第127話 アヴァンタイム帝都で報告会
アヴァンタイムは深く息を吸い、身を正す。
帝都の荘厳な空気が、彼の背筋をぴんと伸ばさせる。
皇帝アネーロ、皇妃エプシロン、ベントレー公爵、エクステラ宰相、ブガッティ第一席――この場に集まった顔ぶれを眺めるだけで、緊張と責任感が胸を締めつけた。
ここでの報告次第で、ビック領に関する帝国の方針や、彼自身の評価も大きく左右される可能性もある。
「本日は、ビック領の現況および先般の戦争に関する調査結果、さらにヴァリーの動向についてご報告申し上げます」
声は落ち着いていたが、内心では数日間にわたる出来事が渦のように絡み合っていた。
領内の村民の生活の様子、ヴァリーの奇妙な振る舞い、戦争の真相、そして失踪した部下のこと……ひとつひとつが重く、消化しきれぬまま脳裏で再生される。
「まず、領内の状況について報告いたします」
アヴァンタイムは資料をちらりと確認しながら、言葉を選ぶ。頭の中で、現地での光景が浮かぶ――豊かな畑、色とりどりの特産品、だがその裏には限られた家族や従者層のみに集中した恩恵がある現実。彼は心の中で問いかけた。
――私はこれを正しく評価できているのか。表面に惑わされてはいないか。村民たちは本当に満足しているのか、それとも私の観察不足なのか、と。
「村民の生活は一見、豊かで、食べることには困っていないようです。ですが、彼らの態度を観察したところ、帝国への忠誠心や敬意はあまり強くないように感じられました。もちろん、これは私の印象であり、確定的な評価ではありません。ただ、特定の家族や従者層、ビック家の直属管理下の村民に恩恵が集中しており、すべての村民が平等に潤っているわけではないことは確かです」
彼はふと、自分の感情に気づく。――もっと深く掘り下げるべきではなかったか。村民の真の感情に触れ、彼らの声に耳を傾けるべきだったのではないか。
しかし、限られた滞在日数では、全てを把握することは不可能である。これが現実的な報告の範囲なのだ、と自分に言い聞かせる。
「ホーネット酒、ホーネットシロップ、知育玩具、そして白磁――いずれもこの領内では高い評価を受け、村の経済や文化に潤いをもたらしています。しかし、恩恵が全体に行き渡っているわけではなく、一部の層に偏っているのも現実です。農業に関しては今年は幸いにも豊作でしたが、来年も同様に安定して収穫が得られるとは限りません」
言葉を紡ぎながらも、頭の中では数多くの疑念が浮かんでくる。――もし、私が見落としている事実があるのなら、どう報告すれば正しい判断を導けるのか。
村民たちは本当に満足しているのか、それとも不満を胸に秘めているのか。表面的な観察だけで全てを判断してよいのか。
アヴァンタイムは深く息をつき、目を上げる。
皇帝も皇妃も、ブガッティも、ベントレーも、ただ静かに耳を傾けている。
誰も眉をひそめず、評価の表情も見せないその静けさが、逆に彼の心を微かに揺さぶる。――本当に私の報告は届いているのか。間違った印象を伝えてはいないか。
アヴァンタイムは一息入れ、次の報告に移る。心の奥で、少しの戸惑いと困惑を感じながら。
「次に、ヴァリーの件についてご報告いたします」
言葉を発した瞬間、会議室の空気が微かに変わるのを感じた。
皇帝アネーロの眉がわずかに動き、エクステラ宰相の目が鋭く光る。
彼らはすでに噂を耳にしていたのだろう。
ヴァリーが魔法省を辞め、ビック領の六歳の嫡男、ヴェゼルと婚約したことは衝撃的なニュースであり、現場で目撃したアヴァンタイムの報告は、さらにその意外性を増すことになる。
「ご存知の通り、ヴァリーは魔法省を辞し、ビック領のヴェゼル殿と婚約いたしました。現地で観察した限り、彼女の性格は以前の冷徹さは消え、恋する乙女のように振る舞っておりました。常にヴェゼル殿を追い、手を繋ぎ、甘える様子は、かつての彼女からは想像もつかぬ変化です」
アヴァンタイムは心中で思わず首をかしげた。――冷静で計算高い魔法一筋だったヴァリーが、ここまで人間的な感情を前面に出すのか。
戦場での彼女は滅多に笑わないことから「氷の魔女」と恐れられた存在のはずなのに、目の前では完全に恋する少女のようだった。
これは単なる表面上の演技ではない、真に心からの変化なのか、それとも何か別の意図があるのか。思わず口元に苦笑を浮かべる。
アヴァンタイムは、会議室の面々の視線を感じながら、報告を続ける。
「また、現地でヴァリーの魔法を確認いたしましたが、戦争で噂されていたほどの威力はありませんでした。『凍炎の魔女』の名声や、ビック対サマーセット戦での大魔法の発揮は、実際には誇張が過ぎると判断します。確かに魔法の実力は高く、基礎の精度や技量も素晴らしいものでしたが、伝え聞くほどの破壊力はなく、噂として膨張したものだと考えられます」
ここで、彼は少し間を置き、視線を巡らせる。ブガッティ第一席の瞳が光り、細い眉がさらに鋭く吊り上がる。――なるほど、あの魔法使いの実力か、という評価を今まさに下そうとしているのだ。
アヴァンタイムはその視線に応えるように、さらに踏み込む。
「驚くべきことに、ヴァリーは現地で、『ヴェゼル様が私の魔法の師匠』と公言しておりました。りんご一個分しか収納できない、収納魔法の弱点を抱えた六歳の少年を師匠として称えるとは、正直、私自身も笑いを堪えるのに苦労しました。しかし、これは冗談でも皮肉でもなく、彼女自身の真摯な表現のように感じられました」
会議室に静かな波紋が広がる。皇妃エプシロンは軽く口元を引き上げ、興味深そうに眉を上げる。ブガッティ第一席は目を細め、何か深く考えている様子だ。
アヴァンタイムはさらに続けた。
「ヴェゼル殿についてもご報告いたします。六歳という年齢にしては非常に聡明で、知恵や洞察力に優れています。ただし、常に鼻の下を伸ばし、ヴァリーを侍らせ、さらには三人もの婚約者を抱える、言葉は悪いのですが、いわば色ボケのマセガキにしか見えませんでした。純粋な知力や機転と、個人的な行動の幼さが混在しており、巷で噂されている敵本陣に少数の奇襲部隊で特攻して総大将を捕縛するなど、とても『鬼謀童子』とは言えようもなく、評価には複雑な感情が伴います」
皇帝がわずかに顔をしかめ、ベントレー公爵は黙ったまま。
アヴァンタイムは心の中で、あの六歳にしてあそこまで大胆にヴァリーを侍らせて振る舞う子供の胆力には感心せざるを得なかった。――いや、感心というより、失笑に近い。
計算された冷静さは全く感じられず、あの自由さが、あの領の特異性を示している。
「父君であるフリード殿についても観察いたしました。確かに戦闘能力は高く、力強さは一目置くべきものであります。しかし、領内の統治や政策運営はほぼ妻オデッセイ殿に委ねられており、フリード殿本人は表面的な判断しかできない印象を受けました。オデッセイ殿は女性でありながら、それなりには賢明のようで、領の安定と秩序には彼女の手腕が功を奏していると感じました」
ここでアヴァンタイムは、会議室の静寂に一瞬、言葉を潜める。
自分が見たこと、感じたことを全て言い切ることの重みを噛み締めながら。――この情報を正しく伝えなければ、帝国の意思決定にも誤解が生じる。だが、同時に、自分の評価が先入観に左右されているのではないかという不安も拭えない。
「最後に、調査の過程で派遣した部下がまだ帰還しておりません。この行方不明は偶然か、それとも領内の秘匿された何かに関わっているのか、判断がつかず気がかりであります」
ブガッティ第一席が鋭い目を光らせる。アヴァンタイムは深く息を吸い、肩の力を抜く。報告はここで一旦区切りだ。
「総評として、今回の戦争に関する噂は過大に伝えられた可能性が高いと考えます。オデッセイ殿は相応に賢く、フリード殿も戦闘力はそれなりにある。ヴェゼル殿は六歳にして聡明であり、領の特異性や秩序を把握する力を備えています。しかし、謎が残されており、私自身も含め、慎重な監視が必要であると考えます」
ベントレー公爵は形式的に礼を述べ、アヴァンタイムを退出させた。残された面々は、自分の評価を下す段階に入る。
宰相エクステラは心中で思う。――戦争の逸話はやはり誇張されていた。オデッセイも相応に賢明で、フリードも戦闘力はある。ヴェゼルも年齢の割には賢い。しかし、ここで過剰に判断するのは得策ではない、と。
皇帝は静かに「そうか」とだけ言い、皇妃エプシロンは柔らかく微笑みながらも、自身の評価を変えないと告げる。
「アヴァンタイム卿のご報告通りの判断でよろしいのですね。それはそれとして、私のビック領に関する評価は変えるつもりはありません」
ブガッティ第一席は、ヴァリーが常に魔法に真摯であり、「師匠」と称したヴェゼルの存在を軽んじていないことに注目した。
冗談でも嘘でもなく、真に尊敬しているのであれば、相応の魔法の実力や見識があるのだろう。自身も一度、ヴェゼルと面会してみたいと考える。
「アヴァンタイム卿は魔法の実力はあるが、人や領地の評価に先入観が強く影響する傾向があります。私自身で確かめる必要があるでしょう、ホッホッホ」
ベントレー公爵は無言を貫き、帝国にとってビック領やヴェゼル、フリードが欠かせぬ存在であるとの評価を変えないと述べた。エクステラは内心反発を覚えつつも、発言は控えた。
最後にブガッティ第一席が口を開く。
「アヴァンタイム卿の部下の行方不明……あの部下はビック領の秘密を探ろうとして、何者かに消されたのだろうか。そうだったのならば、面白い領だな、ホッホッホ」




