第139話 ローグ子爵の訪問
ルークスが帝都から戻った後、ビック領はいつものように活気に満ちていた。子供たちの声が村に響き、商人たちが市場を往来する。そんな昼下がり、領館に一報が届いた。
「サマーセット領のローグ子爵からです」
そう告げる使者の手には、厳しい筆致で書かれた文があった。
――先の戦の賠償を正式に支払い、謝罪のため、明日にでもビック領を訪れたい。
フリードは眉をひそめ、オデッセイと目を合わせた。戦争で散った命、領民の怒りと悲しみは未だ完全には癒えていない。だが、敵領の主が自ら訪れ、頭を下げようというのだ。
「どう思う?」とフリード。
「断る理由はありません。むしろ、この機会を逃す方が禍根を残します」とオデッセイ。
結局、二人は相談のうえ、来訪を受け入れる返事をした。
その場に居合わせていたアクティが、目を輝かせて声を上げた。
「じゃあ、スイフトくんとあえるのね!」
突然の喜びように皆が驚く。
ルークスの聞くと、どうやらアクティはサマーセット家に囚われていた頃、ローグ子爵の息子スイフトくんと仲良くなり、友達になっていたのだという。
ルークスに聞くと、スイフトの母であるアルトも、夜中にアクティが寂しくて泣いていたとき、やさしく抱きしめてくれたことがあったのだという。
その言葉に場が静まり、敵領の人々の表情が少しだけ変わった。そして、アクティは言う。
「ローグさんも、わたしにあうたびに『ちちとおとうとが、きみにはすまないことをした』って、いってくれてたの」
憎しみだけで割り切れる関係ではなかったことを、子供の言葉が物語っていた。
翌日。
領館の前に、きらびやかな馬車が到着した。
サマーセット子爵家の紋章を掲げたその馬車から、ローグと妻アルト、そして息子スイフトが降り立つ。
随行の従者たちも整列し、領館の門前は一気に緊張の色を帯びた。
挨拶もそこそこに応接室へ通されると、ローグは周囲を見回し、静かに切り出した。
「……アクティ殿とスイフトを、別室で遊ばせていただけますか?」
フリードは無言で頷き、セリカを付き添わせて子供たちを別室に案内した。
「スイフトくん!」
「アクティちゃん!」
二人は再会を喜び、飛び跳ねながら部屋を出ていった。
子供たちの声が廊下に消えたのを確認すると、ビック領の従者や侍女も大勢いるなかで、ローグとアルトは同時にソファから立ち上がり、床に額をつける勢いで深く土下座した。
「このたびは……我らの愚かさにより、尊き命を奪い、貴領に計り知れぬ災厄をもたらしました。誠に、誠に申し訳ございませんでした!」
頭を床に押しつけ、声を上げる二人。その光景に、ビック家の一同は思わず息を呑んだ。
「……顔をお上げください」
沈黙を破ったのはフリードだった。声は低く、だが静かに響いた。
「謝罪の意を受け入れます。これ以上、頭を下げる必要はありません」
そして、ようやくローグとアルトは顔を上げ、安堵の色を浮かべながらも、まだ悔恨の影を残していた。
その後、ローグの従者ハスラーが大きな箱を運び込み、蓋を開けると黄金色の輝きが広がった。金貨五千枚――賠償金である。
「これは戦の責を贖うものの一端にすぎません。ですが……」
ローグは言葉を選びながら続けた。
「いきなりはお互いも領民も納得しないかもしれない。それでも、これからは友として歩めるよう努めたいのです」
フリードとオデッセイは静かにうなずいた。お互いの領民の和解の道は険しいだろう。しかし、第一歩を踏み出すことこそが重要だった。
ふと、ローグが躊躇いがちに口を開いた。
「もし許されるなら……今回の戦で亡くなった方々の墓に、献花させていただきたいのです」
フリードは即座に承諾した。
村の中心にある石碑の前。
戦で倒れた者たちの名が刻まれたその碑の前に、領民が集まっていた。ビック領の民は、ローグ一行を白い目で見つめていた者も大勢いた。憎しみと不信の視線がローグ一行に突き刺さる。
ローグはその視線を真正面から受け止めると、静かに膝をつき、花を手向けた。アルトも隣に座り込み、涙を流しながら祈りを捧げる。
「……二度と、このような愚行を繰り返しません。どうか安らかに」
その声は震えていたが、確かな誠意が込められていた。領民たちは無言で見守り続けた。やがて、少しだけだが空気が和らぎ、敵意が溶け出すように静まった。
そして、改めて領館の応接室に戻った。
みんながソファに座ると、ヴェゼルはふと記憶を呼び起こす。
「そういえば、お母さんが昔、錬金塔にいた頃の話を聞いたんです。解毒薬を改良したせいで、サマーセット領の海藻が使われなくなって、大打撃を受けたとか」
ローグは驚いたように目を瞬かせ、そして苦笑した。
「……ええ、事実です。あのときは我が領も随分と苦しみました」
「……ご相談なのですが、今後うちの領で使う予定があるかもしれませんので、その時はサマーセット領から海藻を購入してもいいでしょうか」
「……! それは大歓迎です!」
ローグの顔が明るくなった。敵対ではなく、交易という形で新しい関係を築ける。そこに未来への希望が見えた。
「できれば、サマーセットの海のある街に行ってみたいです」とヴェゼルが言えば、ローグは即座に答えた。
「ぜひ来てください! あの海は帝国内でも誇れる景観です」
「やった!」
なぜか、横で聞いていたアクティの目が輝き、嬉しさを隠しきれない様子だった。
それを見ていたフリードとオデッセイは首を傾げて見ていた。
夕暮れ、領館に戻った一同。
フリードは「今夜は泊まっていかれては」と申し出たが、ローグは丁寧に断った。
「本日はこれ以上の厚意を受けるわけにはいきません。ですが、次の機会にはぜひ」
そうしてローグたち家族は、深々と頭を下げて館を後にした。
門を出て行く馬車を見送りながら、ビック家の面々はそれぞれに思う。
戦で流した血は消えない。憎しみも。だが、確かに和解への一歩が刻まれたのだ。
ただひとり、アクティだけは終始にやにやと笑顔を隠せなかった。
「えへへ……スイフトくんに…………」
その無邪気な声に、重かった空気が少し和らぎ、皆の口元にも小さな笑みが浮かんだ。
こうして、ビック領とサマーセット領の関係は、新たな転機を迎えた。
謝罪と和解、そして子供たちの友情。その全てが、未来への道筋を静かに照らしていた。




