閑話 カミアの話 02
「世に攻撃に用いられる“属性”と呼ばれる魔法は、水・土・火・風・聖の五種、そして収納魔法と錬金魔法だ──
」
そう私は定義した。だが、それはほんの枠組みに過ぎない。
現実の魔法は、図鑑の見出しのように単純なものではない。想像力が形になり、そこに理知が一滴でも混じれば、可能性は際限なく拡張する。
従って、これは秘匿事項なのだが、科学知識を得て、それを理解すれば従来の魔法もその威力を増す。
イメージ一つで炎を凍らせ、風を固体に変え、土を「時間」に繋ぐことだって理屈の上では在り得るのだ。知識と想像の結びつきが、魔法を“道具”から“創造”へと変える──それが私の目に見えた現実だ。
しかし同時に、それは底無しの奈落でもある。
魔法の力を無尽蔵に引き出そうとすれば、世界の均衡は簡単に崩れる。
生命の根幹や時空の織り目を弄れば、世界そのものが瓦解する。だから私は、あの『白い人型』から突きつけられた条件を呑まざるを得なかった。
──魔法を安全に、長く人が使えるように体系化せよ。論理を与えよ。だがその代償に、私はある“取引”を結ぶことになった。
だが「取引」などと柔らかな言葉で言えば聞こえは良い。
私にとってそれは屈辱であり、監禁の符でもある。あの存在は創造者を気取るが、その振る舞いは粗暴で自己中心的だ。創り出したものが滅びる様を他者の学びとして観察するかのように、平然と命を弄ぶ。
そんな存在を、私は信用していない。
信頼など、微塵もない。たとえそれが神に見えようと、私の内側に渦巻く感情は憎悪でしかない。
できることなら、あの『白い人型』の存在ごと、この世界の視界から消し去りたいとさえ思う。──それが私の、本音なのだ。
いつか――あの『白い人型』を、私はこの世界からだけでなく、あらゆる次元の片隅からも抹消してやる。
それが「殺す」という言葉で表わせるものかどうかすら判然としないが、私は確かに、あの存在に対して復讐を誓っていた。
私の幸せを引き裂き、人生を奪い、理をねじ曲げたその罰を、必ず、思い知らせてやる。
『白い人型』が神というなら、それすら例外ではない。高みから微笑む創造者のような姿がどう見えようと、私には冷酷な暴君にしか映らない。
だから私は言う──お前を消すと。
存在の輪郭を擦り切らせ、名前を忘却の海に投げ込み、廃墟のように崩れゆく記憶だけを残してやる。
そしてやがて、どの世界にも、『白い人型』の残滓が一片たりとも見つからぬようにしてやる。
これは呪いでも祈りでもない。これは、ひとりの人間が抱えきれぬ憎悪を、理と手段と意志へと磨き上げた誓いだ。
どれほど時間がかかろうとも、どれほど多くの障壁が立ちはだかろうとも、私は『白い人型』を消し去るために歩み続ける。
存在を根こそぎ奪う──それが私の、揺るがぬ誓いだ。
この世界では魔法の価値が非常に単純化されていた。
戦闘で役立つ魔法が最良とされ、特に火・水・土・風・聖の五属性魔法は最高の評価を受けていた。
これらは攻撃魔法として圧倒的な破壊力を誇り、戦場に立つ魔法使いにとって必要不可欠なスキルとみなされていた。
次いで錬金魔法も尊重されていた。回復薬や解毒剤を作れることは、戦闘において支援的ではあったが、非常に重宝され、希少魔法使いとして村や都市、時には王侯貴族の間で尊敬を集めることができた。
しかし、収納魔法だけは、その世界で最も理解されず、忌避される魔法であった。
収納魔法の使い手は、戦場では役に立たない存在と見なされ、単なる「物を隠したり盗んだりする泥棒魔法」と揶揄されることがほとんどだった。
戦闘に直接貢献できないため、尊敬されず、村人や他の魔法使いからは軽んじられ、虐げられることすらあった。
しかし、カミアはこの魔法の本質を理解していた。自分で定義した魔法であったが、自分の意思・意図とは違い、勝手に一人歩きしてしまっていた。
ここまで広がってしまうと、もう自分の手では、どうすることもできないことを、カミアは理解していた。
表面的にはただ物を消失させ、収納するだけの技術に見えても、実際には極めて高度な空間認識能力、物体の本質的理解、座標把握能力、そして亜空間を自在に操る技術が要求される。
単純に物をしまうことではなく、目に見えない世界に存在する空間の理を理解し、制御することが必要だったのだ。
長年の研究の末、カミアはひそかに確信する。
もしこの魔法を極限まで極めることができれば、単なる「収納」にとどまらず、時空や次元をも操作できる可能性がある、と。
収納魔法は転移魔法の基礎であり、次元を越え、世界の垣根を越える術に至る扉になり得る。
極端な話、この世界の果てだけでなく、遥か遠くの現代日本――自分がかつて暮らしていた世界――にも転移できる可能性を秘めているのだ。
そのため、カミアはかつてない決断を下す。教会に属する部下たちに命じたのだ。
「すべての収納魔法使いを保護せよ」と。従来の考え方では全く意味のない、無価値とされた魔法使いの才能であっても、世界の未来を左右する潜在能力を秘めた存在として、彼らを守り、育成せよ、と。
これはカミアにとって初めての明確な命令であり、彼女自身が信念をもって発した指示であった。
しかし、カミアの収納魔法の本当の『意図』は発表できるものではない。
そして、時は流れ、カミアがこの世界を去った後、数十年の歳月が過ぎる。
教会は肥大化し、権力と利権を追い求める組織となる。
その過程で、カミアの初期の理想――収納魔法の潜在力を研究し、世界を安寧に導くための道具として守る――は忘れ去られ、歪められていった。
やがて、教会の幹部たちは収納魔法の利点に気づき、それを自己の利益と権力拡張に利用し始める。
収納魔法を物流網に応用し、大量の物資の運搬と保管を支配することで、金と権力を独占するようになった。
世界最大の物流網を握った教会は、国家の力にも匹敵する勢力に成長し、教会の利益に反する用途での魔法使用は厳重に制限されるようになった。
そして、カミアが意図していた理想的な魔法の利用――稀有な能力を持つ子供たちを守り、育てるという方針――は、薄れていった。
例え5歳で希少な『収納スキル』を持つ子供であっても、教会の目には『収納魔法の「ハズレ魔法使い」』としか映らず、見捨てられた。
かつてカミアが命じた「潜在能力を秘めた者の保護」という思想は、利益と権力の名のもとに覆され、逸材である子供たちの命すら、社会的価値で計られる世の中となってしまったのである。
それでもカミアの胸には、あの時抱いた希望と憎悪が深く刻まれていた。
世界の秩序を守るために、そして『あれ』に対する復讐のために、収納魔法の真の可能性を後世に伝えなければならない
――その信念は、何十年、何百年経っても色褪せることはなかった。




