表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

115/369

第112話 慰霊祭

館の扉をくぐって応接室に、バーグマンとアビーを通す。そしてソファに座った。


座った途端、バーグマンは少しうつむき加減で頭をかしげた。


「……いや、本当に申し訳ない。帝国の法では、他の貴族が参戦することを許さないとはいえ、なにか他に助ける手立てがあったのではないか、と……」


 言葉を選びながらも、緊張の色を隠せないバーグマンの姿に、館内の空気は一瞬ピリリとした。


 しかし、フリードはその前にどっしりと立ち、鼻で笑った。


「ははは、何を悩む必要がある? 勝ったんだから、それで十分だろう。バーグマン殿がどう思おうと、事実は変わらないんだ」


 バーグマンは目を丸くし、驚きと少しの困惑を浮かべた。


「そ、そうか……いや、しかし、こちらとしては、ヴァリー殿を送り出すしか手がなく、……それで全てを済ませるのは少々心苦しく……」


 フリードは肩をすくめ、さらに笑みを広げた。


「心苦しいだと? ははは、それも分かる。だがな、戦場では常に限られた手で最善を尽くすしかないんだ。それに、結果として勝っただろう? 百対五千の戦いで勝利したんだぞ。これ以上何を望むっていうんだ?」


「うちらは、ヴァリー殿がいてくれて本当に助かったんだからな。彼女がいなかったら、向こうの魔法部隊にうちらが蹂躙されていた可能性すらあった。いてくれて本当に助かった!」


 ヴァリーは少し照れたように俯きながらも、心の奥でフリードの豪快な言葉に安堵を覚えた。


 バーグマンはフリードの豪快さに圧倒されつつも、少し肩の力を抜いて笑った。


「……なるほど、確かに、勝ったのだから、これ以上のことを嘆くのは野暮というものか」


 フリードは鼻で笑いながら、ヴァリーに目をやった。


「ヴァリー殿。改めて本当にありがとう。俺たちの領も、そしてあなたも、無事だったんだからな」


 ヴァリーは、はい、と小さく頷き、少し照れた笑みを浮かべた。


 館内に温かい空気が流れる。緊張と不安の渦を越えて、家族と盟友が笑い合う、ほんの一瞬の安らぎの時間。


 バーグマンもまた、少しだけ心の底から安心した様子で、ソファに深く体を埋めるのであった。






 その次の日、ホーネット村は静かな緊張に包まれていた。


 青空が広がり、風はやさしく畑を撫でる。けれど、村の広場に集まった人々の顔は硬く、重い。


 今日は、戦没者の合同慰霊祭だった。


 フリードをはじめとするビック家の面々、村の長老たち、村人総出で設けられた祭壇には、花が供えられている。普段は子供の笑い声が響く広場も、今日ばかりは息を呑むような静けさに包まれていた。


 その輪の中に、ヴェクスター領の領主バーグマン男爵とその娘アビーの姿もあった。


彼らは偶然にも今日は慰霊祭があると知り、犠牲となった人々に哀悼を捧げるために、自ら参列を希望したのだ。


隣領の男爵が村の慰霊祭に姿を現すこと自体が異例であったが、それはこの戦の重みを示すようでもあった。


 祭壇の前に立ったのは、フリードだった。


 その堂々とした体躯は、いつものように力強く見える。だが、その声が広場に響き渡るとき、彼の背中には深い悲しみが宿っていた。


「——今日は、我らが仲間であり、友であった者たちの御霊を弔う日だ」


 低く震える声。


 フリードは祭壇に向かい、一人一人の名を呼んでいった。


「シモン……ライド……リーヴ……ガルド……そして、ミハエル……」


 その名を呼ぶたびに、広場のあちこちで嗚咽が漏れた。


 呼ばれたのは、決して名のある武人ではない。幼いころからフリードと共に畑を耕し、川で魚を追いかけ、時には酒を酌み交わし、くだらぬことで殴り合いもした——そんな村の男たちだった。


 フリードの目に涙が浮かぶ。大きな体を震わせながら、しかし言葉を続ける。


「彼らは、この理不尽な戦において、真っ先に手を挙げてくれた。誰よりも勇敢に立ち、そして——この村を、我らの未来を、子供たちを守るために戦ってくれたのだ」


 拳を固く握る。


 その拳に滲む悔しさと誇りは、村の人々の胸にも響いた。


「私は……彼らを心から誇りに思う。彼らの犠牲があったからこそ、この村は生き延びた。我らはそのことを決して忘れない」


 涙が頬を伝い落ちる。


 普段は鬼神と恐れられる剣豪の姿ではなく、一人の男、一人の友としてのフリードがそこにいた。


「残された遺族よ、安心してくれ。お前たちが独りになることはない。私が、ビック家が、村全体が……責任を持って支える。子らが大きくなるその日まで、決して見捨てはしない」


 その言葉に、未亡人となった妻たちが声を押し殺しながら泣き、子供たちが母の裾を握って小さな肩を震わせた。


 フリードは深く頭を下げ、声を震わせて最後に言った。


「命を懸けて村を守ってくれた御霊に、感謝を捧げる。どうか安らかに……」


 その瞬間、村全体が嗚咽に包まれた。


 男も女も、老いも若きも、皆が涙を拭いながら手を合わせる。


 やがて、戦没者たちの遺体は荼毘に付され、静かに煙が空へと昇っていった。


 その煙はまるで魂が天へと導かれるようで、誰もが手を合わせて見送った。


 儀式の最後に、広場の中心に石碑が建てられた。


 質素だが重厚なその石には、後日戦没者の名が刻まれる。村の子供たちは、その石碑をじっと見つめていた。まだ幼い彼らには死の意味をすべて理解できないかもしれない。だが、この碑が語る重みだけは、確かに心に刻まれたのだ。


 ——慰霊祭は、静かに幕を閉じた。





 その夜。


 フリードは自宅に戻ったが、心の中に残る痛みは簡単に癒えるものではなかった。


 大広間で一人、杯を手にしていた。


 戦場では流さなかった涙を、今になってこぼしながら。


「……あいつら、もっと酒を飲みたかっただろうな……もっと馬鹿な喧嘩をしたかったろうに……」


 ぽつり、ぽつりと呟く。


 豪胆な剣鬼と呼ばれる男が、今はただ友を想い泣く父親でしかなかった。


 その肩に、小さな手がぽんと置かれた。


「……おとーさまは、なきむしでこまったものですねぇ」


 振り返れば、そこにはアクティが立っていた。


 幼い娘が、まるで大人のように微笑み、父の頭をぽんぽんと撫でていた。


 フリードの胸に熱いものが込み上げる。


「アクティ……お前……」


 その優しい仕草に、さらに涙がこぼれ落ちる。


 だが次の瞬間——。


「えいっ」


 アクティの手が父の頭を撫でるふりをして、思い切り額をはじいた。


「いってぇっ!?」


 驚いて飛び上がるフリード。


 アクティはにやりと笑い、両手を腰に当てて胸を張った。


「ふふん、なきむしな、おとーさまにはおしおきです!」


 呆気にとられたフリードは数秒固まった後、堪えきれずに大笑いした。


 その笑い声は、家中に響き渡り、悲しみをほんの少しだけ和らげていった。


 涙と笑いが入り混じる、そんな夜。


 フリードは改めて思う。——守るべきものがあるからこそ、戦うのだと。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ