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エッセイ 

『頭がいい』とは、どういうことだ?

作者: NOMAR

(* ̄∇ ̄)ノ 奇才ノマが極論を述べる


 頭が良いとはどういうことなのだろうな? 

 ノマはこれまで小説家になろう、にいくつかエッセイを投稿してきた。すると有難いことに読んだ方から感想をもらえたりする。


「話の飛躍ぶりからくる個々の事柄が、ユーモアにウイット効いててすごいです」


(∩≧▽≦)∩ わぁい♪褒められた。


「社会派テーマの時の、鋭い切り口が好きです。頭の良い方だなあと思います」


(* ̄∇ ̄)ノ いやあ恐悦至極に存じます。感謝感激。


 ところで……、頭がいい、とはどういうことだ?

 というのもノマは頭が良いか良くないかで言えば良くは無い。ノマは高校中退で最終学歴は中卒だ。なのになぜか頭が良いという評価を頂けたりする。むむむ?

 ノマをよく知る友人いわく、ノマは、


「頭の回転の速いバカ」


 とのことで、なるほどこの表現がしっくりとくる。回転だけは速いらしい。バカだけど。

 では改めて、頭がいいとはどういうことか? チョイと調べてみようか。


■ホモ・サピエンス、知恵のある人


 ホモ・サピエンスとは人間の学名。Homo sapiensとは「知恵のある人」という意味がある。知恵のあるホモ属のことを人間と呼ぶ。

 類人猿の中で最も賢かったから万物の霊長として繁栄し、地上の覇権を握った。と、いうことになっている。


 ホモ・サピエンスの賢さとは具体的にどういうところなのか? それを調べた実験を三つ紹介する。


 先ずは人間の大学生とチンパンジー、どちらが頭がいいか比較するという実験。

 比較する分野は作業記憶と情報処理速度。

 実験の内容を簡単に説明すると、画面に0から9の数字があちこちに一瞬だけ現れる。その一瞬で数字を記憶して、数字の小さい順にタッチパネルで触れていくというゲーム。


 この実験、結果をまとめると作業記憶ではわずかに大学生チームがリードしたものの、情報処理速度では圧倒的にチンパンジーの勝ち。

 特にこのゲームを得意としているチンパンジーのアユム君には、人間の大学生は誰ひとりとして勝てなかった。

 また、この実験の結果から、チンパンジーには人間を遥かに越える『直観像記憶力』があることが分かってきた。


 情報処理速度ではチンパンジーが勝利。

 あ、あれ? どうしたホモ・サピエンス? 賢い人じゃなかったのか? 

 

 この実験を行ったのは京都大学霊長類研究所。同所長で思考言語分野教授の松沢哲郎氏の言葉を引用する。


「事実だけを申し上げます。

 若いチンパンジーは、記憶作業においてヒトの大人よりも優れています。この事実は、ヒトと動物に二分することの誤りを明らかに示しています。

 ヒトは動物界の一員です。

 さらに言えば、ヒトと自然に二分することが誤りであるのかもしれません」


■ヒトは賢いハズ


 いやいや、ヒトが賢さでチンパンジーに負けるというのは受け入れがたい人も多いのではないか? 

 なので次の実験を見てみよう。

 頭がいい、というのは記憶力でも無く計算能力でも無く、知恵で勝つこと、というのであればどうだろうか?


 京都大学とカリフォルニア工科大学による、人間の大学生VSチンパンジーのマッチングペニーゲームが行われた。


 マッチングペニーゲームとは相手の出すコインの表と裏を推測するゲーム。

 例えるならサッカーのPK戦のようなものになる。

 攻撃側が右にボールを蹴るとき、防衛側のゴールキーパーは右に跳べば防ぐことができる。攻撃側が左にボールを蹴るとき、ゴールキーパーが予測を外し右に跳んでしまうとボールを防ぐことができない。

 このサッカーのPK戦における右と左を、コインの表と裏に置き換えるとマッチングペニーゲームになる。


 相手のすることを予測して自身の行動を決める。これは、ジャンケンや野球のピッチャーとバッター、泥棒と警察、投資家と企業など様々に応用できる。なのでゲーム理論において、マッチングペニーゲームは条件をいろいろと変えながら行われてきた。


 この実験ではチンパンジーはチンパンジー同士で対戦。大学生は大学生同士で対戦。

 どちらが合理的な判断を素早く行うことができるかを競うことに。

 では人間の大学生とチンパンジーのマッチングペニーゲームの結果は? どちらが戦略に優れ、結果を予測しての有利な決断を行うことができたのだろうか?


 結果はチンパンジーの勝利。おや?


 チンパンジーは条件を変えたりしても素早く適応し、合理的な判断をした。

 ところが人間はというと、チンパンジーよりも判断ミスが多かった。

 学習能力、戦略的先見性、どちらもチンパンジーの方が優秀という結果となった。


 この結果から仮説が導かれる。

 人間は錯覚や妄想に囚われ判断ミスが多くなる。ところが余計な推測をしないチンパンジーは妄想に囚われることなく判断できる。

 相手が騙そうとしている、と想像し妄想に囚われてしまう人間。一方で、相手を騙して利を得ること、詐欺行為、が群れの中で文化として根付いていないチンパンジー。

 相手が自分を騙そうとしている、という妄想が発生しないからこそ、利益を最大化する合理的な判断がチンパンジーにはできるということになる。


 この相手が自分を引っかけようとしているに違いない、という妄想に囚われてしまい、ここ一番の大勝負で敗北する。そのときに主人公が、


「蛇でいてくれてありがとう……!」


 と名言を発したのがマンガ

『賭博黙示録カイジ』著:福本伸行

 になる。


 余計なことをついつい考え勝ちな人間は、妄想に囚われ、合理的判断力、戦略的先見性ではチンパンジーに勝てない。

 おや? どうしたホモ・サピエンス? このままでは今後、『サル並みの知能』という言葉は、『人間よりはマシ』という意味になってしまうのか?


 ホモ・サピエンスならではの頭の良さとはいったい何なのか? 三つ目の実験はドイツのマックスプランク進化人類学研究所の実験。

 ドイツの二歳半の幼児、チンパンジー、オランウータン、それぞれの頭の良さを調べて比較するというもの。調べる分野は、空間認知能力、計算能力、因果性認識能力、社会的学習能力。


 様々なテストの結果、人間、チンパンジー、オランウータンの頭の良さの比較は、


 引き分け、どんぐりの背比べ。


 空間認知能力、計算能力、因果性認識能力では大きな差は無かった。

 ただひとつだけ人間が他の類人猿に大きく差をつけて優秀だったのは、社会的学習能力になる。


 人の頭の良さとは、社会的学習能力のことを言うらしい。


■社会的学習


 社会的学習とは、社会の他成員の行動を模倣して学習すること。慣習や規範などを真似して学習するなど。


 社会的学習理論とは1970年代に心理学者アルバート・バンデューラが提唱した理論。人は他者を観察し模倣することによっても新しい行動を獲得できるとするもの。

 従来の行動主義心理学では説明できなかった部分を解明した画期的な理論になる。

 

 ザックリとまとめると社会的学習能力とは、良い見本、良いモデルを見て真似をする能力になる。

 模倣する能力、これこそがホモ・サピエンスが地上の覇者となった能力であり、人の『頭の良さ』の正体らしい。


■遊びからの発展


 その昔、猿が石を投げて遊んでいた。やがて一匹の猿がこう思いついた。


「この石を投げて、鳥とかウサギとかとれんかな?」


 こうして投石が狩猟に使われるようになったという。石を投げて獲物を獲る一匹を見ていた他の猿が、


「それだ!」

「オマエ、頭いいな!」


 となり真似をするようになる。

 模倣する能力の高いホモ・サピエンスは、ひとつの個体が発明したものが群れにとって役立つ良いものであれば、皆で模倣しあって群れ全体に伝播するのも速い。


 まとめると人の頭の良さとは、群れの中の一匹が行動したこと、作り上げたものを見たときに、


「これは役に立ちそう。真似したい」


 と思ったときに『頭がいい』という感想を持つのだろう。群れの仲間の役に立つ、または群れの仲間を楽しませる、そんなモノを作り出す個体が『頭がいい』個体になる。


 一方で群れの役に立たない、くだらない遊びに夢中になる個体は『頭が悪い』となるのだろう。資源と労力と時間の無駄遣いになるのだから。

 発想は凄いかもしれないが、真似したく無いというものには『頭がいい』という感想は素直に出てこない。

 群れの他の仲間が思いつかないことをする個体は、群れの仲間から見れば頭のおかしな個体になる。

 バカと天才は紙一重、というのも頭のおかしな個体が群れの役に立てば天才で、群れの役に立たなければバカという、実態は同じものの話ではないだろうか。


■脳の処理速度


 そんな実験などしなくとも人間と猿には決定的な違いがあるだろう、という人もいるだろう。他の猿が使わずにホモ・サピエンスだけが使うものがある。言葉と文字だ。

 確かに言葉と文字を多量に使う生物となると地球上にはホモ・サピエンスしか存在しない。言葉と文字を理解し使いこなすことを、人間らしい頭の良さと言うこともできるだろう。

 だが、言葉と文字とは情報のやり取りの為にあるもの。誰かに伝える、誰かに教えてもらう、という目的の為のもの。

 言葉と文字すらも模倣の為の情報のやり取りとして発達した、というのであれば?


 ここで人と猿の脳の処理速度を比較した研究を紹介する。

 新潟大学脳研究所の研究チームは、コモンマーモセット、アカゲザル、チンパンジー、ホモ・サピエンスの四種の霊長類の脳波を調べ、音が鳴ってから反応するまでの時間を比較した。


〇コモンマーモセット 40ミリ秒

〇アカゲザル 50ミリ秒

〇チンパンジー 60ミリ秒

〇ヒト 100ミリ秒


 1ミリ秒=1000分の1秒


 耳から入った音の情報が大脳の聴覚野に伝わるまでの時間に大差はなく、この結果には聴覚野の処理時間の違いが現れているという。

 研究チームは、「今後は動作が遅くとも、高度な機能を獲得したのがヒトの脳、という仮説の検証を進めたい」とのこと。


 ホモ・サピエンスが音の処理に時間がかかるということが分かってきた。処理に時間がかかるということは、反応が遅くなるなどのデメリットがある反面、言語のような複雑な音をじっくり分析できるメリットもある、という仮説が立てられる。

 脳の神経細胞の数が増えるほどに脳は高い機能を持つことになる。しかし、処理に加わる神経細胞が多くなることから、ホモ・サピエンスはどの動物よりも脳処理が遅くなるというデメリットを抱えることになった。

 脳の神経細胞の密度を高めることで、人間は他の生物よりも反応の遅い鈍い動物となってしまった。


 おもしろいことに、じっくりと時間をかけて情報を処理している人の方が、頭が良いと呼ばれるような研究結果が出た。

 脳の処理速度に時間をかけたからこそ、ホモ・サピエンスは万物の霊長と進化したのかもしれない。


■言葉と文字と自我


 言葉と文字という情報量の多い記号を使う為のメリットを得る為に、処理速度の低下というデメリットを抱えることになってしまったのがホモ・サピエンス。

 反応速度では遅くなってしまったが、代わりに想像すること、想像したことを作り上げ現実化する能力が発達した。


 獲物を捕えるのに走って追いかけて手で捕まえるよりも、未来を想像して獲物の行動を予測して、罠を作って仕掛けるのが得意となったのがホモ・サピエンス。

 想像力とは、『自身が経験していないことや未来のこと、現実には存在しないことを頭の中で思い描く力』のことを言う。


 では他人の想像した企画や計画を聞かされたとき、


「オマエ頭いいな!」

「発想が天才だな!」


 と思うのか、


「は? そりゃ無理だろ」

「もしもそのアイディアが実現したら、ろくでもないことになるぞ」


 と思うのか。

 その判断とはいったい何が行うのだろうか? 何者が『良い』か『悪い』かを判断するのだろうか? この判断を間違えてしまうと、群れ全体が破滅に向かう行為を模倣し続けることになる。


 ここで、アルボムッレ・スマナサーラの言葉を引用しよう。スリランカ上座仏教シャム派の日本大サンガ主任長老の講演より。


「耳で音楽は聞こえません。耳は空気の振動を感じるだけ。その空気の振動を音楽やら人の言葉やらと錯覚するために、脳が捏造するんです。捏造の為には自我が必要なんです。幻覚が必要なんです」

「自我こそが一番の問題であって、これって幻覚なんです。脳のカラクリなんです」


 見たものを伝える、考えたことを伝える。そのためには『私』が見た、『私』が考えた、という主体、『私』が必要になる。


 私という心、私という自我とは脳の生み出した幻覚である、というのは驚かされる。ノマ自身は、自分の心というものを証すためにこうしてエッセイ書いたり小説書いたりしているのだし。

 だが、自我は幻覚という考え方は、仏教のもとになった古代のインド哲学では紀元前からあるものになる。


 脳がなぜ、私という自我、私という心を作り出したのか? については未だに解明されてはいない。なのでここからはノマの想像の話となる。


■ホモ・サピエンスの持つ『チート能力』


 ホモ・サピエンスは想像する能力、模倣する能力を高める進化をした。想像したことを伝えるために、模倣するためのコツを教えてもらう為の情報のやり取りに言語が複雑化した。

 他の生物も鳴き声などで仲間に、「敵が近づいてきた」「ここに食べ物がある」といった簡単なメッセージの伝達をしたりする。

 だが、ヒト言語の特徴は入れ子構造、再帰性にある。入れ子構造とはマトリョーシカのように人形の中に人形が入っている構造をイメージしてもらうと分かりやすいだろうか。


「青い箱を赤い箱に入れてください」

「青い箱を赤い箱に入れて、そのまま緑の箱に入れてください」

「青い箱を赤い箱に入れて、そのまま緑の箱に入れて、紫の包装紙で包んでください」

「青い箱を赤い箱に入れて、そのまま緑の箱に入れて、紫の包装紙で包んでください、と田中さんに伝えてください」


 上記のように文章を文章で包む入れ子構造を理解し伝達するのが、ヒト言語の特徴になる。

 この言語の構造をホモ・サピエンスが生得的に持っている、とするのがノーム・チョムスキーの普遍文法になる。

 日本語や英語やポルトガル語など言語の種類が違っても、文法の基本的な構造はホモ・サピエンスの脳には生まれつき備わっている、というチョムスキー文法。

 これによりホモ・サピエンスは他の霊長類が使わない、再帰性のある言語を使い複雑な想像上の産物を仲間に伝えることができるようになる。


 言語による複雑な情報の伝達ができるようになったホモ・サピエンスは、仲間と協力して新たな作業をすることが可能となった。

 例えば船というものを思い付き作ろうとする。最初から最後まで全て1人でするよりも、作業を仲間に手伝ってもらった方が早くできる。1人で運べない重い材料も数人がかりならば簡単だ。

 だが船を数人がかりで作るには、船の完成予想図が正しく皆に伝わらなければならない。同じ完成予想図が作業に関わる者で共有されなければ、想像どおりのものにはならない。

 同じ完成予想図を良いものと判断する集団に、やがて『共感』が生まれる。自分と同じように、この想像上の産物を良いものとする者は仲間だ、と。


 この共感こそが、ホモ・サピエンスだけが持つ、他のホモ属が持たない能力となる。

 共感によりホモ・サピエンスはダンパー数を越える数の群れを作ることが可能となった。


 ダンバー数とは、人が安定して関係を維持することができる人数の限界値。人が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限が約150程度である、というもの。

 顔見知りで作る人の群れとは、最大で約150人が限界になる。


 約6万年前にはホモ・サピエンス以外にもいくつかのホモ属がいた。ホモ・ネアンデールターレンシス、ホモ・デニソワ、ホモ・エレクトスなど。

 だが現代にいるホモ属とはホモ・サピエンスだけになる。

 共感により群れの数を増やせるホモ・サピエンスは、血族で無くとも顔見知りで無くとも、同じものを良いと感じる共感で集団となれる。

 あたかも同じ野球チームのファンであるなら、顔も名前も知らなくとも仲間だ、同じアイドルの推し活をしているなら仲間だ、というように。


 群れの人数の限界が150のホモ・ネアンデールターレンシスに対して、500や1000といった数の暴力で圧倒できる。ホモ・サピエンス以外のホモ属が絶滅したのは、ホモ・サピエンスが駆逐した、という説が有力だ。


 この数の暴力を実現できるのがホモ・サピエンスが持つチート能力。顔見知りで無くとも、血族で無くとも、同じものを良いと信じているのならば仲間だ、という認知。

 その同じものは現実に存在しない想像上の産物でもいい。同じ神話を共感できる者は仲間だ、と。

 これを『サピエンス全史』著:ユヴァル・ノア・ハラリ、では『認知革命』『虚構』と説明されている。


 この虚構をもうひとつの現実と認知する能力が、億を越える人の群を、ひとつの国の国民として纏めることにも繋がる。


■まとめ


 さて、長くなったがこの辺りで一旦まとめよう。

 ホモ・サピエンスは想像力と模倣する能力を高めて進歩した。想像の産物を伝える為に言語が発達し、言語を伝える能力と、言語を理解する能力もまた発達した。

 複雑化したイメージを伝え、協力して作業することが共感を発生させた。

 また、伝えられる想像の産物が、自分にとって良いものか悪いものか、自分と自分の仲間の未来に役に立つのか、害となるのか。自分で未来を想像して判別するために自我もまた発達した。

 発達した自我が複雑な言語を操り、より精密で複雑な想像を可能とし、その想像力が思い付いた技術の現実化の基礎を固める。

 その発想の産物を共感する仲間の支援により、技術の発展が加速する。技術の産物の普及もまた共感により加速する。

 想像と伝達と現実化のサイクルが、ホモ・サピエンスの文明の進歩に繋がる。


 頭がいい、とは地頭の良さであるとか、論理的思考のことであるとか、知能指数が高くても頭が良いとは限らないとか、専門家でもいろいろな意見がある訳だが。

 どうやら人によって『頭がいい』と感じる事柄には違いが大きいらしい。


 ノマの結論としては、模倣が得意な社会的学習能力の高いホモ・サピエンスにとって、思わず真似をしたくなるようなことを言い出したり作り上げたりする行為に、人は『頭がいい』という感想が湧いてくるのではないだろうか。


 さて、あなたはどんな事柄に『頭がいい』と感じるのだろうか?


 あなたが『頭がいい』という感想を感じるとき、その感想はあなたの心の中で、人の群れは、人の社会は、こうなって欲しいという理想と根底で繋がっている。



BGM

『Virtual Insanity』

 Jamiroquai


(* ̄∇ ̄) このエッセイ、書いてて煮詰まったところでカセユキさんに相談しました。カセユキさんからはいくつものアドバイスをいただき、こうして纏まりました。


(o_ _)o  カセユキさん、ありがとうございます。


■追記■


①ホモ・サピエンス以外のホモ属の絶滅の原因については、ホモ・サピエンスが駆逐した、という説が有力。

 しかし他にも気候変動説や、石器作成技術の差による武装の質の違いなどの説もある。

 歴史は新たな発見によりこれまでの通説が覆るものでもある。

 

②ダンパー数とは、顔見知りで作る群れの限界数のこと。このダンパー数についてはいくつもの反証、批判があり、人の群れに数の限界は無いとするものや、ダンバー数以外の人間関係の数量に関する理論には『5ー15ー50ー150ー500の法則』などがある。

 インターネットが発達した現代においては、SNSなどフレンドリストの上限を取っ払えば、友達は千人でも万人でも可能ではある。

 今回は原始的な社会を構成する人の群れの数の限界値として、ダンパー数を引用した。


③チョムスキー文法は、人は生得的に普遍文法を持っている、という説になるが。

 アマゾンの少数民族、ピダハン族の発見により『人は生まれながらに文法の構造を持っている』という部分が疑問視されることになる。

 ピダハン族の使うピダハン語には、再帰性が無かったのだ。

 チョムスキー文法をネタに取り入れた傑作SFが、

『時の果てのフェブラリー――赤方偏移世界――』著:山本弘

 になる。ノマのオススメSF。


④虚構により纏まる群は、虚構により分断される。この虚構による分断をノマは旧約聖書のバベルの塔になぞらえ、『ネクストバベル』と名付けた。

 虚構による分断は現在、考察中。いずれ文章化して纏めることができたらエッセイとして公開しようと思う。



 読了感謝



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鏡はなぜ、左右逆に見えるのか? 物理的には奥行きが反転しているが正解だ。 だが鏡が左右逆に見える理由が、人が模倣する能力があるからだとするならば、親が右手を使って箸を持てば、子も右手で持つようになる…
[一言]  かなり前で記憶もアヤフヤなのだが~  猿学の人が『猿は今だけを生きている』。  今現在を持って明日を思い悩む事はしない、出来ない、らしい。と――  言われてみれば、人間ってのはドン詰まり…
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