交渉の時間です。
その日の夕暮れには、ドネツン川にかかるラセット橋に到着した。
橋は堅牢な石造りの橋で、両岸に門と塔があった。
下流においては巨大なワームが動き回るほど、深く幅広いドネツン川も、上流にあたるこのあたりでは、人や馬は歩いて渡れるほどの浅瀬があった。ラセット橋では馬車が通行できる。軍事上の重要地点であり、両国の国境守備隊が両岸に駐屯していた。
ホドワース側の守備隊たちはあわただしい動きがあった。予告されていたエリザベスの一行の出迎えよりも、なにやらパトロール隊の編成をいそいでいるようだ。
「どうしましたか?」
守備隊の隊長による出迎えをうけたエリザベスが問うと、
「バルトースへ向かう旅商人からの情報で、この先の森でモンスターに襲われた隊商の跡を見つけたと。おそらく昨日この門を通過した馬車で、武具を満載した旅商人の馬車だったのですが、遺体とばらばらになった馬車がころがっていて、積み荷はなく、ただ、金品は残っていたとのことで、盗賊の類ではなく、鋼鉄を好むモンスターではないかと。お嬢様、ここまで、よくご無事でこられました。なにかかわったことはなかったですか?」
とのことだった。
「それでしたら、こちらの真紅の戦姫様が、退治なさいました。ルストアントが百匹ほど居たとのことで」
「る、ルストアント百匹?! ・・・われらの部隊では1匹でも対処できませんでしたな。ありがとうございました。 おい、探索は取りやめだ! 特使様のご一行が退治済だそうだ!」
出陣の準備をしていた兵士たちから安堵の声が上がる。
緊急事態発生の混乱がおさまり、門の守備兵たちは平静を取り戻していった。自国の特使を乗せ、あきらかに勇者とそのパーティメンバーとわかる人物を含む一行に対して、守備隊は門を開けて、道の両側に整列して槍を掲げて彼らを通した。
ドネツン川の上流にあたるこのあたりでは、浅瀬があって人や馬は、必ずしも橋を必要としない。しかし、馬車はそうではない。隊商や、軍隊の補給部隊などは、渡し船か橋がなければ渡れない。この橋は車輪で安定して走行できるように、平坦に作られた堅固な石づくりの橋だった。馬車の揺れを生むようなでこぼこさえもない。
馬車が橋の中ほどまで行くと、橋の向こう側の門がゆっくりと開いた。
二十騎ほどのフルプレイトに身を固めた騎士の一団が門の向こうで待っている。ジョセフィンの馬車が近づくのを確認すると、門の向こうの道の左右に整列しはじめた。
「ようこそ、バルトース領へ。街まで護衛に就くよう指示を受けております。ご案内いたします」
騎士のリーダーらしき人物が馬上から馬車を操るグッテレイに言った。特使も隊商の主も馬車の幌の中なので、馬に乗ったままあいさつした彼の行為は非礼にはあたらないだろう。
ただ、そんな彼も、馬車の後ろに続く騎馬の護衛の中に、白馬に乗った勇者の姿をみとめると、いそいで馬を降りて深々と頭を下げた。ほかの騎士もそれに倣う。それから再び騎乗し、一行の前後に分かれて護衛の任に就いた。もちろん、護衛対象のほうが自分たちが及びもつかないほど強いことは知ったうえでだった。
バルトースへ向かう途中での宿泊地になる街道沿いの広場には、バルトース側が準備した仮設の兵舎が建てられていて、まるで宿屋での泊まるかのような快適な宿泊ができた。
そして翌日には、城壁で囲まれたバルトースに到着した。
町に到着し、領主の城の正門前に着くと、エリザベスは馬車を降りた。重い鞄を扉の前まで軽々と運んだのはブラウジットだった。バルトース側の案内人の二人に鞄の運搬を引き継ぐと、エリザベスと向き合う。
「交渉の成功をお祈りしています」
そう告げると彼はにっこり笑って、商人ギルドへ向かった妹たちを追った。
「特使様の歓迎セレモニーは夜のお食事会の前に予定しております。長旅でお疲れとは存じますが、主だったものを集めておりますので、それに先立ちまず本題の交渉の場へお越しくださってよろしいでしょうか」
執事長の言葉は質問の形をとっていたが、決定事項と思われた。
通路の突き当り、大きな両開きの扉を左右に立っていた兵士がゆっくりと開ける。
だだっ広い大広間の中央に細長い机が置かれ、入り口側のお誕生席にエリザベスが案内された。その正面の席に領主である公爵が座った。彼の右手側には武官、左手側には文官がそれぞれ6人ずつ並んで座った。エリザベスの左右には、だれも座っていない椅子だけが同じ数並んでいた。1人対13人の対談だ。
「早速会談の場を設けていただき、ありがとうございます」
エリザベスは意図的に自己紹介を省いた。この街の次期当主の婚約者であることは、バルトース側からこの場で言ってほしかった。バルトース側にとって一方的に不利な話を持ってきたわけではないということを参加者全員に理解してもらうために。
「私が領主から委任を受けてお持ちしたご提案は、両都市の友好のためのものです。現在、ホドワースは好景気が続いておりますが、兵士の数が十分ではありません。街が有する兵力は兵士200名。有事に対処するため兵士を増やそうにも、装備が揃いません。資金はあっても、品が入ってこない状況なのです。こちらバルトースでは、景気が停滞した状態とお察しします。税収が支出を十分に賄えていないのではないでしょうか。その一因ともなっているのが1000人に及ぶ街の兵力の維持費なのではないかと。
隣り合った両都市の兵力比は現在5対1。富の偏りもあるこの状況は、歴史を紐解けば、国同士の大きな戦にも発展したものと同じです例があります。
そこで、ご提案しますのが、両都市の兵力と財力の均衡を保つ案です。
バルトースの軍勢を200人解体してください。その200人の方々に対して支払うべき退職一時金は、ホドワースが負担します。そして、その200人分の装備一式を新品価格で買い取らせてください。
ホドワースがその装備で兵を組織すれば、両都市の兵力比は2体1となります。これは、間違いが起こらない比率だと考えます。もしも協力して当たらねばならないような、この地域の脅威が発生した場合は、~たとえば今回のルストアントのような~二都市の合計兵力は現在と変わりません。
もしホドワースが今回用意した資金で、よそから兵装を入手して兵力増強を行えば、それは軍拡競争の引き金となりかねませんし、バルトースの財政の改善につながりません。ホドワースは状況の根本的な改善を望んでいるのです」
エリザベスは手ぶりで扉の横に控えていた二人の案内人に指図して、運んでもらったバッグを交渉の机の上に置いてもらい、袋の口を緩めて袋の口を傾け、中身が大量の金貨であることを示した。
バルトース側から静かな感嘆の声が漏れた。
文官側では、隣同士で顔を近づけて相談する様子が見られたが、立ち上がったのは武官側の領主に一番近い席に座っていた鎧の男性、次期領主のサミュエルだった。
「特使様のご提案のうち、我々が中央政府の承認を得ずにお応えできない部分がひとつございます。我が都市は王命により、兵力を減らすことができないのです。魔王軍の残党が脅威として存在しているのであればなおのこと、我々も王命に異を唱えるべきではないと思っております。そこで対案なのですが、お持ちいただいた金貨の8割をいただきたい。兵は解体せず、したがって退職金には使いません。そのかわりに、使い古しではなく市場にある新品の武具を300人分お譲りいたします。その分の兵を新たに組織なさいませ。そうすれば、両都市の戦力は千対五百となり、ご希望の2対1になります。軍拡競争に向かわぬようにという杞憂に対しては、そちらの都市の軍がこちらを越えない限り、これ以上の軍拡はしないとの盟約を結びましょう。この案はいかがですか?」
重そうなチェーンメイルを、布の服のように着こなして身振り手振りを交えて、サミュエルが話している間、ほかの臣下たちは、口を閉じて彼に注目していた。次期当主としての尊敬を集めていることがうかがわれる。
領主である公爵は、跡取り息子に負けず劣らぬ巨漢で。がっしりした武人の体型だったが、それに似合わぬ貴族の正装をしていた。やや困ったような顔をあからさまに作って、息子に着席するよう手で指示し、言った。
「わが跡取りが、将来、嫁を溺愛するあまり尻に敷かれる様が目に浮かぶぞ。まあ、今回は特使殿とお呼びするのがふさわしかろうが、いかがであろう、息子の案は。落としどころとしては悪くないのではないかな?」
エリザベスは特使として思案した。兵力比が2対1になるという部分は、ホドワース側の希望通りである。兵を減らしてもらう件は、王命とあらばやすやすとはかなわないのだろう。そもそも、軍拡競争になることを憂いての話だったのだから、軍拡競争にならぬよう盟約を結ぶのであれば問題はないはずだ。そしてなにより、公爵が公けの交渉の場で、縁談の話を再確認するような言葉を自発的に発してくれたことが大きい。
「はい。わたくしの権限で、その案をお受けいたします」
エリザベスはうやうやしくお辞儀した。
「うむ。では装備の手配は息子にまかせるとしよう。特使殿は今回、勇者様とご一緒に来られましたな。報告では、門前で勇者様が、『交渉の成功をお祈りしています』、とお声がけされたとか。勇者様が望まれている交渉を無下にするようなバカはおりませぬよ」
公爵はエリザベスにではなく一部の不満顔の臣下を見まわしながら言った。彼らはかしこまって口をつぐんだ。さらに続けて、
「お帰りも旅商人をなさっている勇者様の妹君に荷運びを依頼なさるとか。その妹君は、情報によりますと、そもそも今回の特使とのお話しがなくとも、わが街に来られるご予定だったと聞き及んでおります。お帰りになったら、どうか妹君を独占し続けたりなさらずに、再度この街においでいただけるよう、お口添えをよろしく」
と、今度はエリザベスに向かって言った。
エリザベスは未来の姑が情報戦に長けた人物であることを思い知り、この要望は飲まざるを得ないだろうと思った。返事を言葉では返さなかったが、了解のお辞儀を返した。結局行き先を決めるのはジョセフィンであり、口添えを約束するだけなのだから。
そのころ、ジョセフィンはギルドで登録を終え、まず宿を確保してから、運んできた商品の買い手をあたっているところだった。例によって、ギルドでは、連れの兄目的の特別待遇を受けたので、買い手の情報も十分にもらっていた。
「牛一頭が55ゴールドですって。話はまとまったから四頭とも引き渡してください」
ギルドに紹介された家畜業者との交渉からもどってきたジョセフィンがグッテレイに指示した。
グッテレイは牛の値段を聞いて、パン!、と打った手を、ギュッ!と握った。
「あらあら、根っからの商人さんみたいね」
グッテレイの様子を見ていたマリエがからかった。
グッテレイはムッとしたが、すぐに笑顔に戻った。牛の売値の喜びが勝ったのだ。
「お嬢、次は野菜にしますか? それとも薬にしやすか?」
持ってきた商品は、いずれも予想以上の値が付いた。
「帰りの荷は、まず特使様の荷物の量次第だから、今日のお仕事はここまでね」
帰りの荷の量が、馬車のキャパシティを超えることになったことを、ジョーはまだ知らなかった。
★★★★★★★★★★ジョーの勘定帳★★★★★★
2月17日
【収入の部】
<確定分>
牛4頭 220ゴールド
医薬品7箱 273ゴールド
ジャガイモ37箱 37ゴールド
玉ねぎ24箱 24ゴールド
<予定分>
特使の帰りに武具の輸送の依頼がある。
【支出の部】
<確定分>
バルトース商人ギルド登録料代行申請 1ゴールド
宿賃食事込み先払い2日分 12ゴールド
<予定分>
来月初め冒険者雇用契約4人×ひと月分前払い 80ゴールド
来月初め商人手伝い雇用契約4人×ひと月分前払い 60ゴールド
【残高】
<確定>
3735ゴールド 1シルバー(1ゴールド=20シルバー)
<予定含む>
3595ゴールド 1シルバー
【在庫商品・消耗品】
商品在庫
なし
その他
保存食10人5日分
【メモ】
お試しの荷が高く売れてうれしいけど、顔つなぎができたことの方を喜びましょう。
今回の旅の調子なら、お父様と約束した利益500ゴールドがクリアできるわけだけど、それは旅の安全が保障されているからだということを、忘れてはいけない。




