第18話 で、で、で、家に着きました。
長い旅路を経て、やっと故郷のビック領ホーネット村が見えてきた。丘を越えると、柔らかな陽光に照らされた田畑が広がり、風に揺れる麦や草の緑が目に優しい。
遠くには小さな川がきらきらと光りながら曲線を描き、のどかな水音が聞こえてくる。
鳥のさえずりもあちこちから聞こえ、久々の安心感が胸を満たした。
「ここが……俺の家の領地か」
小さな体で馬車から景色を眺めるヴェゼルは、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
親父脳で思考しても、懐かしさと安心感は変わらない。ここで育った日々、そして家族と過ごした日常が、目の前に広がる景色とともに蘇る。
丘を下り、石畳の道を進むと、やがて木造の屋敷が姿を現す。屋根の茅葺きは少し色褪せているが、庭の花や木々は手入れが行き届き、風に乗って花の香りがふわりと漂ってくる。途中で農作業の家族がこちらを見て手を振ってくれる。
馬車が敷地内の石橋を渡ると、子供の頃に走り回った小道や庭の小さな噴水も懐かしく目に映る。
そして家の前に到着すると、待っていたのは家族や使用人たちの顔だ。グロムやカムリ、セリカまでが勢揃いしていた。みんなが微笑みながら手を振る姿を見て、ヴェゼルの胸は高鳴る。
領館の門をくぐったその瞬間、アクティの小さな瞳がぱっと輝いた。
周囲の景色もまだ見えないくらい、頭の中は母と兄の顔でいっぱいだったのだろう。小さな体がぴょんぴょん跳ねる。
まず母オデッセイに駆け寄ると、その小さな両手を広げ、ぴったりと抱きついた。
「おかあさま――!」
声の張り上げ方からも、どれほどの期間会えなかったかが伝わる。オデッセイは柔らかく微笑み、膝を落としてアクティを抱き上げた。小さな体は母の胸にぴたりとくっつき、あまりの安心感にうとうとと目を閉じる。
オデッセイはアクティの頭を軽く撫でながら、久々の再会に目を細める。
しかし次にヴェゼルの方へ目を向けると、アクティは何かを閃いたようにすたすたと走ってきた。
「あにゅえ!(兄上!と言っているらしい)」と叫ぶ声が、周囲の庭の静けさを破る。
ヴェゼルはまだ旅の疲れが残っている足取りを意識して、腰をかがめて両手を広げる。するとアクティは躊躇なく飛び込み、小さな体をぎゅっとヴェゼルに押し付けた。
「うわっ、重い、重いよ!」
ヴェゼルは苦笑いを浮かべながらも、ぎゅうっと抱き返す。アクティはそのまま小さな足をぶらぶらさせ、満足そうに笑った。ヴェゼルは理性をフル回転させ、アクティが落ちないようにしつつ、「この子、力の加減とかまだ分かってないな……」と内心でつぶやく。
だが、次に目が合ったフリードには、アクティの反応がまるで違った。フリードが腕を差し伸べても、アクティはぴたりと足を止め、腕を振りほどくように後ずさりする。フリードは「ん?」と首をかしげ、戸惑いの色を隠せない。
「おとーさま…? きょうは、ちょっと…いや、なんか…いやだ…」
アクティの小さな顔に浮かぶその決意は、二歳児にして父親拒絶の意思表示。フリードはその視線を受け止め、少しぎこちなく手を降ろすしかなかった。母オデッセイは小さく吹き出す。
「あら、フリード、今日は特別扱いね」と、いたずらっぽく微笑む。ヴェゼルも思わず吹き出す。アクティは母と兄に夢中で、父をあっさり無視する二歳児の意志の強さを見せつけたのだ。
フリードは無言で腕を組み、少し寂しげに目を細める。しかしアクティはそれを全く気にせず、母とヴェゼルに寄り添いながら、庭の草をむしったり、小石を転がしたりして遊び始めた。
「お父様には…ちょっと冷たいのね」とオデッセイが囁くと、ヴェゼルは肩をすくめ、「いやぁ、これはもう仕方ない。俺も昔は子供の頃、親父には素直じゃなかったし」と苦笑する。
フリードはその様子を見ながら、脳筋的に「……よし、無理に抱きつかなくても、後で剣の鍛錬で信頼を得ればいいか」と納得してしまう。周囲の者たちは苦笑しつつも、アクティの甘えっ子ぶりと父の鈍感さに笑いをこらえるしかなかった。
その後もアクティは母とヴェゼルの膝を行き来し、二人に抱きつきながら小さな手をぱたぱたと動かして、体全体で喜びを表現した。オデッセイは「久しぶりに会えて嬉しいね」と優しく話しかけ、ヴェゼルはアクティがまだ小さいために危険な行動を取らないよう細心の注意を払う。
一方フリードは、アクティの冷たい反応に軽くため息をつき、眉間にしわを寄せながらも、なんとかニコリと微笑もうとするが、アクティは知らんぷりで母と兄に甘えるだけ。フリードの心は少しチクチクするが、どうやら二歳児相手には力や剣ではなく、忍耐と時間が必要らしい。
そこへグロム、カムリ、セリカもやってきて、軽く挨拶する。アクティは最初だけちらりと見てぺたっと手を伸ばすが、すぐに母とヴェゼルに戻ってくる。まるで「他の人は置いておいても、やっぱり安心できるのはこの二人」と言わんばかりだ。
家の中は久々に賑やかさを取り戻した。アクティは小さな体を揺らしながら母と兄に甘え続け、フリードは少し遠巻きに見守ることしかできない。ヴェゼルも「まあ、子供に嫌われるのも悪くない経験か」と苦笑しつつ、抱きしめられる暖かさに少しだけ心が和む。
庭の陽光が差し込み、家の木製の窓枠からは穏やかな風が入ってくる。アクティの笑い声と母の穏やかな声、ヴェゼルの控えめな笑い声が混ざり合い、久々の家は一気に生き生きとした空気に包まれた。
フリードは少し寂しそうにそれを見つめながらも、やがて肩をすくめ、心の中で「まあ、これも家族ってやつか」と納得する。アクティの小さな手に翻弄されながらも、家族の温かさを改めて感じるひとときだった。
「今日から、またここが僕たちの拠点だ」
ヴェゼルは小さく呟き、妹アクティの頭を撫でながら家の扉へと向かう。扉をくぐると、温かい木の香りと、家族のぬくもりが迎えてくれる。長旅の疲れも、魔法の騒動も、すべてこの瞬間には消え去り、久々の安心感だけが胸に広がった。
この家の中で、これからまた日常と学びが始まるのだ――そう思うと、自然と肩の力が抜け、心が軽くなる。ヴェゼルは深呼吸をし、再び目の前の家族たちに笑顔を向けた。母は静かに微笑み、父は力強く頷き、妹は嬉しそうに手を振る。その光景が、長旅の果てに得た最も大きな宝物のように感じられた。
ま、父はその後一人寂しく玄関前で黄昏ていたが。
久しぶりに、自分の家の扉を開ける。
「ただいま……」
母オデッセイの腕の中で、アクティが飛び跳ねる。留守番していた間の不安が、母の温かさとともに一気に解けていく。
父フリードには特に反応せず、彼はただ黙って見守る。アクティは母から離れようとせず、しばらく抱きついたまま、安心したように顔を埋めている。
「ただいま、みんな」
俺が声をかけると、グロム、カムリ、セリカ、トレノも順番に頭を下げて挨拶する。まるで、長旅の疲れを一瞬で忘れさせるかのように、家の中に温かい空気が流れる。
母オデッセイは微笑みながら、留守番組の手を順番に握る。「帰ってきて安心したわ。留守の間、何も大きな問題はなかったみたいね」
俺は頷き、心の中でこの平和なひとときを噛みしめた。外での戦いや冒険がどれだけ過酷だったかを、家族の安心した顔を見ることで、改めて実感する。
団欒の中で、アクティは母から離れず、ソファの座布団の上で丸まって眠り始める。グロムたちは近くに座り、時折その様子を見て安心した様子を見せる。家族の笑い声と動物たちのぬくもりが、長旅で張り詰めていた緊張を緩める。
「明日から、いよいよ本格的に学ぶことになるね」
母の声に、俺は少し緊張する。旅の間に学んだこともあるが、これからは家の中でしっかりと学ぶことが求められる。
「フリードからは剣術を、私からは魔法やこの世界の仕組みを学ぶことになる」
オデッセイは静かに説明を続ける。俺はそれを聞きながら、覚悟を新たにする。剣の腕は父フリードに、魔法や理論は母に。
少しずつ、この世界で自分が立つべき場所を理解していくことになる。
「ヴェゼル、最初は戸惑うことも多いかもしれないけれど、焦らなくていい。少しずつ、一つずつ学んでいけばいいわ」
母は優しく微笑む。
父フリードは、俺の覚悟を確かめるかのように目を細める。「まずは基本だ。剣を振る感覚を身体に覚え込ませる。それができなければ、戦場では役に立たん」
俺は黙って頷く。父の言葉には無駄な飾りはない。すべてが実戦に直結する現実的な教えだ。
母オデッセイはその隣で、教科書や魔法道具を並べ始める。
「魔法は単なる攻撃や防御だけじゃない。世界の仕組みや、科学的な法則と結びつけることで、もっと効率的に使える。ヴェゼル、あなたには少し先の未来も見据えて学んでほしいの」
俺は母の真剣な眼差しを受け止め、心の奥で決意を固める。「わかった……僕、頑張るよ」
アクティもそっと隣に座り、小さく手を握る。「あにゅえ!がんばろうね!」
俺は微笑み返し、少しずつ、家族と共に歩む日常と学びの日々の想像を膨らませる。
今日の平和なひとときが、明日からの訓練や冒険の基礎になることを、身体と心で感じながら――。




