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第128話 アヴァンタイム帝都で報告会 その後の詳細

アヴァンタイムが深く礼をして退出した。


その姿が長い廊下の向こうに消え、残響のような靴音すら遠ざかっていくと、会議室には、ひとしきりの沈黙が降りた。


重厚な扉が閉じられる音が、やけに大きく響く。


それが合図のように、残った五人は互いに視線を交わした。


皇帝アネーロは卓上に両手を置き、静かに周囲を見渡した。


彼は決して言葉を急がない。帝位にある者として、まずは臣下たちの考えを引き出し、その上で最終判断を下すのが常だった。


だからこそ、彼のまわりには意見の異なる者たちが自然と集まり、帝国の舵取りを支える重石となる。


「……さて」


その静寂を最初に破ったのは、エクステラ宰相であった。


彼は背凭れに深く体を預けるでもなく、かといって威圧的に身を乗り出すでもなく、ただ冷ややかな目を伏せ、机上の報告書の上に指先を置いた。


「やはり、な。私の予想した通りだ。あの戦の顛末も、巷に流布する噂も、結局は誇張に彩られた幻に過ぎん」


その言葉には安堵と苛立ちの両方が混じっていた。


まるでビック領の噂が「虚偽であってくれ」と願っていた深層心理が、アヴァンタイムの報告で裏付けられたことに、心のどこかで安堵を覚えつつ、同時に帝国の威を損なう危険な火種を抱え込んだことに苛立っているようでもあった。


「宰相、あなたは最初から否定的でしたね」


皇妃エプシロンが穏やかな声で言葉を継ぐ。


柔らかな笑みを浮かべつつも、その眼差しは決して鈍くはない。


「……否定的ではなく、現実的だと言っていただきたい」


皇妃エクステラは軽く肩をすくめる。


「陛下。百対五千の戦果など、常識ではあり得ませぬ。あの戦果が真実などあり得ないのです。もしも真実ならば、帝国の秩序そのものが揺らぐ。……いや、揺らぎかねん。ゆえに私は常に疑っていたし、今回のアヴァンタイムの報告で、ようやく現実が見えたのです。あの噂は虚構だったのだと」


「だが宰相殿」


低い声が横から割り込む。ベントレー公爵だった。


彼は手を組み、表情をほとんど変えぬまま淡々と口を開いた。


「噂を完全に虚構だと断じるのは、早計ではないか。我らは誰も、あの地を実際に見てはいない。……いや、私を除けば、だが」


その言葉にエクステラ宰相は眉をひそめる。


ベントレー公爵が戦後すぐに現地を訪れていたことを、ここにいる全員が知っていた。しかし、彼が詳細を語らなかったため、その印象は長く靄の中にあった。


「公爵。では、貴殿は噂を事実と認めるのか?」



エクステラ宰相の声音には、わずかに挑む色があった。



ベントレー公爵は、ゆっくりと深呼吸をしてから言葉を選んだ。


「宰相殿の言も尤もだ。だが……私は現地をこの目で見た」


「ほう?」と、エクステラの眉が動く。


「誇張ではない。戦場は確かに、百が五千を打ち破った光景だった。サマーセットの兵は、何かに呑まれるように潰えた。ヴェゼルという少年――彼がただの『ハズレ魔法使い』であるならば、説明がつかぬ」


彼の声音には恐怖と畏敬が滲んでいた。


思い出すのは妖精サクラの存在、そしてヴェゼルの“異質な収納”。


常識を超えた現象を前にして、老練の公爵ですら背筋を凍らせたのだ。


そして教皇と同じ世界から来た転生者の可能性。


しかし、ここで真実を告げれば、帝国そのものが動揺しかねない。公爵は重々承知していた。


だからこそ言葉を区切り、わざと核心を避ける。


「……いずれにせよ、敵に回してはならぬ存在であることは確かだ」


その言葉に、宰相が反論しようと口を開いたが、公爵の眼光に射すくめられる。


そこには「軽々しく否定するな」という無言の圧があった。




ブガッティ第一席はそれまで黙していたが、ここで小さく咳払いし、言葉を投げた。


「……ふむ。だが、私にとっては戦果などどうでもよい」


その言葉に、一同がわずかに眉を動かす。


「どうでもよい、とは?」エクステラが鋭く問う。


「いや、誤解するな。戦果が誇張であれ真実であれ、それは兵学や政の領分だ。私の関心はただ一つ――ヴァリーだ」


その名が出ると、会議室の空気がわずかに変わった。


「彼女は私の愛弟子だ。魔法省においても、その才と努力は群を抜いていた。それが、たかが半年やそこらで、すべてを投げ打ち、一人の少年に心酔した。『師匠』とまで呼び、魔法省を去ったのだ」


ブガッティ第一席はそこで言葉を切り、机上に置いた手で軽く指を鳴らした。


「私は知りたい。ヴァリーがあれほど心酔するその少年、ヴェゼルとやらが、本当に『ハズレ魔法』の持ち主なのか。あるいは、独自の知識や誰も知らぬ形で魔法を進化させ、世の理を覆すほどの才を秘めているのか」


その声には、政や軍の思惑とは無縁の、純粋な探究心が宿っていた。


エプシロン皇妃は静かに頷いた。


「……あなたらしい意見ですね、あの場では、かなり辛辣な女狂いのように言われていましたが、ブガッティ卿。私も、ヴェゼルがただの子供であるとは思っていません」


「皇妃殿下、何かご存じなのか?」


エクステラが鋭く視線を向ける。


エプシロンは一瞬だけ言葉を選ぶように沈黙した。


そして、柔らかく笑った。


「……古い友人からの手紙で、多少は」


「あの錬金塔の才女、オデッセイ夫人か」


「ええ」


その名が出ると、エクステラはわずかに舌打ちしそうな顔をした。


エプシロンが「オデッセイからの手紙」を口にした瞬間、エクステラの眉間には深い皺が刻まれた。


「……やはり、あの女か」


吐き捨てるように呟いたその声には、軽蔑と、測り切れぬ不安とが入り混じっている。


「皇妃殿下。あなたはご存じのはずだ。オデッセイは才女ではあるが、同時に外様に過ぎぬ。あの地の領主フリードは武力に偏り、統治は妻に丸投げしている。そのような歪な夫婦の元で育った子供が、帝国を揺るがす力を得たと? ありえぬ話だ」


エクステラの言葉には、強い否定が込められていた。


だがその根底には「そうであってほしい」という願望が透けて見える。


あの戦果が誇張であり、あの少年が凡庸であるならば、帝国の秩序は揺らがない。


そう信じたくて仕方がないのだ。


だが――ベントレー公爵が、その心情を見透かすかのように口を開いた。


「宰相殿。貴殿は“ありえぬ”と断じたいようだが……」


彼はゆっくりと、組んだ手を解き、机の上に置いた。


「ヴェゼルが、私にある約束をさせたことを、どう見る?」


その言葉に、エクステラの顔色が変わる。


「……ベントレー公爵殿にが『領内に悪意を持って侵入する者は処断しても不問』という誓約を結ばせたと約定……」


会議室の空気が、さらに冷たく引き締まった。


「そうだ。私はその場にいた。確かにあの少年は、そう言った。そして私は、それを承諾した」


ベントレーの声音は淡々としている。


しかし、その目の奥には、当時の光景を忘れていない証があった。


――少年の無邪気さに似つかわしくない鋭さ。


――その背後に漂う、得体の知れぬ力の気配。


――何より、拒否すれば帝国の均衡すら揺るがしかねない直感。


「宰相殿。貴殿はそれを脅威と見るだろう」


「当然だ!」エクステラは机を叩いた。


「六歳の子供が、帝国の公爵に条件を突きつけるなど前代未聞!それを受け入れるなど、帝国の権威を土台から崩す愚行だ!これは帝国法を脅かすに等しい。下手をすれば、帝国全土に“無法の前例”を作りかねない」


彼の声は激情を帯び、室内の空気を震わせた。


「そんなものを看過すれば、やがて帝国の統制は失われる!今は辺境の小領にすぎぬかもしれんが、その芽を摘まずして、どうして大帝国の安寧が保てようか!」


エクステラの言葉は、論理的でありながら、どこか切実だった。


まるで自らに言い聞かせるように。


――「脅威は虚構だ」と。


――「帝国は揺るがない」と。


だが、その必死さは逆に、彼がどれほど怯えているかを物語っていた。


ブガッティ第一席は、その様子を横目に見て、わずかに口角を上げた。


「……脅威かどうかは、私にはどうでもよい」


「貴様!」エクステラが振り向く。


「私はただ、真実を知りたいだけだ」


ブガッティの瞳は好奇心に光っていた。


「ヴァリーが“師匠”と呼ぶに足る魔法の知識を、力を、あの少年が持つのか。もしそうなら、彼は帝国にとって脅威であると同時に、計り知れぬ価値を持つ存在になる」


「世間では外れ魔法と笑われているが……私はそれを疑っている。あの収納魔法は、まだ解明されていない“未知”なのではないのか? もしそうなら、帝国の魔法体系そのものが揺らぐ。アヴァンタイムの報告など、真実を見誤った“表層”に過ぎぬやもしれん」


彼の言葉に、宰相エクステラの顔が歪む。


「第一席、貴殿までそんな夢想を――」


「夢想かどうか、確かめるのは我ら魔導師の務めよ」


老魔導師の瞳は、静かながらも熱を帯びていた。


「……」


エクステラは言葉を失った。


彼にとってヴェゼルは、存在してはならぬ危険因子になる可能性のある子供だ。


だがブガッティにとっては、ただ未知を解き明かすべき対象でしかない。


その違いが、二人の間に深い溝を作っていた。



そのやり取りを黙して見守っていた皇妃エプシロンが、ようやく口を開いた。


「……私はオデッセイをよく知っております。幼き頃からの友であり、彼女の才覚を幾度も見てきました。そしてフリードの武力も、比肩する者なきほど強大。さらに、知育具を考案したのはヴェゼル――あの子の才は、すでに帝国に恩恵をもたらしているのです」


エプシロンの声音は静かで、しかし確信に満ちていた。


「そして、オデッセイから私は頼まれました。『息子が才ゆえに災いを招いたときは、その時だけでよい、庇護を願いたい』と」


室内に微かなざわめきが広がる。宰相は険しい顔を向け、公爵は目を伏せる。皇帝だけが、じっと皇妃の横顔を見ていた。


「だから私は知っています。アヴァンタイムの報告が浅いことを。ですが……ここで彼らを過度に持ち上げれば、反発を呼ぶでしょう。だから今は、静かに見守るべきだと思うのです」


皇妃は慎重に言葉を選びながらも、その一つ一つに揺るがぬ信念を込めていた。


エクステラの苛烈な言葉よりも、ブガッティの飽くなき探究心よりも、はるかに強い説得力を帯びていた。


ベントレー公爵が、そこで小さく息を吐いた。


皇帝アネーロは、それぞれの表情を一瞥し、静かに言葉を継いだ。


「……なるほど。各々の見解は理解した」


彼はゆっくりと視線を巡らせる。宰相の警戒、公爵の恐怖と慎重、第一席の探求心、皇妃の信念。どれもが真実の一端を示している。しかし、決断するのは自分であった。


「私は中立である。だが……皇妃の言葉を胸に留めよう。報告が浅いという点は、確かに否めぬ。アヴァンタイムは何かを見落としているのだろう」


静寂が訪れる。皇帝の沈黙こそが、この場で最も重い答えだった。


彼は心の内で思う――ビック領、そしてヴェゼル。果たしてその真の姿は、帝国にとって救いとなるのか、それとも災厄となるのか。


いまはまだ、見極めの時である。


彼は一拍置き、低く言った。


「ならば我が務めはただ一つ――虚構に惑わされず、真実を見極めることだ」


会議室に再び、重い沈黙が訪れた。
















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