第193話 いよいよ皇妃との拝謁02
ヴェゼルたち一行は、宮廷奥深くへと侍女に導かれていた。
長い回廊は外光をほとんど取り入れず、等間隔に灯された燭台の炎が壁に複雑な影を描いている。
装飾は華美というよりも落ち着いており、その格式を静かに主張していた。
侍女の歩みは迷いなく、足音も控えめで、それがかえって緊張を誘う。
ヴェゼルは胸の奥が重くなるのを覚えながらも、表情には出さず、今はフリード・フォン・ビック騎士爵の名代として失態を許されぬ立場であることを胸に刻む。
やがて、一行はひときわ重厚な扉の前に至った。
表面には花鳥をあしらった精緻な彫刻が施され、柔らかな光を反射して浮き上がって見える。ヴェゼルがわずかに息を呑むと、
傍らのルークスが低く「またここか……」とつぶやいた。声音には、過去に来たことのある安心と緊張が入り混じっている。
案内の侍女は振り返ることなく扉に歩み寄り、優雅にノックした。澄んだ音が回廊に響き、その余韻が消えるより早く、はっきりとした声で告げた。
「フリード・フォン・ビック騎士爵の名代、ヴェゼル・パロ・ビック殿。並びにバネット商会よりお付きの方々にございます」
一行は静まりかえった空気の中で言葉を待つ。ややあって内側から、柔らかくも張りのある女性の声が響いた。
「入室を許します」
その瞬間、扉の両側に控えていた兵士が無言で取っ手を取り、押し開けた。重厚な蝶番が軋み、扉が左右に開く。
目に飛び込んできたのは、意外にもこじんまりとした部屋であった。広大な謁見の間を想像していたヴェゼルには拍子抜けだったが、かえって緊張を増すものでもあった。
室内は明るく、壁には優美な織物が掛けられている。豪奢さよりも調和を尊ぶ空間であり、皇妃の人柄を映しているかのようだ。
部屋の中央には皇妃がゆったりと腰を下ろしていた。優雅な衣をまとい、柔らかな微笑を浮かべている。
しかしただそこに在るだけで場を支配する威厳があった。背後には執事がひとり、侍女が数名。
さらに少し離れた壁際には、無言で控える近衛兵四人が並ぶ。その全てが、この場が形式ではなく、確かな権威の場であることを物語っていた。
案内の侍女が中に進むと、一行もそれに続く。先頭のヴェゼル。背後のルークスの手には献上品のガラス細工の一揃え。その後ろには侍女が二組の献上品を携えていた。
定められた位置に至ると、案内の侍女が無言で合図する。ヴェゼルは小さく頷き、片膝をつき、深く頭を垂れた。背後のルークスも同じく恭しく身を屈める。
その姿勢のまま、ヴェゼルは声を発した。
「フリード・フォン・ビック騎士爵の名代、ヴェゼル・パロ・ビックにございます。付き従うは、我が領の商会より参りました商会長、私の叔父にあたりますルークスでございます。このたび、皇妃陛下に拝謁を賜り、恐悦至極に存じます」
言葉を口にしながら、ヴェゼルは心中で思った――入室の際に侍女がすでに名を告げていたのに、改めて名乗るのか。しかし顔色に出すことはせず、礼を尽くした。
沈黙が落ちる。数拍後、皇妃の声が穏やかに降りてきた。
「遠路、ご苦労でした。顔をあげなさい」
ヴェゼルは静かに顔を上げた。視線が合った瞬間、胸の奥に温かさと鋭さが同時に走る。皇妃の眼差しは慈愛に満ちつつ、人の心を見透かすかのような深さを湛えていた。
皇妃は微笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「ここからは私的な場。堅苦しい儀礼は省きましょう。直言を許します。忌憚なく語りなさい」
その寛大な言葉に、ヴェゼルは胸を撫で下ろした。しかし直言を許すということは、取り繕いが効かぬということでもあり、その重みは一層増すばかりだった。
侍女が軽やかに歩み寄り、一行を横のソファへ案内する。深い色合いの布地の椅子に腰を下ろすと、硬直していた背筋がわずかに緩む。
ルークスもまた静かに座し、余裕を装う笑みを浮かべていたが、ヴェゼルはその内心の緊張を察していた。
皇妃が軽く扇を動かすと、背後の執事が静かに問いかける。
「さて、ビック領よりの献上と伺っております。どのような品をお持ちくださったのか、拝見してもよろしいでしょうか」
ヴェゼルは目を瞬かせ、打ち合わせ通り、献上品の詳細は伏せたまま答える。ルークスと短く視線を交わし、わずかに顎を引き、任せると示す。
「恐れながら……拙領にて、新たに生み出されました逸品にございます。細部につきましては、拝見いただきながらご説明申し上げたく存じます」
曖昧に濁すその言葉に、皇妃は興味深げに微笑む。まるで秘密を抱える子どもを面白がる母のように。




