第156話 アビー、来ホーネット
事前に届いていた手紙通り、アビーとその父親であるバーグマンがホーネット村に到着することになった。
ヴェゼルは前日からそわそわしており、隣に座るヴァリーは相変わらずにこにこ笑いながらその様子を見守っていた。
「ヴェゼル様、落ち着いてください。顔が赤くなってますよ」
ヴェゼルはあまり聞く耳を持たず、手のひらをじっと握りしめては深呼吸を繰り返すだけだった。
どう見ても緊張のあまり、肩で息をしているように見える。ヴァリーは小さくクスクス笑いながら、「まったく、落ち着きないですね」と心の中で呟く。
馬車が村の入口に差し掛かると、護衛を伴ったアビーの一行が姿を現した。
父親のバーグマンに加え、護衛3名のうち一人が見覚えのあるキックスであり、その隣には背の高い白いスータンをまとった聖職者が立っていた。
「……あの人がオースター司祭だよな……」
ヴェゼルは心の中で確認する。
確か、鑑定の儀の際に面識があった人物である。
まず、フリードとバーグマンが互いに軽い挨拶を交わす。
バーグマンはにこにこと笑いながら、胸を張って言った。
「ビック家から教えてもらったウマイモや魔物肉の燻製が、領民たちにとても喜ばれて、助かっているぞ!」
フリードも微笑みを返す。「これからもお互い協力を続けよう」
ヴェゼルは少し緊張しながらも、アビーと久々に挨拶を交わす。
しかしアビーはすぐにヴァリーに話しかけ、ヴェゼルの顔を見ながらクスクスと小声で談笑していた。
ヴェゼルはその光景を見て、少し困った顔になる。
「……ああ、これはまた何か言われるのかな……もしかして僕、なにかした?」
その間、アクティは背後から、ちらちらと兄の表情を覗き込む。
「ふつうは、なかがわるくなるものなのに、なんでわらってるのかしら?」
大人ぶった口調で解説している。
妹は兄が困るのが嬉しいのか?とヴェゼルは訝しむ。
その後、ようやくアビーはヴェゼルに近づくと、腰に手を当て軽く挑発するように言った。
「私がいる間は、私を一番に可愛がってね!」
ヴェゼルは「あ、そ、そりゃ……うん……」と答えるしかなかった。
ちらりとヴァリーを見ると、彼女も笑っている。
お互い納得しているのだろう。
アクティは兄が困る顔を見て嬉しそうだ。
応接室に入ると、まずオースター司祭が挨拶をする。
彼は現在、主にアビーの家庭教師を務めているらしい。
ヴァリーの後任で魔法省から派遣されてアビーに魔法を教えていたウルスも来たかったそうだが、急遽帝都に戻らなければならず、ヴェゼルに会えないことを非常に残念がっていたらしい。
ヴァリーによると、ウルスは年下で少し気弱だが、優秀な青年とのこと。両親も良い人で、妹は学園に通っているそうだ。
「唯一、魔法省で仲良くしていた友人です」と、ヴァリーは微笑む。
フリードが先日、ヴェゼルがローグ子爵の領地を訪問した話をすると、バーグマンは少し渋い顔をする。
戦争が終わったばかりで、まだ心配しているらしい。
だが、ローグ子爵やアルト夫人は親切で、アクティとローグ子爵の息子スイフトとも仲が良い。
「あまりにも仲が良くて、婚約する勢いだぞ!」
フリードが付け加えると、アクティは嬉しそうに顔を赤らめた。
オデッセイも、「経済面も人的交流も活性化して、共に歩んでいく予定です」と話すと、バーグマンは頷く。
「うちもローグ子爵と交流を検討しようか」
夕食の時間になると、まだ残っていたローグ子爵からの海の幸の魚介類を出すと、バーグマンとアビーも大喜び。
バーグマンはにっこり笑い、オースター司祭について言う。
「オースター司祭は信頼できる。教会の他の聖職者とは違うので安心だぞ」
オースター司祭も微笑む。「私は教会の所属ではありますが、心はバーグマン家の家臣としてあります」
アビーはうなずき、満足そうな表情を浮かべた。
そこでヴェゼルは、フリードとオデッセイの目を見る。二人が頷くのを確認してから、左手の小さな箱をそっと開けた。
「……出てきて、サクラ」箱の中から妖精であるサクラが顔を出す。
しかしどうやら夕食中だったらしく、またまた口をもごもごさせながら、抗議する。
「今、夕食中!! なんでいつも食べてる時に呼び出すのよ!」
オースター司祭は目を丸くし、絶句する。
100年以上も公の場に姿を見せなかった妖精が、目の前に現れたのだ。
サクラは威勢よく胸を張り、宣言する。「私は闇の妖精サクラよ! ヴェゼルの婚約者!」
場に一瞬の静寂が走った後、全員が思わず苦笑する。
サクラはさらに言い張る。
「私に惚れても無理だから! 私はヴェゼルのお・ん・な・なんだから!」
するとアビーが負けじと口を挟む。「私が第一夫人だけど!」
ヴァリーも負けずに立ち上がって言う。「私が側室第一夫人です!」
サクラはさらに張り切る。「私は妖精第一夫人よ!」
そこに、黒い顔をしたアクティが割って入る。
「みんなだいいちね! これからふえても、みんな、なにかの『だいいち』になるんじゃない?」
オースター司祭は困惑し、オデッセイは苦笑いしつつフォローする。
「まぁ、うちは毎回こんな感じなので……」
応接室は笑い声と絶叫で満ちあふれ、完全にカオスとなった。
ヴェゼルは「……これが俺の平和な日常か……」とつぶやきつつ、隣のヴァリーと視線を交わし、二人で微笑む。
バーグマンもオースターも唖然とした表情で、半ばあきれながらも、やはり笑いをこらえている姿が見えた。




