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第147話 サッカーボール

シェルパ皇子とエストレヤ皇女は、ルークスが置いていったサッカーボールの説明書を手に取り、執事の丁寧な説明を聞きながら興味津々で顔を輝かせていた。


執事は、ボールの扱い方、蹴り方、そして簡単なルールを落ち着いた声で解説する。


しかし、皇子は聞きながらも、すでに手を動かさずにはいられない様子で、ちょっとした練習を始める。


「ほら、エストレヤも蹴ってみたらどうだ!」


皇子は皇女の手を引っ張ろうとする。皇女はドレスの裾を気にしつつも、好奇心には勝てず、少しだけボールに触れる。しかし、二人だけではどうにも足りない。そこで皇子が笑いながら声を張る。


「よし、みんなも来い! 護衛も兵士も、ボールを蹴ろう! 試合だ!」


その声に呼応するかのように、周囲にいた護衛や兵士たちが集まる。


顔に多少の困惑を浮かべつつも、子供たちの楽しそうな顔を見れば、無下にはできない。


かくして、皇子、皇女、護衛、兵士が庭に並び、即席のサッカーゲームが始まった。


皇女はまだドレス姿で、ボールを蹴るには不便だ。あまりに勢いよく走れば裾を踏んで転んでしまう恐れもある。


すると、皇妃が窓から注意する声が響く。


「エストレヤ、そろそろおやめなさい! ドレスだと危ないですわ!」


仕方なく皇女は観戦に回ることにし、ドレスの裾をたくし上げて安全な位置から見守る。


皇女の視線は真剣そのもので、目の前で繰り広げられるドリブルやシュートに、思わず小さな声で歓声を上げる。


はじめは「まあ、子供の遊び」と笑って眺めていた皇帝も、次第にその熱気に引き込まれ始めた。


予想外の駆け引きや瞬間的な判断が続くたび、皇帝の目が輝き、思わず拳を握り締める。


「これは……なかなか熱い戦いだな」


皇妃もまた、静かに見守りながら、次第に真剣な表情に変わっていく。戦術も戦略も駆使すれば、子供の遊びとは思えない高度さになる可能性を感じ取っていた。


その瞬間、皇帝は思わず口を開く。


「我慢ならん! わしも参加しよう!」


庭に飛び出した皇帝は、宮廷の威厳を一切無視し、ボールを蹴るとその重厚な足取りで猛然とドリブルを開始した。


皇子も皇女も護衛たちも驚きつつも大喜びで、皇帝を相手に奮闘する。


「皇帝陛下まで参戦されるとは!」護衛たちは思わず笑いながらも、ボールを追いかけるのに一瞬躊躇する。


皇帝はにこやかに笑いながら言う。


「このサッカーボールは無礼講だ! 我らも思う存分楽しもう!」


その一言で、参加者全員の気持ちは一気に高揚する。子供も大人も、役職も関係なく、庭は笑い声と歓声に包まれた。


球が弾むたびに、誰かが転び、誰かが笑い、そして誰かが歓声を上げる。


皇女もその熱気に圧倒され、観戦席から手に汗を握り、顔を輝かせる。


皇妃は初めてこの光景を目の当たりにし、心の中で思わず感嘆する。


「これは……ただの遊びではないわ」


確かに子供のための遊具として献上されたはずのサッカーボールだが、ここには数多くの学びと工夫が詰まっている。


体力の向上、瞬間的判断力の養成、仲間との信頼関係の構築、攻めと守りの作戦立案……まさに、軍事訓練の要素まで含まれているではないか。


皇妃はオデッセイとヴェゼルの慧眼に、改めて舌を巻く。


時間が経つにつれ、参加者たちは次第に汗だくになった。


庭に設置した即席ゴールをめがけて、皇子や兵士たちは全力で走る。


皇帝は息を切らしながらも笑顔を絶やさず、皇女も観戦席から手を振って応援する。


やがて、そろそろ終わりの時間が近づく。全員が汗を拭い、息を整えながらも、皆の顔には満足げな笑みが広がる。皇帝はふとつぶやく。


「……このサッカーというのは、実に楽しいな」


皇妃も小さく頷き、庭での熱戦を思い返す。


「これは……体力の強化だけでなく、駆け引きや仲間との信頼構築にも役立ちそうですわね」


その様子を見つめるエクストラ宰相の顔は、蒼白と苦悩の入り混じった表情だった。


目の前で繰り広げられる光景は、宰相の価値観を揺さぶる。


かつて自分が「合理的」と思い込んでいた視野は、この一戦によって一瞬にして揺らぎ、ビック領の柔軟さと知恵に打ちのめされているのだ。


宰相は固く口を結び、眉間にしわを寄せる。


頭の中では、「ただの遊び」という前提でしか考えられなかった論理が、次々と崩れ去っていく。


ビック領は皇帝から見ても忠臣の領主だ。初代から受け継がれる信頼関係、そして自身の固定観念。すべてが、汗と笑いにまみれたサッカーの試合によって、再評価を迫られていた。


皇妃は宰相に向けて、静かにしかし確信を持って告げる。


「ビック領の人々は、私たちが信頼すれば、その信頼を返してくれる人たちです」


宰相は視線を逸らしつつも、その言葉の重みを感じざるを得ない。自身の視野狭窄を認めざるを得ない瞬間だった。


皇帝は再び庭に視線を向け、汗まみれの皇子と護衛たちを見つめながら、つぶやく。


「これほどの道具や遊び、我々では考えもつかないな……」


皇妃は微笑みながら、そろばんやサッカーボールを手掛けたオデッセイとヴェゼルの才覚に改めて感嘆する。


遊びでありながら、学びであり、戦略であり、コミュニケーションであり、信頼構築である――そんな道具を生み出す才能は、もはや天才ですらない。


庭の芝生には汗と笑いの痕跡が残り、皇子たちは満足げに座り込み、皇女も観戦席から笑みを浮かべる。


皇帝は立ち上がり、思わず深呼吸をして胸を張る。


「……我が帝国の軍に、これを導入するのも悪くはないかもしれぬな」


宰相は苦虫を噛み潰した表情で、皇帝と皇妃の会話を見つめる。その心中には、ビック領の柔軟さと恐ろしさを改めて認識する思いが去来していた。


こうして、サッカーボール一つが、皇子たちの遊びを超え、庭を舞台にした即席の軍事戦術演習の可能性を見せつけ、皇帝・皇妃・宰相にまで衝撃を与える結果となった。


単なる遊びが、帝国の価値観と視野を一変させる瞬間――それは確かに、オデッセイとヴェゼルの才覚の賜物であったのだ。

この遊びはサッカーではなく、皇帝が言った「サッカーボール」という遊びになりそうですね。。


あと、皇妃の深読みが。。

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