第113話 アビーとピクニックの前に。意外と計算高いヴァリーさん
次の日の朝、ヴァリーがふと、いつものようににこやかに、しかしどこか計算高い笑みを浮かべながら言った。
「ねえアビー、ヴェゼルと二人でデートでもしてきたら? 今日は天気が良いからピクニックとかいいかもよ?」
その声は普段の柔らかさに加えて、どこか小さな挑発を含んでいるようにも感じられた。
アビーは一瞬、目を丸くしてヴァリーを見返した。普段はヴェゼルにぴったりくっついて離れない、まるで彼の影のようなヴァリーが、どういうわけか自分には寛大な態度を取るのだ。
「デ、デート……ですか?」
アビーの声は思わず震えた。頬も自然に赤くなり、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じる。
普段、何事も冷静沈着に振る舞おうと心掛けているアビーにとって、これはまさに予想外の申し出だった。
「そうよ、せっかくだし、たまには外に出てのんびりしてきては?」
ヴァリーの声は柔らかく、しかしどこか含みを持たせた響きがあった。その口調には、ただのお節介や気まぐれ以上の何かが隠されているように思えた。
アビーは一呼吸置き、ゆっくりと頷いた。
「わ、わかりました……ありがとうございます!」
その言葉に、ヴァリーは満足げに微笑む。まるで計算通りに物事が進んでいることを楽しんでいるかのようだった。
その後、アビーたちが外出した後、アクティがヴァリーに興味津々で声をかけた。目を輝かせ、身を乗り出して訊く。
「ねえねえ、ヴァリーおねーさま! どうしてアビーおねーさまとおにーさまのデートをすすめたの?」
ヴァリーは軽く肩をすくめ、にやりと笑った。鼻で小さく笑いながら、少し意味深な声で言う。
「正妻には、今のうちからゴマをすっておかないと、側室としての立場が揺らぐかもしれないのよ!」
アクティは目を丸くした。だがヴァリーはそこで手を止めず、さらに熱弁を続ける。
「ほら、ヴェゼル様はまだ6歳なのに、すでに婚約者が三人もいるでしょう? 将来もっと増える可能性だってあるのよ! そのとき、正妻の覚えが良ければ、側室のナンバーワンの座を確固たるものにできるの。だから今からちょっとずつ、アビーに恩を売っておくことが重要なのよ!」
アクティは思わず息を飲んだ。ヴァリーの言葉には、単なるお節介を超えた、計算高い戦略性が含まれていたのだ。
「だからね、側室としての地位を守るために、アビーには小さなことでも、ヴェゼル様に好印象を与えることが大切なの。ちょっとした気遣い、笑顔、タイミング……そういうものが、後々大きな力になるのよ!」
ヴァリーの声はどんどん熱を帯び、視線は鋭く光る。
アクティは後ずさりしながらも、耳をそばだてずにはいられなかった。ヴァリーは続ける。
「ほら、私だって今から努力しているのよ。今後、アビーが靴を舐めろと言われても、舐める覚悟をしているんだから! それくらいの覚悟を見せるのが、側室ナンバーワンの座を確実にする近道なのよ!」
アクティは半ば恐怖を覚えながらも、思わず小さく「うわ……」と漏らした。
後ずさりして本棚の影に隠れ、そっとその場を離れた。
ヴァリーはそれでもなお、情熱的に語り続けていた。
後でヴェゼルがこの話を聞いたとき、彼は思わず少し引いてしまった。
「……ヴァリーさんは、本気で僕に妄執してるな……」
心の中で呟く。確かに、側室論としては筋は通っているものの、その妄執ぶりはある意味恐ろしいほどだった。
しかし同時に、ヴェゼルは別の感覚も覚える。
ヴァリーはただの嫉妬深い女性ではなく、未来を見据えて計算し、行動しているのだと。策略、準備、先を読む力。
彼女の小さな笑顔の裏に秘められた知恵と計算の深さに、ヴェゼルは思わず息を飲む。
「……本当に、ヴァリーさんは計算高い。けど、こうやって守ろうとしてくれてるのかもな……」
ヴェゼルはとりあえず、前向きに考えようと努力して、微かに口角を上げ、複雑な心境を抱えながら空を見上げる。
デートの誘いは表面的には楽しい提案だが、その背景にはヴァリーの確固たる意図が隠されていることを理解していた。
空を渡る光が二人を照らす中、ヴェゼルはアビーとの時間を楽しむことの意味、そしてその背後に潜む計算と策略の重みを噛みしめるのだった?




