表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

109/368

第106話 ベントレー公爵 03

 公爵はヴェゼルに視線を戻した。


「……ヴェゼル殿。残る望みとやらを、聞かせてもらおう」


 幕舎の空気が再び緊張に包まれる。幼い子供の口からどのような望みが出るのか――誰も予想できなかった。


 ヴェゼルは椅子から身を乗り出し、真剣な眼差しで公爵を見据える。


「……この領は、玩具や酒や白磁、いろんなものを作って、注目を集めています。今回の戦争で、その注目はもっと強くなるでしょう」


 その言葉に、重臣たちがざわつく。六歳児とは思えぬ冷静な分析だった。


 ヴェゼルは続ける。


「だから、きっとまた戦争をふっかけられたり、この領の秘密を盗もうとする者が現れると思います。……だからこそ」


 一度深く息を吸い込み、はっきりと言い放った。


「この領に悪意を持って侵入した者は、何人なんびとたりとも――『僕』が処断しても、お咎めを受けないことを、認めてください!」


 その瞬間、公爵の眉が大きく跳ね上がる。


「な、何だと……!?」


 側近の一人が口を開く。


「お戯れを……六歳の童子が……処断の権を求めるなど!」


 しかしヴェゼルは怯まなかった。声に、強い決意が宿っていた。


「僕は遊びで言っているんじゃありません。領を守るのは僕たちです。だから、外から悪意を持ってやって来る者は、容赦しません!」


 その言葉に、公爵は思わず息を呑んだ。幼子の純粋さと恐ろしいまでの覚悟――それは、ただの願いではなく、未来を見据えた「誓い」だった。


 公爵はヴェゼルの言葉を受け、深く息を吐いた。


「……六歳の子供が口にする望みとは思えぬな」


 その声音には畏怖と賞賛が入り混じっていた。重臣たちも顔を見合わせる。驚き、呆れ、そして心のどこかで安堵していた。領土や爵位の要求ではない。


しかし、この「侵入者への処断権」を帝国公爵が正式に認めれば、ビック領は実質的に自治領のような性質を帯びる。


「ヴェゼル殿……汝の望み、確かに聞き届けた。ビック領に悪意を持って踏み入る者は、命を賭して覚悟せよと。たとえ帝国の臣であろうと、この約定をもってヴェゼル殿に責は問われぬと認めよう」


 公爵の宣言に場が張り詰める。重臣たちはざわめき、言葉の意味を測りかねて息を呑んだ。


 オデッセイはゆっくりと目を閉じ、深く頷く。


「……それで良いわ。ヴェゼル、あなたの選択に間違いはないわ」


 オデッセイは苦笑を浮かべながらも、内心でこの息子の先見に戦慄していた。幼いながらも、領の未来に最も必要なものを見抜いている。


 公爵は再び笑みを浮かべ、膝を打った。


「この戦の後、帝都に上る折に私が責任をもって皇帝へ奏上する。……いや、むしろサクラ殿の一件は私が握り潰しておいた方が良いかもしれぬな。皇帝陛下や皇妃殿下が妖精の件を知れば、欲をかかれる可能性も否定できぬ」


 その言葉に、サクラが肩の上でふんぞり返る。


「ふふん、当然よ! 私を奪おうなんて、百年早いわ!」


 彼女はケーキを所望し、セリカが慌てて菓子盆を取り寄せる。ヴァリーは呆れ顔でそれを見つめ、ヴェゼルは半ば諦め顔で笑みをこぼした。





 幕舎の中は、人払いが解除されて人も戻り、一転して和やかな空気に包まれた。緊張の連続だった公爵の問いかけが終わり、重苦しい場がほどけていく。


 公爵は杯を手に取り、フリードへ向き直った。


「……ビック家はやはり恐ろしい家よ。領地拡大や陞爵を望まず、ただ民の安寧と自らの手で得た成果を守るために矜持を立てる。帝国の諸侯の中で、このような答えを返す家はまずない」


 フリードは淡く笑いながら、静かに答える。


「我らは初代より、民と共に歩むことを家訓としておりますゆえ」


 そう言って掲げられた言葉を、公爵も重臣たちも再び噛み締める。


『民と共に歩め。土と風水を友とせよ。驕る心は身を滅ぼす』


 簡素にして力強いその家訓は、まるで大地に根を下ろした樹木のごとく、この家を支えてきたのだと誰もが悟った。



 宴席が整い、客人たちが盃を交わす中、ヴェゼルはポケットの中のサクラをちらと見やった。彼女は口いっぱいにケーキを頬張り、上機嫌に揺れている。


(うわ、服のポケット洗わなきゃ……箱には戻って食べればいいのに……でも、婚約者、か)


 アビーもヴァリーも、そしてサクラまでもが「自分の伴侶」を名乗ることになる。六歳の子供には荷が重すぎる。


しかし、逃げるわけにはいかない。自らの望みを口にしてしまった以上、背負う覚悟が必要だ。


「……僕は、この領を守る」


 小さく呟いた言葉を、セリカが聞き取った。彼女は一瞬驚き、そして優しく微笑んだ。


「その決意を忘れぬ限り、ヴェゼル様は必ず大成されます」



 やがて公爵は盃を置き、全員に向けて高らかに言い放った。


「ビック家の戦、この戦役は帝国の歴史に刻まれるだろう。……いや、後の世はこう呼ぶかもしれぬな――『ビック領の奇跡』と!」


 その宣言に場が大きく沸いた。


 兵らは誇りを胸に刻み、民草は涙を流し、そしてフリードとオデッセイ、ヴェゼルらは互いに視線を交わした。


 奇跡と呼ばれるか否かは未来が決める。だが確かにこの瞬間、ビック領は帝国のただの辺境ではなく、歴史の中心へと歩み出したのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ