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第107話 ベントレー公爵 04

 その夜。


 ベントレー公爵は、従者も連れず、ただ信頼の厚い側近ひとりだけを伴ってビック領館を訪れた。昼間の幔幕での公式な場とは打って変わり、今度は領館の奥、囲炉裏の火がゆるやかに燃える静かな部屋だった。


 卓を囲むのはフリードとオデッセイ、そして小柄なヴェゼル。公爵と側近を加えて、わずか五人。人払いはすでに済んでいる。


 公爵は席につくと、まずは礼を述べるでもなく、低い声で切り出した。


「……聞いた話だが、今回の戦で黒煙を上げ、轟音と共に敵を焼き尽くした爆発の道具――陶器の壺に詰められたものを、農民兵までもが使いこなしていたそうだ。あれは一体、誰の考案か?」


 その問いに室内の空気が一気に張り詰めた。


 フリードが目を伏せ、オデッセイが一瞬逡巡し、それでも正直に答える。


「……すべての着想は、ヴェゼルの頭から生まれたものです」


 公爵の瞳が鋭く、今度は少年へと突き刺さる。すでに予想していたかのように。


「やはりか。――ヴェゼル殿。あの製法を帝国に差し出す気はないか? 代償として、伯爵位でも、莫大な金銀でも望みのままに与えよう」


 その言葉にヴェゼルはしばし沈黙した。小さな手が卓の上で固く握りしめられている。


 やがて彼は口を開いた。


「……考えたのは確かに僕です。でも――実際に作り、運用できるのは母のオデッセイだけです。僕には、それを形にする詳細はことは分かりません」


 公爵はわずかに眉を動かす。だがヴェゼルの表情が変わった。子供らしからぬ影が顔に落ち、低い声で続ける。


「正直に言います。僕は、この武器を作ることに躊躇がありました。ですが……今回の戦はそれがないと勝ち目がなかった。だから苦渋の決断で投入したのです。」


 公爵は静かに頷いた。理解の色はある。だが次の一言で、その場の空気が一変した。


「――ですが、『この世界』で、この製法を知っているのは『今』は僕だけです」


 公爵の眉がわずかに動く。


「“この世界”……だと?」


 ヴェゼルは真っ直ぐ公爵を見据え、言った。


「ええ、『この世界』です。過去に、初代教皇様はおそらくその製法を知っていたと思います。でも、あの人は作らなかった。――作ればどうなるかを知っていたからでしょう」


 室内にいた全員が、呼吸を忘れたかのように静まり返った。囲炉裏の火がぱちりと弾け、影を揺らす。


「この武器は、誰でもすぐに使える。今回のように農民でも、子どもでも。ひと壺で数百人、数千人を殺せるものもできる。材料さえあれば、ひとりの手で数万人でも殺せる可能性があるんです」


 ヴェゼルの声は淡々としていた。だがその内容は、血よりも冷たく、死よりも重い。


「帝国に渡せば、情報は必ずいつか漏れる。戦争で使われれば、数百万、数千万……いいえ、数億人が死ぬでしょう。それは『歴史で証明されている』確定した未来です」


 その瞬間、ヴェゼルの瞳が冷たい炎に燃え上がった。


 六歳の少年の顔ではない。修羅のごとき殺意と決意が凝縮されていた。


「――もしも帝国がそれを求め、この世界で使うというのなら……今回自分が使ったことと矛盾していますが……そのときは、僕はその国の敵となります。帝国であれ、どこであれ。『それ』を使う者すべてを殲滅します。これは誰かが悪者になってでも制御しなければならないんです」


 公爵の喉がごくりと鳴った。


 側近の者は青ざめ、フリードでさえ言葉を失い、オデッセイは息を詰めたままヴェゼルを見ている。


 公爵はかろうじて声を絞り出した。


「……帝国どころか、全人類の敵になると宣言するか。まるで魔王ではないか」


 ヴェゼルは瞳を伏せず、真っ直ぐに答えた。


「そう思われても構いません」


 その後は静寂が続いた。


 そして話し合いが終わろうとした時、徐にヴェゼルが話し出す。


「では最後に、ひとつだけお遊びを」


ヴェゼルは静かに立ち上がり、公爵を正面から見据えた。


「……僕の魔法について、改めてお話しします」


その声音には幼さが残るはずなのに、場の空気を支配するだけの重みがあった。


「僕の魔法は、“収納魔法”です。ご存知の通り、容量はりんご一個分程度しかない。だから“ハズレ魔法”と呼ばれてきました」


ヴェゼルは淡々と語りながら、ふっと笑みを浮かべる。


「ですが……僕の魔法の本質は違います」


公爵が眉をひそめると、ヴェゼルは箱を掲げた。


「僕の収納魔法は、目に映る範囲でならば、どんな物でも……そう、生き物でさえも触れずに収納できます」


言葉と同時に、公爵の手元にあった銀のスプーンが、するりと消えた。


数メートルも距離があるはずなのに、触れることなく消えたのだ。


次の瞬間、ヴェゼルの手の中の箱から、同じスプーンが取り出される。


「……っ!」


公爵の側近が思わず声をあげた。公爵は唇を固く結び、その視線を逸らさなかった。


だが、事態はまだ序の口だった。


「ごめんね、サクラ」


ヴェゼルが小さく箱に声をかけると、そこから、ひとりの――小さな妖精が、むくりと現れた。


「なによ!せっかく寝てたのに!」


羽をばたつかせ、迷惑そうに文句を言うサクラ。


「……生きている妖精が…………箱から?」


公爵は思わず椅子を握り締めた。けれど、次の説明が、公爵の理性を決定的に打ち砕く。


「先ほどの説明を補足します。僕の魔法は――このサクラのように生きている者の体の全部若しくは、容量内であれば体の一部であっても、目に映れば収納できるのです」


そう言って、ヴェゼルは箱に手を差し入れた。


次に引きずり出されたのは、血に塗れた“右手”と“膝”。


「――――!」


生々しい血臭が部屋を満たす。公爵の側近は椅子を蹴って立ち上がり、公爵自身も喉の奥から吐き気がこみ上げた。


ヴェゼルの顔は苦悶に歪んだが、すぐに手を振り、欠損した部位を再び箱へと飲み込ませる。


そして、微笑んだ。「お見苦しいものを、お見せしました」


その瞬間、公爵の頭に閃いた記憶。


――会議の時、スタンザ伯爵が語っていた、クリッパーが手と膝を失ったという報告。


まさか、その傷は……ヴェゼルによるものだったのか。


「……っ……!」


全身の毛穴が一斉に逆立つ。恐怖と悍ましさで、肌に鳥肌が走る。


これは規格外だ。


手に触れず遠くのものを生き物すらを収納できる収納魔法。妖精を従える存在。そして転生者を思わせる知識。


――絶対に、敵に回してはならない。


――たとえ帝国であろうと、この少年を敵にしてはならない。


公爵は、心の奥でその結論に到達していた。


畏怖と同時に、確信があった。


この存在は、帝国の未来さえも変える“異質”だと。



 公爵は長く深い沈黙に沈んだ。焔が揺れる音だけが聞こえる。やがて彼は苦渋の末に口を開く。


「……私の一存では決められぬ。しかし、このことは、『私の口』からは二度と語らぬと約束しよう」


 その言葉と共に、密談は終わった。




 領館を後にした公爵は、自身の幔幕へ戻ると、寝台に腰を下ろした。


 だが眠気など訪れない。


 少年の言葉が、耳の奥でこだまする。




――「生きている者の体の一部であっても、目に映れば収納できるのです」 


離れているところから肉体の一部を? なんとも悍ましい、




そして、


 ――「あの製法を知っているのは、初代教皇様。」


 ――「それを使えば、数億人が死ぬ。それは『歴史で実証』されている。」


 公爵の額に冷や汗が浮かぶ。


 実証――? 歴史で?


 この世界において、そんな大規模な殺戮などありえない。だが――もし。


「……転生者。」


 公爵は低くつぶやいた。


 初代教皇は転生者であったと言われている。別の世界で、“それ”の破壊力を知っていたのではないか。そこで数億人が死んだのを知っていたからこそ、この世界では決して作らなかったのではないか。


 ――ヴェゼル。


 あの少年もまた――転生者なのか。


 思考は次々に重なり合い、巨大な闇のように心を覆った。


 そこでふと、思い出す。

 

 停戦会議が終わった後、スタンザ伯爵が会議の部屋を出た後、崩れ落ちた。


 今も生きてはいるが、意識は戻っていないという。


 部屋を出る時、伯爵はヴェゼルに何かを言って部屋を出た。


 ヴェゼルが一瞥して、その後に伯爵は……。


………………それ以上は考えてはいけないと、自分の心が警鐘を鳴らした。




公爵は両手で顔を覆い、背を震わせた。


 あまりに大きすぎる真実。 確証はないがほぼ間違ってはいないだろう。


 もはや帝国も、公爵家も、皇帝すらも、この話に触れるべきではない。


 ――ただひとつ確かなのは。


 あの小さな少年を敵に回すことだけは、決してあってはならない。


 ベントレー公爵はそう心に刻みつけながら、夜の闇に沈んでいった。







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