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第104話 ベントレー公爵 01

 翌日、ホーネット村の領館に伝令がきた。「明日、ベントレー公爵が帰還する」との知らせが届いたのだ。


 同時に、フリード、そしてオデッセイそして、ヴェゼルに宛てて「旅立つ前に一度会いたい」との申し出があった。


戦乱の収束後、帝国による裁可が下る前に、公爵が何を語ろうとしているのか。三人はそれぞれに思案をめぐらせつつ、翌朝、公爵のもとへと赴いた。


 通されたのはホーネット村を出てすぐの広場に広げられた幔幕であった。


野外の幔幕ではあるが、中に入るとただの所謂布製のテントの印象ではなく、華美ではないが決して俗っぽくない、帝国随一の名門らしい威厳に満ちた部屋だった。


重厚な椅子に腰かけるベントレー公爵は、すでに旅装の準備を整えている様子であった。


「よく来てくれたな」


 公爵は落ち着いた声音で三人を迎え、まずフリードに視線を向ける。


「このたびはビック領において大義だった。民のために戦ったその献身、帝国の一貴族としてまことに感謝する」


 フリードは頭を下げ、殊勝に礼を受けた。その様子に、公爵はうなずいてから視線をヴェゼルへと移す。


「そして……ヴェゼル殿。わたしからも礼を述べねばならぬことがある」


 意外な言葉に、ヴェゼルは少し首をかしげた。何のことかと訝しむ視線を受けて、公爵は微笑しながら続ける。


「実はな、エプシロン皇妃陛下より我が孫ジュリエッタに知育玩具が下賜された。……エプシロン皇妃陛下は私の娘だ。それを貰った孫はことのほか喜んでな。毎日のように飽かず勉強しながらも遊んでおるのだ」


 その言葉に、フリードとオデッセイがわずかに目を見開いた。公爵がこの場で「知育玩具」を持ち出すとは思ってもみなかったのだ。


 公爵は続ける。


「わしも初めて目にしたが、なるほど工夫に富んでおる。子の知恵を自然に引き出す造り……一体、どのような者が考案したのかと不思議に思ってな」


 そこで、公爵の眼光が鋭くヴェゼルに注がれる。


「まさか……ヴェゼル殿の作ではあるまいな?」


 問いかけは柔らかくも、どこか核心を突いてくる響きだった。ヴェゼルはちらりとオデッセイを見た。するとオデッセイが小さく頷く。ヴェゼルは正直に答えた。


「はい。……拙い工夫ではありますが、私が考案したものにございます」


 途端、公爵の目が見開かれ、わずかな驚きが広間を支配した。


「やはり……そうであったか!」


 公爵は笑みを深めつつ、感嘆の声を上げた。


「学ぶ年齢にあるヴェゼル殿が、同世代の子らが学ぶための道具を発想し、形にするとは……驚嘆に値する。わしの孫のジュリエッタも賢いと思っていたが、とてもヴェゼル殿の才には及ばぬ。そして今回の戦果。皇子、皇女らとて同じだ。いや、比ぶるのも憚られるな」


 言葉は称賛であったが、その裏には重い含意があった。皇族をも凌ぐ才、という評価は、同時に帝国にとって「利用価値のある存在」としての宣告でもある。


 公爵は少し間を置いてから、冗談めかして言葉を添えた。


「惜しいことだ。ヴェゼル殿にはすでに婚約者があると聞く。でなければ……孫の婿にと望んだであろうに」


 軽く笑う声。だがその目は決して笑っていなかった。


 オデッセイは敏感にそれを感じ取った。公爵が本心から冗談を言ったわけではないことを悟る。彼の眼差しは、皇帝か、あるいは公爵自身が、ヴェゼルを取り込もうと画策していることを物語っていた。オデッセイの胸中に警戒心が募る。ヴェゼルを守らねば――。


 だが、公爵もまた老獪であった。オデッセイのわずかな気配の変化を察し、にこやかに続ける。


「いやいや、卿らを惑わすつもりはない。皇妃陛下が卿らと親交を深めたいと望まれたのだ。オデッセイ殿とその御子、そして今回の戦の英雄フリード卿とな。ヴェゼル殿はその縁に連なる者にすぎぬ」


 その言葉に、フリードは単純に喜びを示した。公爵本人と皇妃自らが親交を求めるなど、武人としてこれ以上の誉れはないと感じたのだ。


 だが、オデッセイの心にはなおもわだかまりが残った。公爵の言葉は表向きのものにすぎず、その奥底には別の意図が潜んでいる。彼はそう確信していた。


 公爵はさらに言葉を重ねる。


「やがて卿も学園に入学するのだろう。その折にはぜひ、我が孫、さらには皇子や皇女とも親しく交わってほしい。若き才が集えば、きっと帝国の未来にとって大いなる力となろう」


 ヴェゼルは内心で大きくため息をついていた。高位貴族の子息子女と親しくせよ、とは、要するに彼らの人脈に組み込まれろということだ。面倒以外の何物でもない。だが、表情には出さぬよう努め、手元に握っていた箱に目を落としてから、形だけの返事をした。


「……はい。承知いたしました」


 しかし、どうやらそのわずかな不満は顔ににじみ出ていたらしい。公爵は苦笑を浮かべ、穏やかに肩をすくめた。


「はは……無理もない。高位貴族の子弟たちと交わることは、ヴェゼル殿にとって煩わしいことかもしれぬ。だがなヴェゼル殿、才ある者はそれゆえに人に求められるもの。覚えておくがよい」


 その一言に、ヴェゼルは内心で舌を巻いた。公爵は本心を隠しつつも、要所では鋭く核心を突いてくる。迂闊なことを言えば、すぐに見透かされてしまうだろう。


 フリードは素直に栄誉を喜び、オデッセイは公爵の底意を疑い、ヴェゼルはただ「余計な厄介ごとが増えそうだ」とうんざりしていた。


そして、公爵が告げた。


「さて、では、本題に入ろうか」と。





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