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第99話 サマーセット伯爵家 スタンザという男 その2

オデッセイへの淡い憧れを失った後、スタンザは父の言葉に従うしかなかった。


父の勧めで、有力な商家にして子爵の娘を妻に迎えたのである。


だが、その妻は「貴族の妻」という地位を鼻にかける女であった。


元商人であるにもかかわらず、ことあるごとに「高貴さ」を振りかざし、周囲を見下した。


スタンザ自身も心の底では「自分たちは成り上がり」と理解しているだけに、その姿は嫌悪を募らせた。


しかし、皮肉なことに、彼自身もまた父の思想に縛られている。


平民を蔑み、爵位の低い者を見下しながらも、その実、自分が同じ出自であることを拭い去ることができない。


そんな自己矛盾のなかで、日々苛立ちは蓄積していった。





そんな中、嫡男ローグは、穏やかでどこか母の性質も受け継がない、ごく普通の青年へと育った。


私の母がそんな温和な普通の人だった。


今にして思えば、その母が亡くなってから、父は徐々に変わっていった気がする。


嫡男のその「平凡さ」が、むしろスタンザには救いに見えた。


父の呪縛から自由であり、彼自身に似ていないことが安堵でもあり、同時に複雑な感情を呼び起こした。


一方、次男クリッパーは違った。


性格の粗さ、他者を見下す態度、そして短気さ――すべてがスタンザ自身の若き日の姿を映すようだった。


父としては愛情があった。だが、彼を見つめると「自分の劣化版」のように感じられ、苛立ちと嫌悪が入り混じる。


それでも、彼を正すことはできなかった。なぜなら、自分自身が同じ歪みを抱えているからだ。





ある日、クリッパーがヴェクスター男爵領の街で、アビーに言い寄った。


ヴェクスター家の娘と縁を結べば領の利益にもなる。


ヴェクスター領はここから皇都へ行くときには必ず通らなければならない場所だ。


だから「仲良くしておけ」と父として言い含めていたのだ。


だが、アビーはすでにビック家の嫡男と婚約が成立していた。


クリッパーはそれを無視して誘おうとし、断られた挙句、ビック家の息子――ヴェゼルに剣を抜かれて打ち倒された。


クリッパーの報告は、自分に都合のいい形で脚色されていた。


「ビック家の小僧が暴力をふるった」「アビーを無理やり連れ去った」――と。


スタンザは息子の性格を知っている。


おそらく、事の真相は違うだろう。


クリッパーが軽率に振る舞い、逆に恥をかいただけだと分かっていた。


しかし、もはや後戻りできない。


ここまで歪みを抱え込んでしまった自分も、伯爵家も、今さら正しい道を選べるはずがなかった。


「クリッパーを信じる」という形をとらねば、家の威信は保てないのだ。





スタンザの心は、憧れと憎悪が渦巻く混沌と化していた。


――フリード。


幼き日に憧れた存在。強く、朗らかで、誰からも慕われる男。


だが、自分は一度も隣に立てなかった。




――オデッセイ。


初恋の相手。賢く美しく、そして自分が最も求めていた「才」を備えた才女。


だが、その彼女を遠くから見つめることしかできず、ついには彼女の功績が自分の家を追い詰めた。


その二人が結ばれ、家庭を築いたと知ったとき、スタンザの心は絶望に染まった。


かつて憧れた二人が共に歩む道を選び、そして――その息子ヴェゼルが、またしても自分たちの行く手を阻む存在となる。


「なぜだ……なぜ自分が踏みしめるたび、その先には必ずあの二人が立ちはだかるのか」


この問いは、やがて歪んだ確信へと変わる。


――自分の人生を狂わせてきたのは、常にフリードとオデッセイなのだ、と。






嫡男ローグは諌めた。


「父上、これは筋違いです。争えば領を疲弊させるだけです」


だが、スタンザは聞く耳を持たなかった。


今さら引き下がれば、父の代から築いた「成り上がり伯爵家の威信」が崩れ落ちる。


それだけは絶対に許されなかった。


内心の葛藤を押し殺し、スタンザは決意する。


――ビック家に制裁を加えねばならぬ。


たとえ心の底では、クリッパーの話に疑念を抱いていようとも。





スタンザの人生は、つねに「憧れ」と「劣等感」と「父の影」に支配され続けた。


本当はただ、フリードと仲良くなりたかった。


本当はただ、オデッセイに振り向いてほしかった。


ただ、それだけのことだった。


だが、その小さな勇気を出せずに過ごした年月は、やがて澱のように積み重なり、彼を怪物へと変えてしまった。


そして今、スタンザは己の次男クリッパーを前に、かつての自分を見ている。


愛おしさと嫌悪。期待と諦め。


その矛盾が胸を締め付け、逃れられぬ業のように絡みつく。


やがて彼の憎悪は、フリード、オデッセイ、そしてヴェゼルへと向かい、運命の歯車を大きく回していくのであった。












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