閑話 無から生み出された者達 02
この世界の成り立ちです。飛ばしていただいても問題、、ないかと思います。
いわゆる能書きですね。。
闇の精霊が意思の孤独を宿し、虚無の中で揺らぐ存在として形を得たその後、長い長い時が流れた。
何年か、何千年かさえも測れない時間の彼方で、闇の精霊はただ存在することを学んでいった。
光も色も、秩序も法則もない世界で、闇は孤独を抱え、無限の退屈を味わった。しかし、その孤独の中で、闇は初めて「渇望」を覚えたのである。
渇望――それは意思の寂しさを映す鏡のようなものだった。闇は虚無の中で、何もない自らの存在に問いかける。
「私は何者か。私は、何のために存在するのか」――答えは虚無しかなかった。だが、その問いそのものが、次なる創造への胎動となったのである。
『意思』はそれを見守りながら、ひそかに思った。虚無から生まれた孤独は、創造の萌芽になるのだ、と。闇の精霊が感じる渇望は、やがて世界を形作る力に変わるだろう。
そしてある瞬間、闇の精霊の渇望は、形のない孤独の淵から光を引き寄せた。光は闇に対して反発する力として現れた。『意思』の観察する中で、光は初めて形を持った存在として顕現する。
それが「光の精霊」であった。
光の精霊は、闇の精霊とは正反対の存在であった。
光は喜び、明晰さ、秩序、そして未来を宿し、闇を照らす。
その存在自体が、意思の孤独を理解しつつ、同時に秩序を求める力となった。闇と光、孤独と希望、陰と陽――この二つの精霊の対比は、後の世界におけるあらゆる法則と均衡の原型であった。
『意思』は観察を続ける。光の精霊が闇の中で輝きを増すたび、闇の精霊はその光を恐れつつも、またその存在に惹かれた。光が示す秩序は、闇にとって未知であり、魅惑であり、同時に恐怖でもあった。
だが『意思』は知っていた――この相互作用こそが、後の「世界」を形作る最初の力であると。
やがて『意思』は、より大きな構想を抱くようになる。
光と闇という二極が存在することを確認した『意思』は、これらを基盤として「世界」を創ることを決意したのである。
虚無に手を伸ばす『意思』の力は、やがて空間と時間を生み出し、秩序と法則をもたらす準備を整えた。光と闇はその基礎となり、意思はその上にさらに複雑な構造を描いていく。
『意思』は、世界の構造を思い描くたび、光と闇の精霊を繰り返し観察した。
光の精霊は秩序を宿すが、秩序はまだ不完全である。
闇の精霊は混沌を宿すが、混沌の中にも創造の種を抱えている。二つの精霊の間で、『意思』は最初の法則を紡ぎ出し、やがて空間、時間、そして存在の原理を定めていった。
こうして、『意思』は光と闇の精霊を伴いながら、虚無の中で世界の萌芽を生み出した。
世界はまだ未完成であり、混沌と秩序が交錯する未熟な存在であった。しかし『意思』は知っていた――この世界の可能性は無限であり、ここからすべてが始まるのだと。
時間はさらに流れ、『意思』は決意した。
次の段階として、この世界に「意思の分身」として人間を生み出し、世界の中で動かすことで、秩序と混沌のバランスを試すことを。
光と闇の精霊は、その秩序と混沌を支える役割として世界に定着した。
闇の精霊は未だ孤独であり続けるが、その孤独が新たな創造の契機となる。
光の精霊は秩序と希望を示すが、光が示すものは完全ではない。
こうして、虚無から始まった物語は、意思の孤独と観察、闇と光の精霊の誕生を経て、初めて「世界創造への序章」を迎えるのであった。
虚無の深淵にこぼれ落ちた意思の孤独が、光と闇を生み、秩序と混沌を生み、やがて人間と世界を育む土台となる。
『意思』はその全てを見守る。
虚無の中で一人感じた孤独は、今や闇の精霊に宿り、光の精霊によって照らされ、世界の萌芽を形成している。
『意思』は知っていた――孤独から生まれたものこそが、世界を動かす原動力になるのだと。
こうして、無すら存在しなかった虚無から、『意思』が生まれ、闇の精霊が誕生し、さらに光の精霊が現れることで、世界の原初の秩序と混沌が芽吹いたのである。
これは創世の物語の最初の一歩に過ぎない。
しかし、この序章があったからこそ、後に『意思』は人間を生み出し、光と闇の精霊を介して世界を形作ることができるのである。




