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第132話 公爵家からきたコンテッサさん 2

 ある日、帝都のベントレー公爵邸に呼び出されたコンテッサは、緊張の面持ちで執務室へと足を運んでいた。


 父は代々ベントレー家に仕える執事の家系であり、今も公爵のすぐ傍らに仕えている。


幼い頃から父の背を見て育ったコンテッサにとって、公爵は敬意と畏怖を同時に抱かせる存在だった。そんな人物が直々に呼びつけるなど、ただ事ではない。


 案内の者に導かれ、扉の前で深呼吸を一つ。扉が開くと、そこには柔らかな光の差し込む間で、椅子に腰かける公爵の姿があった。父も控えている。


「来たか、コンテッサ」


 威厳ある声に、コンテッサは深く頭を垂れた。


「はい、公爵様」


 そして告げられたのは予想だにしない言葉だった。


「そなたには、辺境のビック領に出向してもらいたい」


 驚きに目を見開くコンテッサ。彼女は今、諜報部門に所属し、領内外の揉め事や間諜の摘発を担当していた。


時に排除も厭わぬ危険な任務。それでも自ら志願し、誇りをもって働いていた。だからこそ、公爵の命がただの左遷や遠ざけではないと直感する。


 公爵は続けた。


「もちろん、拒否しても良い。だが――行ってもらいたいあの家は特殊だ。いずれ帝国の運命を左右する立場となる。そなたの才を、そこで役立ててほしい」


 その名を耳にした瞬間、コンテッサの胸が高鳴る。


――ビック領。


 先日、帝都でも大きな話題をさらった戦。兵数百対五千という絶望的な戦力差を覆して勝利した領だ。貴族街のサロンでも、街角の居酒屋でも、噂は広がり続けていた。


「五千の大軍を打ち破ったらしい」


「そんな馬鹿な、誇張だろう」


「いや、確かに勝ったと……」


 コンテッサも何度も耳にした。だが公爵の口から、はっきりと「あの領は未来を担う」と告げられた時、その戦果があながち虚構でないことを悟る。


 コンテッサの父テリオスは、代々ベントレー公爵家に仕える執事であり、娘がビック領に出向する話を公爵から聞かされたとき、しばし考えた末に同意した。


帝都の諜報の渦中にいるよりも、辺境の地のほうが娘にとって危険は少ないかもしれない――そう信じたからだ。


 その判断の裏には、妻ルーミーの死があった。


かつて諜報部に身を置いていた彼女は、幼いコンテッサを残し、任務中に賊との戦闘で命を落としたのだ。あの時の無念を二度と繰り返したくはなかった。


 「コンテッサが望むのなら、私は喜んで受け入れましょう」


 そう口にした父の胸には、母を失った娘の未来が、今度こそ安らぎに満ちたものであるようにという切なる願いが宿っていた。


 さらに、公爵は淡々と続ける。


「あの領の主の妻は皇妃エプシロンの親友。そしてエプシロンは、その嫡男を庇護すると約束している」


 その言葉に、幼き日の記憶が甦った。


 ――皇妃エプシロン。


 まだ「ベントレー家の令嬢」だった頃、年下の自分をいつも気にかけてくれた。


人見知りで引っ込み思案だったコンテッサは、従者の子供たちにからかわれ、隅で小さくなって泣いていた。そんなとき、いつも庇ってくれたのがエプシロンだった。


『大丈夫よ、泣かなくていいわ』


 そう言って背を撫でてくれる優しい手の温もり。


『わたしが守ってあげるから』


 その笑顔に、幼い自分は救われてきた。


 そのエプシロンが「庇護したい」と口にする家がある――それだけで胸に熱いものが込み上げる。


 さらに公爵は、畳みかけるように告げた。


「加えて、あの嫡男には驚くべき縁談があった。魔法省第五席のヴァリーが魔法省の席を投げ捨てて、それの婚約者となった。嫡男は今は6歳、対してヴァリーは23歳。十七歳差だというのに……」


「……っ!」


 思わず声を漏らすコンテッサ。


 魔法省の一桁席。それは帝国において未来を保証されたエリート。どれほどの貴族も彼らの存在を羨み、娘・息子を嫁がせたいと願う。


そんな地位を、あの戦争で有名になったとはいえ、あっさりと手放して『あの』悪名高き、辺境の万年騎士爵と呼ばれる家に嫁ぐなど、前代未聞だった。


「さらに、オデッセイという女。そなたも知っているだろう。錬金塔史上最年少で入省した才女だ」


「……あのオデッセイ様が嫁いだ家!?」


 その名に再び目を見開く。彼女は年上だが、学び舎にいた頃から言い伝えられていた伝説の存在だった。卓越した才覚を持ち、同年代からは遠い存在。まさか、そんな人物までがビック領にいるとは。


 次々と明かされる事実に、コンテッサの知的好奇心は爆ぜるように膨らんでいく。


 危険な任務を進んで引き受ける彼女の心根は、恐怖よりも「知りたい」という欲求に近い。未知に飛び込み、己の目で確かめることを望む。それがコンテッサという女性だった。


 少しの沈黙の後、彼女はゆっくりと顔を上げ、公爵をまっすぐに見据えた。


「……承知いたしました。ビック領に、出向いたします」


 父の顔がわずかに動き、驚きと誇りが交じった眼差しを向ける。公爵は静かに微笑し、言葉を返した。


「よかろう。そなたならば、きっと務まる」


 その瞬間、コンテッサの胸は高鳴っていた。怜悧で冷静と評される彼女の心の奥で、まだ見ぬ領への好奇心が灯火のように燃え上がっていた。


――ビック領。


 未知と可能性に満ちた場所。未来を左右する家。


 そこへ赴く自分の姿を想像し、コンテッサの頬はわずかに紅潮していた。


 こうして彼女は、己の人生を大きく変える一歩を踏み出す決意を固めたのである。




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