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第100話 停戦会議

 翌朝。ホーネット村の領館は異様な緊張に包まれていた。


石造りの大広間には、長卓が一本据えられ、その両端にビック領とサマーセット領の代表が向かい合う形で座らされる。


窓は閉ざされ、重苦しい沈黙が空気を満たしていた。


 ビック領からは、フリード、オデッセイ、ヴェゼル、そしてルークス。一方、サマーセット側からは、スタンザ伯爵、嫡男ローグ、執事エコー、顔色の悪いクリッパーが介添に支えられて入ってきた。さらに軍の将軍が入室した。


 クリッパーは全身に包帯を巻かれ、虚ろな目を落としながら引きずられるようにして入ってくる。その姿を一瞥したスタンザは、わずかに口角を吊り上げ、冷ややかに呟いた。


 「……この無能が」


 その声は低く、しかし明瞭に響き、場に居合わせた全員に届いた。クリッパーは小さく身を縮め、唇を噛む。


そして、席に着いたスタンザは自分の目の前にいるオデッセイをじっと見つめる。ただ、無表情のままひたすらにじっと。



 やがて、扉が大きく開かれた。重厚な外套をまとったベントレー公爵が、衛兵とともに入場する。全員が立ち上がり、礼をとる。


 「皆の者、座れ」


 公爵が着席するや、会議が始まった。



 まずはビック領の言い分を聞くことが求められた。フリードは椅子から立ち上がり、拳を卓に叩きつけるようにして言葉を吐き出した。


 「お前らのせいで――俺の領民が五人も死んだ! お前らにとっては取るに足らん数字かもしれん。だがな、俺にとっては幼い頃から一緒に育ち、畑を耕し、戦場に立ち、この領を守ってきた仲間だ! その命を……こんな意味もねぇ、クソみたいな戦争に巻き込みやがって……!」


 声は震え、目には怒りと涙が滲んでいた。


 その瞬間、これまで伏せられていたスタンザの顔がゆっくりと上がる。彼はフリードを正面から見据え、唇を弧に歪めた。


 ――微笑。


 だがその笑みには、同情も謝罪もなかった。ただ、薄気味悪い満足感。


だが今は違う。悪感情であれ、憎悪であれ


――自分に視線を向け、言葉をぶつけてくれる。それだけで、スタンザには歪んだ愉悦があった。



 次にオデッセイが静かに立ち上がり、机上に数通の書状を広げた。


 「これがサマーセットからの宣戦布告書。ですが――」


 彼女の指先が一枚一枚を示す。


 「そのどれもが捏造であり、虚偽です。架空の事件、存在しない略奪、偽りの証言。あなたの領が、いかに無理やりな口実で戦を仕掛けたか、証拠はすべてここにあります」



 スタンザとクリッパーが同時に口を開こうとした。


 「戯言を――」


 「これは帝国への――」


 しかし、公爵の一喝がそれを遮る。「黙れ!」


 その声は雷鳴のように響き、ふたりの口はすぐさま閉ざされた。



 公爵はスタンザにも発言を求めた。スタンザは悠然と椅子に身を預け、涼しい顔で語り始める。


 「すべては我が領を守るための正義の戦であった。ビック領こそが帝国の秩序を乱し――」


 だが、そのほとんどは虚構であり、証拠もなく、説得力は皆無であった。


 次にクリッパーに発言を求める。総大将としての責務を問われ、彼はガタガタと震えた。視線を彷徨わせたのち、ヴェゼルの幼い顔に出会ってしまった。ヴェゼルの手元にはいつもの小さい箱がある。


 「ひっ……ひぃっ……!」


 クリッパーの喉が潰れたような悲鳴を上げる。


ヴェゼルの眼差し


――無垢でありながら氷の刃のように冷たいその瞳が、彼の心臓を握り潰す。口を開くことはできなかった。



 やがて、公爵はヴェゼルに視線を向けた。


 「……ヴェゼル殿。貴殿の言葉も聞こう」



 静寂が訪れる。六歳の子供が発言を求められたことに、誰もが戸惑いを隠せなかった。だがヴェゼルは、ゆっくりと席を立ち、卓の上に小さな両手を置いた。


 「……この戦争と、アクティの誘拐を考えたやつ」


 その声は幼いが、異様に冷徹だった。


 「そしてアクティに暴力をふるったクリッパー。それを止めず、協力したエコー」


 名前を挙げられた三人は一斉に顔を強張らせる。


 「お前らは……誰がなんと言おうとも。例え何十年かかろうとも。俺が犯罪者と呼ばれようとも」


 ヴェゼルの瞳が紅く光るようにさえ見えた。


 「――俺の手で必ず殺す」


 その瞬間、空気が凍りついた。六歳の子供から放たれたとは到底思えぬ、死の宣告。


 エコーは目を閉じた。だが震えは止まらない。スタンザの余裕ある笑みも、わずかに引き攣った。


 そして、クリッパー。


 「や、やめろ……く、来るな……!」


 全身を硬直させ、狂乱したように椅子を蹴って暴れだした。目を剥き、泡を吹きながら叫ぶ。


 「ひぃいい! いやだぁあああ! 俺を殺すな! 殺される! 助けてええええええ!」


 足を引きずり、床に這いつくばり、手を伸ばす。だがそこにはあったはずの右手がない。そして誰かの救いの手もあるはずがない。その姿は、既に人としての体裁を失った醜態だった。


 公爵の背筋に冷たいものが走る。


 ――これは、ただの脅しではない。


 ――本当にやる。


 六歳の子供の口から出たとは思えぬ、異質の殺意。娘の皇妃が口にしていた言葉が脳裏をよぎる。


 「ヴェゼル……この子は帝国の未来を左右する。異質なる存在になり得る」


 公爵はその真実をまざまざと見せつけられたのだ。



 その狂乱の中で、静かに立ち上がった者がいた。ローグである。彼は父スタンザと弟クリッパーを見つめ、その瞳には深い絶望と覚悟があった。


 「……サマーセット領の嫡男として、言わせてもらいます」


 その声は震えていたが、力強かった。


 「父と弟が犯したことは、何をもってしても償えるものではありません。ビック騎士爵殿の臨むままに、我らは罰を受ける所存です」


 その言葉に、公爵は静かに頷いた。


 「よく言った、ローグ殿。……だが、この場で結論を出すことはせぬ。すべては皇帝陛下に上申する」


 そして、決定的な宣言を告げた。


 「ただし――この時をもって、帝国の名において。サマーセットは、ローグ殿が継ぐこととする」


 広間にどよめきが走った。スタンザは笑みを失い、エコーは項垂れ、クリッパーは泡を吐きながら痙攣していた。


 ローグは深々と頭を垂れる。その姿に、公爵は重苦しい確信を抱いていた。


 ――この子、ヴェゼルこそが帝国の未来を動かす。それは救いか、破滅か。誰にも分からぬ。




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