第178話 ガラス
ある日の昼過ぎ――。
ヴェゼルは領館の大広間の窓辺で、オデッセイが作った温かいハーブティーをゆっくり飲んでいた。
そんな穏やかな空気を突き破るように、廊下の奥からドタバタと駆ける足音が響いてくる。
「できたぞーー!!」
大きな声とともに、ルークスが勢いよく扉を押し開けた。
その右手には、何かを掲げている。光を受けてキラリと輝くそれは、まるで透明な宝石の塊のように見えた。 が――ルークスはお約束のごとく、そのまま勢い余って、ドア枠の下に足を引っかけた。
「うわっ!?」
皆が同時に「ひっ」と声をあげる。
ルークスは派手にバランスを崩しながら、右手の“それ”を反射的に放り投げた。放物線を描いて、空中で光る透明な物体。
「フリード様ぁあああ!」
「なんで投げるんだお前はッ!」
叫びながらも、フリードは稲妻のように動いた。
椅子から立ち上がると同時に床を滑るようにスライディング。ギリギリのタイミングで透明の“コップ”を両手でキャッチした。
「……っふぅ」
フリードの渋い顔に、うっすら汗が滲む。
彼は大きく息を吐き、手の中の“それ”をそっと確認した。無事、割れていない。 周囲は、どっと安堵のため息を漏らした。
派手に転んだルークスが床の上で片手を挙げた。「へへ、ギリギリセーフ!」
「何がセーフだ馬鹿者!」
フリードが低く唸るように叱責する。だが、その口元には微かな笑みもあった。
そこへクラフトが遅れて飛び込んできた。顔は興奮で紅潮している。
「ヴェゼル様ぁあああ!! ついに完成しましたっ!! ありがとうございますっ!!」
彼は走り寄って、ヴェゼルの両手を掴んでぶんぶんと振る。ヴェゼルは目を瞬かせた。
「え、ええっと……」
サクラが頭の上でくすくす笑った。
オデッセイが一度手を叩いて場を落ち着けた。「とりあえず、応接室に移りましょう」
応接室に移動した一同は、それぞれ椅子に腰を下ろした。
フリードが慎重にテーブルの中央に置いたのは――透明なコップ。光を受けてきらめき、周囲の顔を鏡のように映し返す。
「……これは……」
ヴァリーが呟く。 それは直径十センチほどの、透き通るようなガラスのコップだった。厚みは均一で、表面には波一つない。 まるで帝都の貴族が使う高級食器のような仕上がりだった。
ヴェゼルはそっと手を伸ばした。
指先に触れる感触は、ひやりと冷たい。光を透かせば、どこまでも澄んだ透明度。
それは彼が抽出した特別な珪砂――鉄分をほとんど含まない、清浄な砂を使っているからこその透明さだった。
テーブルの上には同じものが四脚並んでいた。 どれもほぼ寸分違わぬ形で、ぴたりと揃っている。 館内に歓声が広がった。
「すごい……!」
「きれい……!」
アクティが思わず身を乗り出す。サクラも、ひょっこりとヴェゼルの頭の上から顔を出して、きらきら光るガラスをのぞきこんだ。
クラフトが、ゆっくりと小さな袋を取り出した。「アクティ様、両手を出してくださいませ」
「わ、わたし?」
おずおずと両手を出すアクティ。その掌に、クラフトは袋を逆さにした。
こぼれ落ちたのは――小さなビー玉だった。 緑、青、水晶のように透明なものまで、いろんな色がきらきら光る。ヴェゼルからもらった鉱物を混ぜて色々な色が出来上がった。
「わぁあああああっ!!」
アクティは奇声を上げて大喜びした。両手の上でビー玉を転がし、頬ずりしそうな勢いだ。サクラも隣で目を丸くしていた。
「きれいねぇ……」
ルークスがクラフトの肩を組んだ。
「なっ、なっ! この二ヶ月間、俺とクラフトで寝食を共にして、試作と失敗を繰り返して、ようやくここまで来たんだぜ!」
「ルークスさんがいなければ、もっと時間がかかっていましたよ」 クラフトが照れたように笑う。
ルークスは大声で宣言した。「まぁ、俺は口をだしてただけだ!でも、もうクラフトは俺の片割れだ! 俺たちは一心同体! 相棒だ!」
「や、やめてくださいよ」 クラフトは頬を赤くして苦笑する。だがその目は嬉しそうに輝いていた。
「よーーーし! これからは、売って、売って、売りまくるぞーー!!」
館内に笑い声が広がった。 オデッセイが柔らかい声で言う。
「まずは皇妃様に献上しましょうね。きっとお喜びになるわ」
その言葉にルークスがピタリと動きを止め、にやりと笑った。
「おいヴェゼル、お前も一度帝都に行かないか?」
「……えっ?」
突然の誘いに、ヴェゼルは思わずオデッセイの顔を見る。
オデッセイはしばらく考え、やがてゆっくりと頷いた。
「それも良いかもしれないわ。ここで皇妃様にお会いして、あなたの人となりを知っていただいた方が良いかもしれない。わたしは行ってもよいと思うわよ」
「僕が……帝都に……」
ヴェゼルはガラスのコップを見つめた。 透明な器の向こうに、自分の顔が小さく映っている。
まだ幼さが残るその顔に、決意が少しずつ宿っていくのを、彼自身も感じていた。
窓の外では、秋の風が静かに木々を揺らしていた。 領館に新しい朝が訪れ、そして次なる物語が動き出そうとしていた――。




