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第97話 アクティ、ホーネット村に帰る

 アクティがホーネット村へと帰ってきたのは、三日後のことだった。


 道中、帝国軍の護衛は異例とも言える厳重さであった。


先の戦で歴史的勝利を収めたビック領の威信を守るためでもあり、また、幼い少女を二度と危険に晒してはならないという領内外の総意でもあった。


馬車の周囲を固める兵士たちの鎧は太陽に鈍く光り、村へ近づくにつれてその行列は、凱旋のような雰囲気すら漂わせていた。


 村の門をくぐると同時に、領館の前にはすでに多くの人々が集まっていた。先触れで「アクティ様が無事に帰る」という報せは届いていたが、それでも彼らはその小さな英雄の姿を自分の目で確かめたくて、待ち切れなかったのだ。


 最初に飛び出したのはオデッセイだった。


 「アクティ!」


 彼女は理性よりも心が先に動いていた。勢い余って足がもつれ、石畳に膝をついて転んでしまう。けれど痛みなどまるで気にもとめず、すぐに立ち上がると、必死に馬車へと駆け寄った。


 アクティもまた、窓からその姿を認めた瞬間に扉を開け放ち、駆け出した。


 「おかーさま!」


 二人は中庭の真ん中で衝突するように抱き合い、わんわんと泣きじゃくった。


 「無事で……無事でよかった……!」


 オデッセイはアクティの体を抱きしめながら、何度も同じ言葉を繰り返す。小さな体が震えているのを感じるたびに、自分の心臓が痛む。


 ふと、アクティの頭に巻かれた包帯が目に入った。そこには確かに戦いの傷が刻まれていた。その瞬間、オデッセイの胸からは新たな嗚咽が溢れ出す。


 「私が……もっと気をつけていれば……。あなたにこんな怖い思いも、痛い思いもさせずに済んだのに……」


 彼女は母としての無力さを痛感し、涙に濡れた頬をアクティの髪に押し当てた。


 そこへ、セリカがゆっくりと近づいてきた。


 「……アクティ様……」


 彼女は地面に膝をつき、一目も憚らずにそのまま深々と頭を下げ、土に額を押しつけるようにして土下座をした。


 「私がついていながら、本当に……本当に申し訳ありませんでした!」


 その声は震え、周囲の空気までも張りつめさせた。セリカの肩は細かく震えていた。


彼女にとってアクティを守ることは己の使命であり、誇りであった。その責任を果たせなかった悔しさと自責が、全身から滲み出ていた。


 しかしアクティは、そんなセリカに小さな手を差し伸べた。


 「セリカはわるくないよ。セリカはわるくない」


 その言葉にセリカの目からも涙が溢れ、彼女は何度も首を振りながら「ありがとうございます……」とつぶやいた。


 その場にいたフリードが声を張り上げた。


 「そうだ! ここにいる誰も悪くなんかない! 悪いのは、あいつらだ!」


 彼が鋭く指差した先には、ほぼ護送と変わらない状態で連行されてきたスタンザ伯爵とエコーがいた。鎖に繋がれ、もはや権威の影すら残さないその姿に、領民たちの憤怒の視線が突き刺さった。


 「お前たちのせいでアクティ様がどれだけ……!」


 「許せない!」


「村民がお前らのせいで、何人死んだと思っているんだ!」


 群衆の怒号が響き渡る。


 そこへヴェゼルもアクティのもとへ駆け寄る。アクティは彼の姿を見るや否や、その胸に飛び込み、ぎゅっとしがみついた。


 「おにーさま……!」


 「アクティ……!」


 ルークスが説明する。


 「クリッパーがヴェゼルの悪口を言ったんだ。それに反論したら、アクティが殴られて……。そのあと気絶したアクティを、魔物の餌にしてしまえとまで言ったらしい」


 その言葉に、周囲は一斉に息を呑んだ。怒りが烈火のように燃え上がり、誰もがクリッパーへの憎しみを募らせた。


 ヴェゼルは奥歯を噛みしめ、拳を握りしめる。


 「……あの時、本当に殺してしまえばよかった。世の中には……死んでもいい人間がいるんだと、心の底から思う」


 その低い声には怒りと悔しさ、そして自らを責める苦さが滲んでいた。


 やがて領館に集まってきた領民たちが、一斉にアクティのもとへ駆け寄った。


 「アクティ様、ご無事で!」


 「よかった……! 生きててくださった……!」


 押し寄せる人々の温もりと涙の波に、アクティは改めて自分がどれほど愛され、必要とされているのかを実感する。抱きしめられ、撫でられ、何度も「おかえり」と声をかけられるたびに、心の奥まで安堵の光が広がっていった。


 この瞬間、領民たちもまた救われたのだ。アクティが帰ってきた――その事実だけで、村全体が再び立ち上がる力を得たのであった。




 その夜。


 長い混乱の後で、ようやく訪れた静かな時間。オデッセイとアクティは早々に二人だけで寝室へと向かった。互いに強く抱きしめ合い、言葉はなくても心は通じ合っていた。


 「もう、離さないから」



 オデッセイがそう囁くと、アクティは小さく頷き、母の胸に顔をうずめた。


 二人はそのままベッドに潜り込み、数週間ぶりに訪れた深い眠りに落ちていった。


 夢の中では、痛みも恐怖もなく、ただ温かな家族の愛だけが包んでいた。

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