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第145話 新商品を皇妃に献上にいく 02

そして、ルークスの献上は通常の予想よりもはるかに早く決まる。


皇妃との面会が明後日に決まったのだ。


帝都で皇族に拝謁するとなれば、どれほど身分のある商人であっても一ヶ月や二ヶ月は待たされるのが常識である。


人によっては半年、あるいは一年先延ばしされることさえ珍しくない。


そういう意味で、前回もそれほど時間もかからなかったのは、オデッセイのおかげかもしれない。


今回も二日後に「皇妃に会える」というのは、異例中の異例であった。




当日。


バネット商会からは選り抜きの者たちが随行した。


献上品とお試し用の民生品を十個ずつ、丁寧に箱に収め、厳重に封をして運ぶ。


皇宮の門で待ち構える兵たちによる入念な検分を受け、ようやく宮中へと通された。


ルークスは心を落ち着け、控えの間に座して待った。


案内されたのは広間ではなく、皇宮の中ではこじんまりとした一室である。


床には上質な絨毯が敷かれ、窓から柔らかな日差しが差し込む。その窓の向こうには広い庭が広がっていた。


しかし、そこに漂う空気はやはり張り詰めていた。


やがて先触れの声が響く。


「――皇妃様、ご入室」


ルークスは立ち上がり、深く頭を下げた。続いて、品のある女性がゆったりと入ってくる。


その背後には執事と、屈強な護衛騎士が二人。


ルークスが挨拶をしようとすると、皇妃は軽く片手を振り、「プライベートですので、形式ばった礼は省きましょう」と告げる。


思いがけない言葉にルークスは一瞬驚くが、すぐに表情を整え、柔らかな笑みを返した。


皇妃は椅子に腰を下ろすと、細い目を向けてくる。


「今回“も”献上ですか?」


その言い方に、ルークスは内心で苦笑した。


前回の知育玩具をはじめ、ホーネットシロップなどを献上したことを皇妃はよく覚えているようだ。


皇族のご一家がそれを気に入り、独占納入まで決まった経緯がある。


オデッセイのいたずらで毎回一つずつしか献上しなかったため、何度も足を運んだこともあったが、それがむしろ印象に残ったのだろうか。


ルークスは深呼吸し、今回の主旨を説明する。


「いえ、ただの献上品ではございません。これは、子どもから大人まで使え、計算を飛躍的に効率化する“道具”でございます。帝国の文官の方々の作業効率を著しく向上させる、画期的な商品でございます」


そう言って従者から小ぶりな箱を受け取り、蓋を開けた。中には磨き上げられた木枠に整然と並ぶ珠。


皇妃は首を傾げ、執事へ視線を送る。執事が慎重に検めた後、皇妃の手へと渡した。


皇妃はそろばんを手に取り、シャラシャラと音を立てる。


しかし表情は「よく分からない」というものだった。そこでルークスは自分の懐から使い込まれたそろばんを取り出し、机の上で実演を始める。


「下の一珠が四つ、上の五珠が一つ。これで一から九までを表せます。桁が増えれば左へ移り、小さくなれば右へ戻る。この仕組みを使えば、足し算も引き算も迅速に行えます」


珠がカチカチと心地よい音を立てる。皇妃は身を乗り出して見守り、やがて自らも指を伸ばした。


初めはたどたどしかったが、何度か繰り返すうちに数字の概念が珠の位置で示されることを理解し、その目が次第に輝いていった。


「……これは、面白いですね」


執事も覗き込み、感心したように頷く。ルークスはさらに民生用の一つを執事へ渡した。


執事も試しに珠を弾き、答えがすぐに分かることに驚きを隠せない。


「これは文官たちの仕事も格段に速くなるでしょう。……革命、と言っても過言ではありません」


皇妃はそう言い切り、ルークスは胸を撫で下ろした。


「ありがたきお言葉です。文官の方や官庁でもお試しいただけますよう、そろばんを十台献上いたします。もし追加が必要であれば、どうぞバネット商会までお申し付けください」


皇妃も執事も心底嬉しそうに頷いた。


その後、皇妃が問いかける。


「これを考えたのはやはり……?」


ルークスはにこやかに答えた。


「はい、私の甥のヴェゼルが考案し、それを姉のオデッセイと共に製品として仕上げました」


実際にはヴェゼルがほとんど独力で仕上げたが、あまりに彼一人の功績として伝えると脅威に映る恐れがある。


そのため、あえてオデッセイの名を添えて説明したのだ。


皇妃は少し考え、ただ静かにうなずいた。






次に取り出されたのは、サッカーボールである。


ルークスが説明書を添えて差し出すと、再び執事が受け取り、慎重に調べた。革で覆われ、弾力をもつ丸い球。手で押せば少し沈み、すぐに戻る。その感触は、帝国の玩具にはないものだ。


「こちらは屋外で遊ぶための遊具でございます。簡単なルールを書いた説明書も添えてございます」


皇妃は説明書を手に取り、さらりと目を通す。だが、顔にはいまいちピンとこない表情が浮かぶ。


「……皇子に渡してみましょうか」


「やはり、こちらも考えたのは?」と皇妃が軽く尋ねる。


ルークスは無言で軽く頷く。


暗黙の了解で、これもヴェゼルが考え、オデッセイが監修したものと理解されたことだろう。


ルークスは内心で肩をすくめる。やはり、「道具」と「遊具」とでは反応がまるで違う。


そろばんのときのような感嘆は、どうやら今回のボールにはないらしい。


とはいえ、ボール自体は興味を失ったわけではない。


興味を失ったわけではないが、少なくともそろばんほどの衝撃はなかったようだ。




結局、サッカーボールは高品質の一つを献上するにとどめ、残りの十個は持ち帰ることにした。


 


面会が終わり、控え室へ戻ったルークスは深いため息をついた。


「……そろばんは大成功。サッカーボールは……まあ、子どもたちに遊んでもらえれば十分か」


その声には安堵と達成感が滲んでいた。


こうして、皇妃への献上は予想以上に順調に進み、帝国の中枢に「そろばん革命」の第一歩が刻まれたのである。


その一方で――


後に皇子がサッカーボールに夢中になり、皇宮の広場で臣下や護衛を巻き込んだ大騒動を引き起こすのは、また別の話である。


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