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第190話 バネット商会にもどって

デートから帰ってきたヴェゼルとヴァリーと一応、サクラは、和やかな空気が流れる中で、応接間へと移動することになった。


重厚な扉を押し開けた瞬間、落ち着いた雰囲気の、暖炉のほのかな温もりが漂ってくる。


壁には古くからの領地の歴史を刻む絵画が掛けられ、長い年月を経たであろうソファや机が堂々とした存在感を放っている。


そこはただの応接の場ではなく、商売で築き上げてきた信頼と格式の象徴のようでもあった。


ほどなくして、ベンティガとルークスが慌ただしい足取りで入ってきた。


二人の手には、まだ封が解かれていない一通の手紙が握られている。紙の縁は真新しく、そこに押された皇妃の印章が燦然と光っていた。


ベンティガは息を整える間もなく、ソファに腰を下ろすとすぐに言った。


「皇妃様から、もう返事が届いた。前回もそうだが、相変わらず異例の早さじゃ」


その言葉に、応接間の空気が一気に張りつめる。


皇族への拝謁、ましてや皇妃からの返答が、わずか一日のうちに届くなど、常識では考えられないらしい。


商人や小貴族であれば、一か月はおろか、返答すらも得られぬことがざらにある。


「直に皇妃様の執事が届けてこられたそうだ」


封に手をかけたベンティガは、印を確認しながら深く頷いた。確かにそれは、皇妃直属の印章に相違なかった。


中を改めると、わずかな言葉が丁寧な筆致で記されている。


明日の午後に待っている、という簡潔ながらも力強い内容だった。


その一文の重みを受けて、ベンティガは瞠目し、思わず声を漏らした。


「……なんと、明日とは……。前回のルークス殿の拝謁の折も早かったが、それにしてもこの速さ、尋常ではない」


ヴェゼルも深く息を吐き、皇妃の決断の早さに驚きを隠せない。横に座るヴァリーが目を輝かせ、勢い込んで言った。


「私も、ご一緒したいです!」


しかし、ヴェゼルは軽く首を横に振った。


「今回は、僕とルークスおじさんの二人で拝謁するよ。皇妃様に直接会うのは、最小限に留めた方がいいと思う」


ヴァリーは不満そうに口を尖らせたが、しばし考えて諦めた様子を見せた。


「……では、せめて宮殿の待合室で待たせてください。それならば邪魔にはなりませんから」


「そうだな。待合室なら問題ないはずだ」


ルークスが同意する。一件落着したものの、油断はできない。


皇妃の拝謁の間に至るまでには、厳重な手荷物検査があるという。特に収納魔法を持つ者は、不正な持ち込みを防ぐため徹底的に調べられるのだそうだ。そこでヴェゼルは言った。


「サクラは今回はバッグの中に入っていてね。拝謁の間までは持っていけないから、待合室でヴァリーさんに預けるよ」


サクラはヴェゼルのポケットから顔を出し、少し不満そうにしながらも、こくりと頷いた。


やがて夕食の時間となり、一同は長いテーブルを囲む。


食器が並べられ、銀の燭台に灯る炎が皿の縁を柔らかく照らしている。香り高い肉料理と、色鮮やかな野菜の付け合わせ。焼きたてのパンと芳醇なソースの匂いが食欲をそそる。


「これは……今日も見事な料理ですね」


ルークスが感嘆の声を漏らすと、サクラは待ちきれないとばかりに飛びつき、もくもくと食べ始めた。


その食べっぷりは見事なもので、まるでお腹が無限に広がっていくかのようだった。


やがて食事を終える頃には、サクラはヴェゼルの頭の上でごろりと横になり、苦しげにうーんうーんと唸っていた。


お腹が膨れすぎて、布の隙間から小さなおへそがのぞいている。


「食べすぎだろう……」とヴェゼルが呟くと、周囲はどっと笑いに包まれた。


食後の団欒のひととき、話題は帝都の様子へと移る。


ヴェゼルが街での出来事を語り、賑やかな市の様子や面白い光景を伝えると、皆が楽しそうに耳を傾けた。


しかし、その中で彼は、魔法省のガヤルドに絡まれた一件を付け加えた。


途端に、ヴァリーの表情が曇る。まるで自分の身内が迷惑をかけたように、申し訳なさそうに視線を落とした。


その様子に気づいたヴェゼルは、軽く首を振り、目を合わせて「気にしないで」と伝えた。


ベンティガが重々しく口を開く。


「魔法省の魔法使いには、プライドが肥大して横柄な者も多い」


その言葉にヴァリーが小さく頷く。そこへルークスが首を傾げて尋ねた。


「そういえば……魔法省って、どんな組織なんだ? 噂ばかり聞いてるけど、実際のところはよく知らなくて」


ヴァリーは一瞬考え込み、少し言いにくそうに口を開いた。


「……本来、魔法省を辞めた者が内部のことを詳しく話すのは固く禁じられているんです。だから、私の口からは多くは語れません。すいません」


ルークスは「ああ、そうか」と肩をすくめるが、ヴァリーは少し表情を和らげて続けた。


「ただ――魔法省の第一席であるブガッティ様の人となりなら、皆さんも耳にしたことがあるでしょう」


その名を出すと、場の空気がわずかに和らぐ。ヴァリーは静かに微笑んだ。


「あの方はとても腰が低く、誰に対しても礼を欠かさない優れたお人柄です。ただ……魔法のこととなると途端に子供のように夢中になってしまうことが多くって。熱中しすぎて周りが見えなくなるほどなんです。つまり――言ってしまえば“魔法バカ”ですね」



ベンティガは思わず吹き出し、長い髭を撫でながら「なるほど、それは確かに」と笑った。




そして夜も更け、就寝の時刻となる。ヴァリーが立ち上がり、ヴェゼルに手を差し伸べる。


ヴェゼルは、頭の上で眠り込んでしまったサクラをそっと載せたまま、ヴァリーの手を取る。



その様子は、まるで仲睦まじい夫婦のようであった。二人は手を繋ぎ、柔らかな灯りの中を静かに寝室へと歩いていった。


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