開く。幼くして戦場に立ち、戦略を理解していたかもしれない少年の存在が、現実として迫ってくるようだった。
皇妃エプシロンは口元に微笑を浮かべつつ、鋭い視線を保つ。
「私の拝謁での態度や受け答えを見る限り、誰かにその受け答えを事前に教えを乞うたとは思えません。あの子が自ら考え、自ら答えたのです。あの奇襲部隊を指揮し、総大将を捕縛したとしても、私は頷くでしょう。あの戦いの全作戦を立案したとしても、私は驚かないでしょう」
皇帝は言葉を失い、深く息をつく。その重みを噛み締めた。
「やはり、この子はただの子供ではないか」
皇帝は心の中で呟き、ヴェゼルという存在が帝国にもたらす影響を慎重に計算した。
皇妃は微笑み、口を開く。
「そうそう、私がヴェゼルにお願いしたのは、皇子と皇女と学園で仲良くすることです。あの子、一瞬嫌そうな顔をしましたけれど……」
皇帝は頷き、ヴェゼルの心情を想像する。
「なるほど……権力を行使しようというわけではなく、その重さを理解しているのか」
皇妃は続ける。
「ヴェゼルのような人物は、小細工で敵対したり取り込もうとするより、常に公平で理性的に接するほうがうまくいきます。父であるベントレー公爵の判断も、色眼鏡を抜きにして見ても賢明だったと思います」
皇帝は深く頷き、慎重に言葉を選ぶ。
「よし、尊重しよう。ヴェゼルの資質を見誤らず、帝国の運営にも活かすことにする」
室内に静けさが戻る。緊張と畏敬の入り混じった空気が漂う中、皇帝は椅子の背にもたれ、ゆっくりと呼吸を整えた。
表向きは皇妃の意見に全面的に同意した格好だが、心の奥底には微かな逡巡が渦巻いていた。
――確かに、この少年は並外れた才覚を持つのだろう。将来的には帝国のために計り知れぬ貢献をもたらすだろう。だが同時に、その力の大きさは、逆に皇位や皇族の、さらには帝国全体の安定に潜在的な脅威となりうるのだ……
皇帝の視線は遠くを見つめる。
表情には冷静さを保ちながらも、頭の中では将来の可能性とリスクを慎重に天秤にかけていた。
皇妃の言葉の重みを尊重しつつも、幼きヴェゼルが持つ未知の力が、やがて帝国の秩序に波紋を生むことは決して無視できない。
「だが……今は、まず彼の才を正当に評価し、機会を与えることが最善か」
小さく自らに言い聞かせるように呟き、皇帝は心の奥で、未来に向けた慎重な策を練り始めた。その瞳には、皇妃への敬意と、未知なる逸材に対する警戒が交錯している。
静寂の中で、皇帝は改めて決意を固める。
表向きは全面的な支持を示しつつも、内心では万一に備え、彼の成長と影響力を常に見守り、必要なら手を打つ覚悟を秘めている――帝国の未来を守るために。




