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第154話 かえろうか

そして今日も、一行はトール村へ向かっていた。


昨日と同じように、いや、もはや当然のようにスイフトくんと、変装したのローグ子爵も同行していた。


領政の仕事は大丈夫なのかと心配する者もあったが、それを口にしたのはヴェゼルではなく、隣に座っていたヴァリーである。


彼女は半ば呆れたように「領政は忙しくないのかしら」と小さく呟き、子爵は聞こえぬふりをして柔らかな微笑を浮かべるにとどめた。


馬車の車輪がガタゴトと音を立てる中、潮の匂いが次第に濃くなる。今日の目的ははっきりしていた。


日持ちする海魚を中心に買い求め、さらに持ち帰れるだけのタコやイカを手に入れること。


そしてその後、ローグ子爵の領館の庭を借りて一夜干しを作り、土産として持ち帰る算段であった。


やがてトール村に到着すると、村人たちは笑顔で迎えてくれた。昨日もたらされた新しい取引の話がすでに広まり、村全体がどこか活気づいていた。


村長の家を訪ねて干物を売ってもらうよう願い出ると、村長は快く承諾した。


「おかげで村人の働きに新しい意欲が湧いております」と感謝も述べたられた。


その後、村長とともに船着場へ向かう。


ちょうど漁から戻った船が並び、漁師たちが大きな網を引き揚げていた。


銀色の魚がきらめき跳ねる光景は、宝石箱をひっくり返したかのように美しく、一行の目を奪った。


タコやイカもすでに水揚げされており、昨日は分けてもらったが、今日はきちんと代金を支払って購入することいにした。


空いた時間に漁師と語らううち、意外な悩みが耳に入る。網には大きな魚ばかりでなく、小さな魚が山ほど獲れるが数が多すぎて、売るには小さすぎ、食べるのにも多すぎる。とても困っているというのだ。


実際に見せてもらうと、小指ほどの小魚が山積みになり、さらに十センチほどの魚も大量に混じっていた。


それらを観察したヴェゼルは考え込んだ。小魚は煮干しにできそうだ。十センチ程度の魚は鰯に似ており、魚醤に適していると直感したのである。


そこで「旅の商人から聞いた話」と前置きし、あたかも外からの知識であるかのように装って村長に語った。


「小さな魚は大きな釜で茹で、しっかり乾燥させれば保存食にもなり、料理の旨味を引き出す調味料としても使えるそうです」


「そして十センチほどの魚は、魚の量の三割ほどの塩を加えて樽に詰め、一年以上寝かせると強い塩気を持ちながらも実に風味豊かな調味料になると聞きました」


村長と漁師たちは目を丸くし、「そんなことが……!」と驚いた。


だが次の瞬間には表情が輝いた。


「塩なら海の目の前ですから、いくらでも手に入ります。ぜひ試してみましょう!」


大いに喜んでくれた。無駄にしていた魚が新たな収入源となるかもしれない――その希望が彼らの胸に灯ったのだ。






昼時、館の広い庭に朝にお願いしていた特設の焼き場がしつらえられた。


石を組み、鉄の板を載せただけの即席バーベキュー台であるが、朝から皆が楽しみにしていた「昨日干したタコとイカの一夜干し」を焼くための舞台であった。


ヴェゼルが火加減を整え、炭に火が回ると、料理長がタコとイカをのせて焼いていくと、次第に香ばしい匂いが立ち上り始める。


最初はアクティやスイフトが興味津々で近づいてきていたが、匂いの力は偉大だ。


館の執事が「これは……良い匂いでございますな」とつぶやき、いつの間にか侍女や庭師、兵士までもが、まるで導かれるように焼き台を取り囲み始めた。


誰も声を上げはしないが、視線は焼き台に釘付けで、今にも涎が垂れそうである。


耐えきれなくなったヴェゼルは助けを求めるようにローグ子爵の顔を見る。


子爵は苦笑しながらため息をつき、「昨日は村人たちにも手伝ってもらったしな。ここは皆で食べよう」と寛大に言い放った。


その瞬間、「おおお!」と歓声が上がり、兵士たちは兜を押さえて喜び、侍女たちは手を打ち鳴らし、庭師までも「働いてて良かった」と呟く始末である。


やがて一夜干しが焼き上がり、まずは毒味役のヴェゼルが一口。


「……うまい!」


その感想に一同がどよめく。


次に待ち構えていたローグ子爵が豪快にかぶりつく。


「な、なんだこれは! うまい! みんなも食べろ!」


その言葉を合図に、わらわらと群がる群衆。侍女も兵士も身分を忘れ、口いっぱいに干物を頬張り、「うまい、うまい!」と声を上げた。


アクティとスイフトも「あつっ、あっつ!」とハフハフ言いながら必死に食べ、見ているだけでこちらまで幸せになる。


するとそこに、漁師村の村長が遅れて姿を現した。鼻をヒクヒクさせ、匂いに誘われて来たのは明らかだ。


挨拶もそこそこに一夜干しを渡すと、村長は恐る恐る口に入れた。


そして次の瞬間――「うぅ……!」と泣きだしたのだ。


驚いた皆が理由を問うと、村長は嗚咽まじりにこう語った。


「漁師の村に生まれて、海を知っているつもりだった……だが、見た目が悪いと、ずっとイカやタコを粗末にしてきた。こんな美味さを見逃していた自分が恥ずかしい!」


その慟哭に、一同は胸を打たれた。


しかし、すぐさまローグ子爵が「いや、わたしも同じだぞ。領主としてここに暮らしていながら、昨日初めて食べたのだ!」と自嘲気味に言い放つ。


すると、場が一転して笑いの渦となった。


兵士たちは「領主様もか!」と笑い、侍女たちも「それなら仕方ない」と肩をすくめ、村長の涙もいつしか笑顔へと変わっていった。


こうして一夜干しパーティーは大成功。庭中が笑いと香ばしい匂いで満たされ、人々は腹をさすりながら満足げに空を仰いだ。


最後にローグ子爵が杯を片手に、「……これを食べると、酒が欲しくなるな」とぼそりと呟いた。その声に皆がまた笑い、宴は一層盛り上がった。


その後、村長が「乾燥小魚や塩漬け小魚も調味料として売れますし、海藻も人気が出ましょうな。ローグ家はますます栄えますぞ」と言い出した。


さらに調子に乗って「そうなれば、スイフトさまにも婚約の話が殺到するかもしれませんな!」と口にした。


四歳のスイフトは「えへへ……」と愛想笑いで誤魔化そうとしたが――


次の瞬間、ぞわりと冷たい気配を感じた。


振り返ると、アクティが氷のような視線を突き刺しており、その眼差しにスイフトは心底凍りついてしまったのだった。




その後は、領館で再びタコとイカの一夜干しを急いで作った。量はお土産用で少なかったので助かったが、手間をかけて仕上げた一夜干しは見事な出来栄えとなるだろう。




作業を終えると皆で食卓を囲み、海の幸に舌鼓を打ちながら楽しく賑やかな夕食をとった。


部屋に戻ろうとすると、背後から歩み寄ってきたローグ子爵が小声で語りかけてきた。


「惜しげもなく有用な知識を分け与えてくださったこと、心より感謝します。これで領地も今よりも大いに潤うかもしれない」


ヴェゼルは少し照れくさそうに「皆が豊かになるのなら、それが一番です」とだけ答えた。同行していたヴァリーもサクラも、にこやかに頷いていた。


笑い声が広間に満ち、その夜は心地よい疲れと共に更けていった。


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