第14話 鑑定の儀 その後で -家族編-
鑑定の儀から二日後。
アトミカ教会の石造りの応接室に、ヴェゼル一家は呼び出されていた。
壁には聖人の肖像がかけられ、香の煙が薄く漂っている。
椅子に腰かけるアビーの父バーグマンと、両親フリードとオデッセイ、そしてアビーと並んで座るヴェゼル。
彼の小さな手は、アビーの手としっかり握り合わされていた。
正面に立つのは、鑑定の儀を担当した若き鑑定士オースター司祭。
緊張に汗を浮かべながら、羊皮紙の書類を手に言葉を選んでいた。
「まず……お伝えしなければならないのは、通常“収納魔法”を授かった者は、即座に教会所属と定められております。
しかしながら……ヴェゼル殿の場合、収納容量が“りんご一個分”という、前例のない規模であるため……現時点では、所属は保留とされました」
部屋の空気がわずかに揺れる。
フリードが首を傾げて腕を組み、眉間に皺を寄せた。
「保留……? つまりどういうことだ。力が足りぬということか?」
鑑定士は困ったように頷き、さらに言葉を続ける。
「……はい。教会は“実用に足る収納”を求めています。が、ヴェゼル殿はそれには該当しないということです。
物流でも戦争でも食糧や水や武器を輸送できる……そうした水準からです。通常は1立方メートルから多い人で20立方メートル。
それと比較してヴェゼル殿の能力は、記録上“収納魔法”と判定されましたが、容量がりんご一個分、大凡10立方センチと、極端に少ないため……輸送の担い手としては認め難い。
ゆえに、おそらく正式な所属命令が下ることは……ないでしょう」
言葉を切ると、オースター司祭は深く頭を下げた。
ヴェゼルは小さな体で拳を握りしめた。
(……やっぱり笑いものか。でも、所属にならないのは……むしろ自由が利く?)
だがオースター司祭の口から続いた言葉が、場の空気をさらに重くした。
「……また、これは余談ではありますが。
アビー殿については、組織が違うので正式ではありませんが、将来的に“帝国軍直属の魔法師団”への入団が義務づけられる可能性がございます」
アビーが目を瞬かせ、小さく息を呑んだ。
ヴェゼルは驚きに手を強く握り、思わずアビーを見つめる。
「えっ……私が、帝国軍の……?」
フリードは「なんだと!?」と叫び、母オデッセイは驚きに目を見開く。
一方、アビーの父バーグマンは知っていたのか沈黙を保ちながら、じっと神官の言葉を噛みしめていた。
オースター司祭は頷く。
「はい。アビー殿は稀に見る全属性の適性を示されました。
この場合、成人前後の年齢に達すると、帝国軍から正式な召集がかかることがあります。
もちろん、貴族としての立場は尊重されますが……ほぼ確実に、帝国軍直属の魔法師団に所属することになるでしょう」
言葉を聞いた瞬間、フリードは腕を組み直し、豪快にうなずいた。
「おお、それはすごいことではないか! 帝国軍直属といえば、立派な出世だ。
アビーが大軍を率いて戦えば、我らビック家の名も大いに高まるぞ!」
彼は朗らかに笑ったが、その単純さが場の空気を和らげきることはなかった。
オデッセイは静かに目を伏せ、考え込むように手を組んでいた。
アビーの横で、父のバーグマンが「帝国軍直属……出世の道筋が見えるのは喜ばしいことですが……」とその後の言葉を濁す。
だがその声色には、ほんのわずかに複雑な影が混じっていた。
アビーは笑顔を作ろうとしたが、瞳の奥に不安が宿っている。
「……でも、帝国軍に入ったら……もうヴェゼルとは一緒にいられなくなるのかな」
その一言に、ヴェゼルの心臓が大きく跳ねた。
オデッセイはその様子を見て、そっと口を開いた。
「アビー。帝国軍に所属することは確かに重責よ。けれど、帝国軍直属の魔法師団に入るということは、それだけ貴女が国の未来を担う存在だと認められたということ。
友人の母としても、ひとりの貴族としても、誇るべきことだと思うわよ」
アビーは小さく頷き、唇を噛んだ。
次にオデッセイは、ヴェゼルに視線を向ける。
小さな肩を震わせ、必死に気丈に振る舞おうとしている息子。
彼に対し、静かに微笑んで語りかけた。
「ヴェゼル。貴方の収納は、容量が小さいと鑑定されたわね。
けれど私は……物を出し入れできるというのは、容量は少ないけれど、戦場では補給の手段として極めて有用だし、教会にも縛られない。……つまり、貴方は唯一の“自由な収納魔法の使い手”になるかもしれないのよ」
その言葉に、ヴェゼルの胸に温かい炎が灯るのを感じた。
「……唯一、の使い手……」
小さな声で呟くヴェゼルに、アビーがすぐに笑顔を向けた。
「ほらね! ヴェゼルはやっぱり特別なんだよ。私、帝国軍に行くことになっても……ヴェゼルのこと、ずっと自慢するから!」
(……そうか。俺は“落ちこぼれ”じゃないのかもしれない。
教会の基準から外れただけで、可能性はまだ無限にあるんだ。
だったら俺は、この力を……絶対に使いこなしてみせる。でも、あの白い人型。もっとわかりやすい能力にしてくれたって良かったのに!)
その決意の芽生えを、オデッセイはじっと見守っていた。
彼女の目に映るのは、まだ小さな背丈の息子ではなく――
いずれ時代を動かす、唯一無二の存在となるかもしれない未来の姿だった。
司祭が去ったあと、重苦しい沈黙が流れた。
最初にそれを破ったのは、脳筋の父フリードだった。
「先ほどは、ああは言ったが、ヴェゼルが教会所属にならんのは良かったとして、 アビーが帝国軍に? わからん、全然わからんぞ!」
彼は頭を抱え、ぐしゃぐしゃと髪をかき乱す。
バーグマンも何か話そうとするが、その後、言葉が続かない。
それでも、バーグマンが低く、しかしはっきりとした声を発した。
「……帝国軍直属の魔法師団。確かに輝かしい未来が開けるかもしれん、出世の道でもある。アビーにとって決して不幸ではない。だが、しかしな、この年でもう将来が決まってしまうのは……」
その言葉に、アビーはまだ戸惑いながらも、少しだけ表情を和らげた。
一方でヴェゼルは、父の言葉が胸に刺さる。
(……俺は所属にならない。けど、アビーは帝国に取られるかもしれない。なら……その時までに、俺はもっと強くならないと……)
母オデッセイが言う。
「……ヴェゼル、あなたの“りんご一個分の収納魔法”。みんなは笑ったけれど、私はそう思わないわ」
ヴェゼルは小さな目をぱちりと開き、母の顔を見上げる。
「……ハズレ魔法じゃないの?」
オデッセイは優しく首を振る。
「違うのよ。あなたの“収納魔法”は、りんご一個分だって、立派な収納能力。使い方次第で戦場を変えられるかもしれない」
その言葉に、フリードは腕を組み、うーんと唸った。
「戦場を変える? どうやってだ? そんなちっこい容量で?」
オデッセイが少し笑みを浮かべた。
「例えば、毒薬をひとつ隠し持って敵将の杯に移す。あるいは、戦場の只中で矢じりを補給する。小さいけれど、決定的に使える場面があるはずよ」
ヴェゼルの心臓がドキリと高鳴った。
(……そんな使い方、思いつかなかった。母さん……すげえ)
「つまり、ヴェゼル、あなたは――唯一の、教会に所属しない収納魔法の使い手になるかもしれない」
その言葉に、一同は息をのんだ。
ヴェゼル自身も驚きで胸が詰まる。
(唯一……って……俺にそんな未来が?)
オデッセイはそんな息子の前に静かに座り、落ち着いた声で話し始めた。
「ヴェゼル……少し気づいているかしら? 普通、収納魔法を授かった者には、容量なんて明示されることはないのよ。どんな魔法の達人でも、歴代の名を残した大魔法使いや大賢者でも、容量や他の文字なんて言葉にはされなかったはずよ」
ヴェゼルは小さく眉をひそめ、首をかしげる。この脳では瞬時に理解し、現世の理屈に置き換えることもできるのだが、5歳の体ではまだ頭の中で整理するのが少し難しかった。
「でも……私たちが先ほど聞いたあなたの魔法と呼ばれたもの――だけは、明確に『りんご一個分』と書かれていたようね。そこが、普通の魔法との大きな違いなのよ」
オデッセイはヴェゼルの小さな手を取り、握りながら続けた。
「これはね、ヴェゼル……単なる制限ではなく、逆に可能性の兆しなの。普通の魔法は最初から能力の枠が決まっていて、容量や強さの上限が固定されている。でも、あなたの魔法は、初めから容量が『明示されている』。それはつまり、魔法そのものが成長する可能性を、あえて見える形で示しているのかもしれないということよ」
ヴェゼルは小さく息を吐き、拳を握り直す。母の言葉には、確かな重みがあった。
「りんご一個……たった一個。でもね、ヴェゼル。今は一個でしかなくても、成長すればどうなると思う? 今は固定されているのよ。あくまでも“今“はね。普通の魔法は固定されているわけではないのに。あなたの魔法は、経験や使い方次第で、容量が増えるかもしれないし、応用の幅も無限に広がる可能性があるかもしれないのよ」
オデッセイの目には、優しさと同時に確固たる信念が宿っていた。ヴェゼルはその視線を受け、小さな胸に少しずつ希望の火が灯るのを感じる。
「それに……考えてごらんなさい。魔法として固定されてしまうと、戦場でも日常でもできることは限られるわ。でも、あなたの魔法は容量という概念が明確だから、戦略的に使い方を工夫すれば、普通の魔法師では考えもつかない応用が可能になるかもしれない。これは小さく見えて、実はとてつもなく大きな力になるかもしれないのよ。もしかしたら、あなたの授かった能力は“魔法“という枠組みではないのかもしれないわ。」
ヴェゼルは目を見開き、少し顔を上げた。
「だから……笑われたからといって落ち込む必要はないわ。今はりんご一個だからといって、それが小さな力だとは限らない。むしろ、他の魔法使いが持たない成長の余地をあなたは持っているの。もしかしたら……将来的には、伝説でしか語られないような転移魔法に匹敵するほどの力に育てられるかもしれない。誰も他にはいない稀有な魔法。これは、一般とは違う。あなたが唯一選ばれた証拠とも言えるのよ」
ヴェゼルは小さく頷き、拳をぎゅっと握り返す。目の奥には、少しの不安と同時に、母が示してくれた未来への希望が灯っていた。
オデッセイは微笑み、優しくヴェゼルの頭を撫でる。
「だから、自分を恥じることはないのよ、ヴェゼル。今は小さく見えても、あなたの魔法はこれから大きくなる可能性を秘めている。私も父さんは、、、どうかしら、、まぁ、、、そしてアビーも……みんな、あなたの成長を見守っているわ」
ヴェゼルは小さな声でつぶやく。
「うん……俺、頑張る……」
母はうなずき、肩に手をそっと置く。柔らかな光が部屋を包み込み、ヴェゼルの小さな体と心に、これからの冒険の可能性と、未知の力への期待を静かに刻み込んでいった。
「今はまだ小さな魔法かもしれない。でも、この小さな一歩が、あなたの未来にどんな変化を起こすか、誰にも分からない。りんご一個分だからこそ、戦略も工夫も、あなた次第で無限に広がるんだもの」
その言葉に、ヴェゼルの小さな胸には希望と決意が満ちていく。5歳体の身体で感じる緊張と不安は残っていたが、母の説得は、心の奥深くに光を灯した。
「俺は……このスキルを、絶対に活かすんだ」
オデッセイは微笑みながら、ヴェゼルの手を握った。
りんご一個分――その小さな魔法が、これからの人生と試練の中で、どれほど大きな可能性に変わるのか。
ヴェゼルはまだ知らない。しかし、母の言葉を胸に、彼は小さな拳をぎゅっと握りしめ、未来に向かって静かに決意を固めたのだった。
「そして、教会に縛られない立場だからこそ、この力をどう使うかは我らの自由。大きな武器になる」
ヴェゼルの胸に、少しずつ光が差し込んでくるのを感じた。
(……俺、やっぱり“ハズレ”魔法なんかじゃないのかもしれない。小さいけど、未来につながってるんだ)
その時、隣でアビーが口を開いた。
「ほらね、ヴェゼル! 私が言ったとおりでしょ? あなたは特別なんだって!」
彼女はにこっと笑い、小さな拳でヴェゼルの肩をぽんと叩いた。
ヴェゼルも照れくさく笑い返す。
(……アビーまで帝国軍に取られちゃうかもしれない。でも、それまでに俺は――絶対に強くならなきゃ)




