第189話 デートを帝都で
ガヤルドと別れ、街をゆったりと散策していると、ヴァリーはふと眉をひそめ、小さくため息を漏らすように低くつぶやいた。
「……あー、やっぱりむしゃくしゃしますね……」
通りの雑踏が二人を包み込む中でのその一言は、ふだんの元気な声とは違い、どこか重みを帯びていた。ヴェゼルはその声に少し驚きながらも、優しい微笑みを浮かべて応える。
「そういう時は、美味しいデザートをたくさん食べましょう! 甘いものを食べれば、きっと気分も晴れるはずです」
その言葉に、ヴァリーの胸ポケットからサクラの小さく元気な声が飛び出す。
「さんせーい!」
思わずヴェゼルは苦笑いを浮かべる。街の石畳を踏みしめる足音、遠くで聞こえる鐘の音、人々のざわめき……その中で三人は自然と肩の力を抜き、笑いながらスイーツ喫茶へ向かう。
日差しはまだ柔らかく、通りに差し込む光が彼らの影をゆらりと揺らす。
店の扉を開けると、木目の温かみと上品な内装が目に入る。
少し値の張る空間であることはひと目でわかるが、個室を借りて貸切にできることを知ると、ヴァリーの瞳はさらに輝きを増した。
彼女は注文表を手に取り、次々とスイーツを選んでいく。
しばらくすると、色とりどりのスイーツが運ばれてくる。
苺やブルーベリーが鮮やかに盛られたお菓子、たっぷりのフルーツがのったもの、香ばしいナッツなどの香りが漂う……。テーブルの上は甘く香ばしい匂いで満たされ、どれから手をつけるか迷うほどだ。
ホーネットシロップも使われている様で、独特の甘い香りが、ほのかに木の香りと混ざって鼻をくすぐる。
「や、やばい……こんなに……!」
「サクラちゃん!」サクラも待ってましたとばかりにポケットから飛び出し、輝く瞳で参戦する。
ヴァリーは小さく息を漏らしながらも、目を輝かせて皿を抱きかかえ、次々と口に運ぶ。
頬がほんのり赤く染まり、幸せそうな表情が浮かぶ。
二人は笑顔を浮かべ、目を合わせながら、無言のまま爆食いを続ける。
ヴェゼルは少し離れた席でその様子を見守る。
時折、自分もそっと手を伸ばして味わいながら、二人の無邪気な様子を心の中で微笑ましく思う。
皿の上のスイーツは目に見えて減り、甘い香りが個室全体に広がる。
ヴァリーの髪の毛がわずかに前に垂れ、口元に白い粉がついているのに気づき、そっと指先で払ってやる。
やがてサクラとヴァリーは大きく肩で息をつき、机に手を置きながら少しうつむく。
「……お腹が……パンパン……」
「もう、歩けそうにないですね……」
視線を落としてつぶやくその姿は、甘いものを食べすぎた満足感と、少しの恥じらいが混ざった、柔らかく愛らしい表情だった。
ヴァリーが言う。「さっきの、あの……」
ヴェゼルは席を立ちそっとヴァリーに寄り添い、肩に手を回す。柔らかい息遣いと温もりが伝わる。
「先ほどのことは気にしなくていいよ。僕は何も本当に気にしていないし」
ヴァリーは小さく涙ぐみ、ゆっくりと頷く。頬を赤く染めながら、かすかな声で言った。
「ごめんなさい……私のために、嫌な思いをさせて……」
ヴェゼルはすぐに抱きしめ、優しく背中をさすりながら慰める。
「もう、そんな顔しないで。大丈夫だから」
空気が柔らかく温かく包み込み、二人の間に一瞬静かな時間が流れる。
ヴァリーの肩の力が少しずつ抜け、心の奥に溜まったわだかまりが、甘いスイーツと優しい抱擁で和らいでいくのをヴェゼルは感じた。
その隣で、サクラも紅茶のカップを手にやり、涙を流しているかのように頬を濡らす仕草をした。
カップの縁を指先で軽く触れながら、目はわざとヴェゼルの方をチラチラと見つめる。
演技があまりにも計算されたかわいらしさ?に、ヴェゼルは思わず苦笑しながら、そっとサクラの頭を撫でた。
髪の毛の柔らかさに指先が触れるたび、サクラは嬉しそうに小さく身をすくめる。
「……サクラも、本当にやることが……」
ヴェゼルは半ば呆れたように、しかし優しさを込めて呟く。
その光景を見ていたヴァリーは、少し肩の力が抜けたように自然と笑顔を取り戻す。
目尻に光る涙はまだ残っていたが、笑顔の温かさが部屋全体を包み込む。サクラも満足そうに声を上げた。
「みんな、人生楽しまなきゃね!」
ヴェゼルは微かに笑みを浮かべ、静かに呟く。
「たまにはサクラも良いことを言うんだな……」
それに対してサクラは、く「キーキー!」と声をあげて少し怒るふりをする。
口元に浮かぶいたずらっぽい笑みが、部屋の空気をさらに和ませる。
個室は三人の笑い声で満たされ、甘い香りと相まって、まるで時間がゆっくりと溶けていくかのように感じられた。
やがてヴェゼルは、ふとニヤリと笑みを浮かべ、近くのゴミ箱に手を伸ばす。
いつもの小さな収納箱を逆さにして、蓋を開ける。
中から、髪の毛がパラパラと落ちてくる。
「僕は気にしてはいなけどね、ふふっ。でも、今頃、ガヤルドさんは頭にハゲができて、恥ずかしいでしょうね」
ヴァリーはその意味を理解すると、想像の中で赤くなるガヤルドの顔を思い浮かべて、声を上げて大笑いする。
サクラもそれにつられ、声をあげながら、三人で楽しげに笑い転げた。
ヴァリーたちと別れた後、しばらくして、ガヤルドは魔法省の建物内へと足を踏み入れる。
長い廊下を歩くたび、周囲の職員たちが顔を見合わせ、くすくすと笑い声を漏らす。
ガヤルドは眉を寄せ、困惑の表情を浮かべる。
「……なんだ、この反応は……」
ガヤルドが席ついて、暫し。やがて、魔法省の第一席、ブガッティが現れ、ガヤルドの席へと歩み寄る。
第一席の声はあざけるように笑い声を含んでいた。
「おや……ガヤルド殿、その頭は……フォッフォッフォッ」
第一席は笑いながら、指でガヤルドの頭頂部を軽く指し示す。
「何がおかしいのですか?」
ガヤルドは顔を真っ赤にし、声を震わせながら反論する。
「ガヤルド殿の頭が……初代教皇様が伝えた、あの伝説上の『河童』そっくりになっておるのでな」
その言葉に、ガヤルドは動揺し、思わずトイレに駆け込む。
青銅の鏡を手に取り、頭頂部を確認すると、そこには見事に髪の毛が抜け落ち、地肌が露出していた。
「な、何だこれは……!」
ガヤルドは声を上げ、顔を赤くして恥ずかしさと混乱で震える。
自宅にすぐ戻り、帽子を深くかぶり直した。
その足取りには力がなく、肩を小さくすくめて、羞恥心を隠すかのように歩いた。
それ以来、彼は帽子を決して外さず過ごすこととなり、職員たちの間では陰で「カッパ」と呼ばれるようになった。
誰もがガヤルドの姿をこっそりと笑いのネタにする日々が続いた。
廊下を通るたびに、ちらりと覗き見る目や、微かに漏れるくすくす笑う声が伝播するが、彼は帽子を直す仕草を繰り返すしかなかった。




