閑話 カミアの話 05
季節が幾度巡ったのか、もはや数えることさえ億劫になっていた。
私――カミアは、すでに老境を越え、弟子たちからは「教皇様」と呼ばれる存在になっていた。
かつてはただ、異世界に投げ込まれた一人の流浪者にすぎなかったのに。
だが長い年月を経て、私は魔法を体系化し、この世界に“学問”としての秩序をもたらす役目を負わされていた。
人々はそれを偉業と讃え、弟子たちは敬愛を込めて私を頂点に戴いた。
――しかし、私の胸に満ちているのは、決して誇りや満足ではなかった。
その日、ひとりの若き弟子が駆け込んできた。
「教皇様、お手紙です」
震える手で差し出された封書。
私はゆっくりとそれを受け取り、老いた指先で封を切った。
その筆跡を見た瞬間、私の心は一気に時を遡った。
――ザンザス。
かつて、アイシスと共に未来を託して旅立った男。その名をここで目にすることになろうとは。
封書を開き、静かに読み進める。
そこには、力強い筆致でこう綴られていた。
「師よ。
あれから幾十年、我らは多くを越えてきました。
戦いの果てに、ついに国を築くことができました。
名を『バルカン帝国』と申します。
私は初代皇帝として、“ザンザス・トゥエル・バルカン”と名を改めました」
私は文字を追いながら、思わず涙がこぼれた。
あの青年が――父と母と姉を奪われ、孤児としてさまよった少年。
己の過去を呪いながらも、それでも未来を掴もうと誓ったあの弟子が。
ついに「皇帝」となったのだ。
手紙にはさらに続きがあった。
「皇妃はもちろん、愛しきアイシスです。
あの日、共に生きると誓った彼女と、今も肩を並べています。
そしてジョルノ。
彼は建国の立役者でありながら、高位貴族の位を固辞しました。
『柄じゃないよ。俺は田舎でのんびり過ごしたい』と笑い、永年騎士爵を授けることで落ち着きました。
今は辺境の地で、仲間たちと共に楽しく暮らしていると伝えておきます」
私は声を出して笑った。
それは哀しみではなく、深い安堵の笑みだった。
――あの放浪者が、仲間たちと肩を並べ、のんびりと過ごす姿が目に浮かぶ。
血に濡れた時代を共に歩いた者たちが、それぞれの幸福を掴んでいるのだ。
「師よ。
もしこの手紙を読んでくださっているのなら、どうか笑っていてください。
我らの志は途絶えてはおりません。
あなたの教えは、確かにこの大地に息づいています」
その言葉に、私の胸は熱く締めつけられた。
老いた身でありながら、なお弟子たちに見守られている自分を思うと、言葉にならぬ感情が込み上げてきた。
私は手紙を胸に抱き、弟子たちに静かに告げた。
「……ああ、ザンザスはやり遂げたのだ。アイシスも、ジョルノも……」
弟子たちが目を潤ませて頷くのを見て、私は深く息をついた。
だが同時に、心の奥底で別の声が囁いていた。
――これで、全ては終わりなのか?
否。
私の背には、まだあの「白い型」との契約が重くのしかかっている。
あの「白い型」冷たく告げた。
「汝、聞け……汝の愛し子を、この世界の未来に送り込む。されど、それゆえに汝は、この未来における魔法を定義せねばならぬ。汝の手で安寧と秩序を齎すのだ。愛し子を重んずるならば、必ずや為すべきことを為せ、汝よ。」
その言葉を聞いた瞬間、カミアの胸には激しい怒りが湧き上がった。理不尽だ。自分の全てを縛り、人生を強制し、未来を操作する存在……その冷酷さに、憎悪が燃え上がる。
「くそ……あいつは何もかもを人質にとったのよ……!」
心の中で、カミアは拳を握りしめた。愛する者を守るために、何十年も何百年も自分の人生を縛り続けた。
あの白い型は、自分をただの駒のように扱い、無理やり魔法の体系を築かせ、世界の未来を左右させようとしていたのだ。
憎しみが心を支配する。怒りと悲しみが入り混じり、声にならない叫びが全身を突き抜ける。
あの存在が神であろうと、世界を創造した存在であろうと関係ない。自分は、この恨みを必ず晴らす。存在そのものを消し去るのだ。
「絶対に……許さない……!」
カミアは心の中で、何度も何度もそう呟いた。怒りの炎が体中に渦巻き、血が沸き立つような感覚に襲われる。
この世界の未来を守るため、愛する子を安全に導くために、自分は白い型の言う通りに動く。
しかし、その一方で、心の奥底では計画を練り続けている。いつか、あの存在に鉄槌を下す日を――絶対に抹殺する日を。
未来を守るための行動も、復讐の準備も、すべてが同時進行で脳裏を駆け巡る。魔法の体系化、魔法陣の研究、詠唱の正確化、すべてがその復讐に繋がる道標だ。世界を安定させることが、同時に白い型を追い詰める手段になる。
「あなたが神だろうと、私がこの世に残した時間のすべてを縛ろうと……関係ない。絶対に、絶対にあなたを消す……!」
思考の中で何度も誓いを繰り返す。愛しいあの人を守ること。それが自分の生きる目的であり、同時に白い型に復讐する力を得るための理由でもある。
収納魔法を、いや、もはや収納スキルを極限まで進化させる。時間や次元の壁をも超える術を身につける。
世界の法則を理解し尽くし、あらゆる手段を駆使して、あの存在を消す。そのために自分は、この長い年月をすべて費やしてきたのだ。
白い型は言った。もし約束を破れば、未来に来る愛し子に災いが及ぶだろう、と。しかし、カミアは冷笑する。
「約束を守るふりをしておけばいい……でも、万が一破った時の準備は怠らない。あなたを、この手で絶対に――いや、世界から消し去る……!」
心の中で、全ての憎悪が形を取り始める。怒りの炎が魔力となり、研究の力となる。過去の苦悩も、未来への不安も、すべてが復讐の糧に変わる。
最後に、静かに目を閉じる。愛しい光希の笑顔を思い浮かべながら、心の奥底で誓う。
「必ず……あなたを、この世から消す。そのために、私は生き、研究を続ける。そしていつか――必ず出会う。」
そうして、カミアは未来と復讐の狭間で、冷静な決意と燃える憎悪を胸に、静かに魔法の研究に戻るのだった。




