第149話 スプリングハズカムカム
一行が辿り着いたその村は、地図にもろくに記されぬほどの小さな集落であった。
村の名はルータン。木造の家々は傾き、藁を積んだ屋根は強風に揺れている。
村人は三十名ほど、子どもは痩せ細り、老人は背を丸めて歩く。衣服は継ぎ接ぎだらけで、貧しさがそのまま形になっていた。
助けた母子の家は村長の家でもあった。
魔物に襲われていた娘を救われたと知ると、村人たちは一斉に頭を垂れ、感謝の言葉を並べた。
やがてヴェゼルたちがビック領の領主の子であると知らされると、彼らの表情は畏れと尊敬に変わり、それでも心の底から安堵と喜びが滲み出ていた。
「この村は……長らく貧しさにあえいでおりました。毎年、冬には必ず餓死者が出ておりました。しかし、ビック領から伝わった“ウマイモ”のおかげで、今年は一人も餓死者が出なかったのです。これほどありがたいことはございません」
村長は涙ながらに頭を下げた。ヴェゼルは胸の奥に温かなものを感じつつも、背筋が伸びる思いがした。
自らの領から広まった作物が命を救っている。その誇らしさと責任の重さに、少年ながら強く心を揺さぶられた。
その夜、村長はぜひ泊まってほしいと懇願した。
ルータン村は貧しく、いずれの貴族の庇護にも属していなかった。元はサーマセット領だったのだが、税を納めるどころか、援助ばかりを要するため、切り捨てられたのだという。
誰の庇護もなく、痩せた土地に身を寄せて暮らしてきた。ウマイモに救われたのは、奇跡としか言いようがなかったようだ。
夕餉は質素だった。干し肉を薄く切ったもの、塩気の少ない野菜の煮物、そして茹でたウマイモ。
だがそれらには、村人の真心が込められていた。わずかな蓄えから惜しげもなく差し出されたもてなしに、ヴェゼルたちは深く感謝した。
アクティも小さな手でウマイモを掴み、「おいしい」と微笑んだ。その無邪気な笑顔に村人たちは目を細め、嬉しそうに頷き合った。
「……ここまで来て良かった。やっぱり、人々が笑えるのは、実りがあるから。これを守るのが僕らの務めなんでしょうね」
ヴェゼルが小声で呟くと、隣にいたグロムが肩をすくめる。
「領主の息子が泣かせるようなこと言うんじゃねぇ。だが、確かに心に来るな」
食事後、ヴェゼルは村長の息子と話をした。畑の様子を尋ねると、返ってきたのは現実的な答えだった。
「ウマイモがなければ、とっくに村は滅んでいました。でも……この土地はもともと作物に向かないんです。白や透明の砂が混じっていて、畑にしても水を吸わず、養分もない。育つのはせいぜい芋ばかりで……」
息子は悔しげに拳を握った。必死に耕しても実りは乏しく、村の未来は見えない。
それでもウマイモだけが命を繋いでくれている。森のそばにありながら、幸い魔物は少なく、だからこそ村が維持できているのだという。
ヴェゼルはその話に妙な興味を覚えた。翌朝、朝食を終えるとすぐに畑へ出向いた。
村人に怪訝そうに見られながらも、手に取ったのは畑の土だった。乾いた土を指でこすり、匂いを嗅ぎ、目を閉じてその質を感じ取る。
――やはり、ただの痩せ地ではない。
すぐさま鑑定をしてみる。すると土には石英や花崗岩の粉が多く含まれ、白く輝く粒子が目立った。さらに珪砂、そして石灰が混じっている。農業には確かに不向きだ。
しかし、別の用途を考えれば、これは宝そのものであった。胸の奥に灯がともるような感覚に、ヴェゼルは小さく笑みを漏らした。
「村長さん。この土地は、確かに作物には向きません。でも、ここにあるのはただの砂や石ですが、あなた方を苦しめてきたこの土こそが、実は価値ある宝になるかもしれません!」
村長は驚いた顔をした。さらに説明を求めると、村長の息子は思い出したように話した。
「森の反対側、川沿いには白い砂や透明な石が多いのです。村人が試しに掘ってみたこともありました。そこからは大きな透明な石がでました。しかし、透明とはいえ濁りが多くて、近隣の街に持って行っても、商人にみてもらっても買い手はつかず……むしろ掘り出す手間や運ぶ費用のほうが高くついてしまったのです」
だからこそ、村人たちはその石をただ無駄なものと見なしていた。だが、ヴェゼルにとっては違った。
胸が高鳴る。石英、珪砂、石灰……そしてこれから向かうモンディアルでは海藻を灰にすれば。
つまり――ガラスを作ることができる可能性があるのだ。
それは新たな産業の芽であり、領にもこの村にも富をもたらす可能性に満ちていた。
「村長、お願いがあります。この村で掘り出した白や透明の砂や石を、ホーネット村まで運んでくだされば、必ず高値で買い取りましょう。もし馬車が足りなければ、ここで掘りためておいてください。後日、こちらから買い取りに伺います。それに今後はビック領の庇護を受けませんか? サマーセット領の領主様を説得します」
その言葉に村長の目は大きく見開かれ、やがて喜びに震えた。
これまで誰にも見向きされなかった土地と石とこの村に、価値を見出してくれる者が現れたのだ。
「……本当に、そんな日が来るとは……! ありがとうございます、ありがとうございます!」
村長は涙を流し、何度も頭を下げた。村人たちも歓声を上げ、互いに抱き合い、未来への希望に心を躍らせていた。
ヴェゼルはその光景を見つめながら、拳を握った。
痩せた土地と打ち捨てられた村に、まさか新たな繁栄の種が眠っていようとは。
必ずや、この村を救い、この帝国にガラスという新しい光をもたらしてみせる――。
ルータン村に芽吹いた希望は、やがて帝国全土を照らす火種となるのかもしれない。
ヴェゼルはそう確信しながら、仲間たちと共に次の目的地、モンディアルへの道を再び歩み出した。




