第185話 バネット商会02(10/6/8:56追加)
ベンティガは、しばらく孫の顔をじっと見ていたが、やがて姿勢を正し、重々しく口を開いた。
「改めて話をさせてもらおう。まずは……数々の貴重な新商品を、この愚息のルークスに託してくださり、ありがとうございます」
そう言って、老人は大きな体を折り曲げるように深々と頭を下げた。その光景に、ヴェゼルは慌てて立ち上がり、手を振って制する。
「や、やめてください! 頭を上げてください。僕はそんな……」
「いや、こればかりは譲れん」ベンティガは頑なに首を横に振ると、その理由を語り始めた。
「今までは、我らバネット商会は帝都から南へ三日の距離、交易路が交わる領都ノアを本拠地とし、帝都の店はただの支店にすぎなかった。帝都においては、我らなど取るに足らぬ存在だったのだ。だが――」
老人の声が徐々に熱を帯びていく。
「知育玩具をはじめ、ビック領の商品を独占的に扱わせてもらったおかげで、今では他の商人や客から“皇室御用達”と呼ばれるほどの権威を得た。他にも、白磁、ホーネットシロップ、超希少なホーネット酒……それらを独占的に扱えるのもビック領あってのことだ。近頃は、そろばんやサッカーボールまで帝都の流行となり、その発祥がすべてバネット商会とされている。かつては横柄だった貴族や大商人すら、我らに頭を下げる始末よ。これも全て、ビック領の恩恵に他ならぬ」
ベンティガの目が細められ、言葉にこもる感情がさらに強くなる。
「それだけではない。ウマイモの栽培法や、燻製肉などの製法を惜しげもなく公開してくれる領地など他にはない。……本当に、感謝しかないのだ」
ヴェゼルは居心地が悪そうに身じろぎし、苦笑を浮かべる。
「大げさに言いすぎですよ。僕は……少し工夫をしただけです」
「ほう?」とベンティガは目を細め、鋭い視線を向けた。
「息子から聞いたのだ。これまでの商品の発案、すべてヴェゼル殿だと」
ヴェゼルは観念したように小さく肩をすくめる。
「……まぁ、母のオデッセイの助言や指導があったおかげです」
「やはり……」ベンティガは震える声で呟いた。
「発案は、我が孫ヴェゼル殿であったのだな」
その言葉と同時に、老人の目にじわりと涙がにじむ。横でルークスがにやりと笑い、声の調子を変えて言った。
「オヤジ! 今日はな、オヤジ……いや、バネット商会が! いやいや、この帝都そのものがひっくり返る、新商品を持ってきたんだ!」
「……帝都をひっくり返すだと?」ベンティガは怪訝そうに眉をひそめた。
ルークスが片目でヴェゼルに合図を送ると、ヴェゼルは斜めがけのバッグから小さな収納箱を取り出した。そこから、白く輝く箱を慎重に取り出し、卓上に置く。ルークスはその箱を開け放ち、声を張り上げた。
「これがビック領で作った、帝国初のガラスのコップだ!」
箱の中に並ぶ透明な器を見た瞬間、場にいた全員の息が止まった。ベンティガの手が震えながら伸び、その一つをそっと掴み上げる。
「……なんと透明で、なんと軽い……。しかも、この均一な薄さ……」
老人の喉がごくりと鳴った。
「これが……本当にビック領で作られたのか?」
「はい」ヴェゼルはまっすぐに答える。
「ルークスとうちの職人が、数ヶ月かけて製法を確立しました」
「……!」
ベンティガはそのコップを両手で掲げ、涙を滲ませた。
「これは……帝国の商売の流れが変わるぞ!」
興奮に揺れる声を受け、ルークスが胸を張る。
「皇妃さまへの献上分が三セットある。それが済んだら、バネット商会に五セット卸す予定だ」
「な、なんと!」ベンティガの顔が歓喜に染まる。
「これほどの宝を、我が商会に……!」
驚きと喜びの渦が収まったところで、老人は改めて問う。
「これも……ヴェゼル殿の発案か?」
「当然だろ!」とルークスが口を挟む。
「俺の甥っ子だぞ!」
「わしの孫でもある!」ベンティガも負けじと声を張る。
「私の未来の夫なんだから、当たり前よ!」とサクラが腰に手を当てて飛び出すと、ヴェゼルの横でヴァリーが真っ赤になりながら口をもごもごさせる。
「わ、私の未来の夫……でもあります!」
その瞬間、応接間にいた全員が一斉に吹き出し、笑いに包まれた。




