第168話 ようやく、パンツくった 02
二次発酵を終えた生地を取り出すと、ふっくらと柔らかく膨らみ、まるで赤ん坊のほっぺのよう。
「うわあ……! さわったら、ぷにぷにしてる!」
アクティが両手で押そうとするのを、セリカが慌てて止める。
「だめだめっ、潰れちゃう!」
「ええ〜っ、ちょっとだけ……」
「形を作るのはこれからです」
ヴァリーが微笑みながら言うと、みんなの目が一斉に輝いた。
「じゃあ、私は自分の形にする!」
サクラは即断即決。ふわふわの生地を自分そっくりの等身大に整えはじめた。
「サクラちゃん……それ、でかくない?」
「いいの! だって私を食べてもらうんだもん!」
「……何を言い出してるんだ」
ヴェゼルは額を押さえた。
一方、アクティは謎の生き物をこねている。頭は三角、体は丸、足が四本。
「これ、なに?」とセリカが尋ねると、
「ふわふわのまもの!」と自信満々に答える。
「食べものを魔物呼ばわりするの、よくないですよ……」
セリカは普通に丸パンを作り始めた。
ヴァリーとヴェゼルは手際よく、生地を丸め、表面を張らせて並べる。
「ほら、こうやって表面をつるっとさせると、きれいに焼けます」
「なるほど……勉強になるな」
全員の分を並べ終えると、いよいよ窯入れだ。
薪を燃やし続けて温めておいた石窯は、今や赤々と熱を帯びている。
ヴェゼルが火加減を確かめ、恐る恐るパンを投入。
「……さて、どうなるか」
緊張の一瞬。
隙間を開けて覗き込むと、あっという間に生地が膨らみ、表面がぷっくりと割れていく。
「おおお……! ふくらんでる!」
「わぁああ! かわいい!」
サクラが大興奮で飛び跳ね、窯の上でくるくる舞った。
「火力が強いから、油断すると焦げるよ」
ヴェゼルが慎重にタイミングを見計らう。
十数分後――表面がこんがり色づき、香ばしい香りが立ちのぼった。
「……よし! 出すよ!」
石窯から取り出されたのは、見事な白パンたち。
上だけほんのり茶色く、全体はふわふわの白。
「わあああああ!」
「すごーい!」
「これが……ふわふわパン!」
その瞬間、タイミングよくオデッセイが領館から駆けてきた。
「あら?……いい匂いがすると思ったら」
「ちょうど焼けたところです! 一緒に食べましょう」
みんなでテーブルを囲み、いざ実食。
「いただきまーす!」
――ひと口かじる。
全員、無言になった。
しっとり、ふわふわ。
口の中で優しい甘みが広がる。
今までの固いパンでは決して味わえない、雲のような軽やかさ。
「……っ!」
アクティが先に声をあげた。
「なにこれ! ふわっふわ! こんなパンはじめて!」
その言葉を皮切りに、全員が口々に絶賛し始める。
「やわらか……! 噛まなくても溶ける!」
「これならいくらでも食べられますね!」
「もう固いパンには戻れない……」
「このままパンを枕にして寝たい!」
もはや賛辞なのか願望なのか分からない。
だが誰もが笑顔で、無心にパンを頬張った。
気がつけば、テーブルの上は空っぽ。
夢心地でパンを食べ終えて、全員が椅子にぐったりもたれかかっている。
――その時。
「ただいま!戻ったぞ!」
フリードが汗を滴らせながら帰ってきた。背後にはカムリとグロムの姿もある。
「魔物退治、大変だったんだぞ!それより今日は、ふわふわパンが焼けるんだろう?」
「おう……って、この良い匂いは!?」
フリードの鼻がぴくりと動く。
その瞬間、アクティがにやりと笑った。
「ふわふわパンなら、もうないよ!」
「なっ……なにぃぃぃ!?」
フリードの絶叫が館に響き渡った。
「俺は! 俺はパンのために今日一日、生きてきたのに! どうして俺だけ……!」
その場に膝をつき、天を仰ぐ。
「神よ……これは試練なのか……!」
オデッセイは気まずそうに視線を逸らし、カムリは「また始まった」と呆れ顔。
グロムはというと、ただただ羨ましそうにテーブルを見つめている。
その時、サクラがぽんと手を打った。
「私のパンは残ってるわよ!」
皆の視線が一斉に向かう。
テーブルの隅に鎮座する、等身大の「サクラパン」。
「……でかっ!」
「……こわっ!」
「……似てる! でも……胸と腰が大きすぎない?」
三者三様の感想が漏れる。
「これを、俺に……やったあああ!」
フリードが手を伸ばした瞬間――。
「だめっ!」サクラが真っ赤な顔で叫んだ。
「これはヴェゼルに食べてもらうの!」
「な、なんだと……!?」
「絶対に! 絶対にヴェゼルが食べなきゃだめ!」
視線が一斉にヴェゼルへ集中する。
「……僕ですか……」
ヴェゼルは顔を引きつらせながらも、「まあいいか」とサクラパンにかぶりついた。
「ど、どう……!?」
「うん……美味しいよ」
ぎこちなく答えると、サクラは天にも昇るような笑顔を浮かべた。
だがその裏で、ヴェゼルは足の部分だけをこっそり切り取り、そっとフリードに渡した。
「……っ、息子よ……!」
フリードは涙目でパンを頬張る。
「ふわふわだ……! 本当にふわふわだ……!」
しかし、そこに冷たい声が響いた。
「サクラちゃんのパンを……おにーさまがおとうさまにあげた!」
――アクティである。
「なに!? 私の全部をヴェゼルに食べてもらうはずだったのに!」
サクラがヴェゼルに詰め寄る。
「ご、ごめん! でも、サクラパン、一番美味しかったよ!」
必死に謝るヴェゼルに、サクラは一瞬むくれたが、すぐに笑顔に戻った。
「じゃあ、許す!」
その場に安堵の空気が広がる。
――館へ戻る途中。
ヴァリーがヴェゼルの手をそっと握り、耳元で囁いた。
「ねえ……ヴェゼル様? 私のことは、いつ食べてくださるの?」
「っ……!?」
顔が一気に真っ赤になるヴェゼル。
その様子を見ていた従者トレノが、表情ひとつ変えずに呟いた。
「……お熱いですねぇ」
棒読みの声が、夕暮れの庭に妙に響いた。




