はじまりの村
さて、いよいよ村で最初の買い物を済ませて、旅が始まります
章ごとに、収支決算を追加することにしました。
ジョセフィンたちが住んでいるのは大平原の山手に位置する農業の村、クロッサ村の端だった。
村の商店街までは歩いて2時間ほど。むき出しの土の道が集落まで続いている。郊外は広い農場の農家が点在するのどかな風景がつづく。
勇者ブラウジットは白馬(に見える)アンドロメダにまたがり、妹を前に乗せていた。
いよいよ年が明けて一月第一週の月曜である一日。ジョセフィンとブラウジットの旅は始まった。まずはクロッサ村で旅の装備と最初の荷を買うのだ。
村は人口六百人ほどで、旅人用の宿屋や、各種ギルド事務所もあった。
ブラウジットはいつもの癖で冒険者ギルドへ向かおうとしたが、
「お兄様、今日行くのは商人ギルドですわ」
妹に言われて、慌てて手綱を左に引いてT字路を左折した。
両開きの扉を開けて入ると、カウンターがある酒場のような作りのホールだった。テーブル席では商談が行われているようだった。
カウンターの中の受付係の女性が、入ってきたふたりのうち、当然のように勇者に反応した。
「これはこれは、勇者様、本日は当ギルドになにかご用事で?」
「あ、いや、ぼくじゃなくて妹が用なんだ。ギルドに登録したくて」
それを聞いてはじめて、受付係はジョセフィンに視線を移した。勇者の顔と見比べるように視線を何度か行き来させて、やっと横手のドアに向けて招く仕草をした。
「こちらへ、今、ギルドマスターを呼んできます」
ギルドの新規登録者の相手をギルマスが行うという習わしはない。そうした事務のために、受付係がいるのだから。だが、世界を救った勇者の妹となれば話は別だった。
応接室は、高貴な客を通すこともある部屋で、家具や調度品は高級なものが揃っていた。各国の王に歓待される事に慣れている勇者ブラウにとっては、特別な部屋ではなかったが、ジョセフィンはこんなりっぱな部屋に入ったことはなかった。豪華なソファーが目に入り、あれに座るのだと思うと、どんな姿勢でいればいいんだろう、と、必死で考えていた。
ジョセフィンはギルドマスターとは村の祭りのときくらいしか会ったことはない。会った、というより一方的に顔を見た程度で、あちらはこっちのことを覚えていないだろう。
五十がらみの小柄で筋肉質な四角い体つきのギルドマスターが、奥の扉を開けて入ってきた。蝶ネクタイにベストすがたが、商人っぽさを醸し出していた。案の定、彼は勇者の方ばかり気にして、しきりにソファーを勧めた。
「どうぞ、どうぞどうぞ、座って座って、さあさあ」
妹を座らせて、ブラウも浅く腰掛ける。あ、そうなのか、と兄を見習ってジョーも浅く座りなおす。
「さて、それで今日は、妹君がギルドに登録したいというお話でしたね」
受付係が最低限のことは説明していたようだ。
「商店街にお店をお出しになられるんですか?」
ギルマスは勇者ブラウジット・パーカーがどれほどの財を成しているかについて、それなりに把握していたので、妹のために村の中心地に建物を建ててなにかの店を始めさせる、などということは造作もないと知っている。
「いいえ、旅商人になりたいんです」
ジョセフィンが自分で答えた。
ギルマスはここでやっと、勇者ではなく、彼の妹のほうを見た。
「ほほう、旅商人に」
ギルマスはにこやかに笑っていたが、語る内容は辛辣だった。
「お兄様が大魔王を倒されたとはいえ、魔物がすべて滅びたわけではありません。魔王軍の残党はあちこちに残っておりますし、森で湧いたモンスターも徘徊を続けています。大魔王のオーラがなくなったので、新たな魔物は湧きませんが、旅はやはり危険です」
ジョセフィンの父親が言っていたのと同じだ。
「兄は、私のように夢を持った人たちが、我慢し続けなきゃいけない世界を変えるために戦ったんです。かなえたい夢にチャレンジできる世界にするために。だから、今度は、わたしが頑張る番なんです」
大きな声は出なかったが、芯の強い力のこもった声が出た。
「ご両親は承諾されているんですか?」
ジョセフィンは父との約束について話した。
「なるほど、なかなか絶妙の条件ですね」
ギルマスはジョセフィンの父親が出した条件を、売買契約を検討するように慎重に吟味していた。
「最後の月は兄上が同行しないとなると、ガードは四人は必要です。給与相場は月20ゴールド。それが四人。さらに彼らの宿泊費と宿泊時の食費が一泊二食で2ゴールド。一月にできる売り買いは、まあ十か所、つまり十回で、ガード関係の経費だけで月160ゴールドです。馬車や馬の維持管理や売買時の諸経費に40ゴールドと見て、経費200ゴールドです」
ジョセフィンは、ギルマスの計算を必死で勘定帳に書き留めていた。それを見て満足気に微笑みながら、ギルマスが続ける。
「経費も考えると、10回の売り買いで700ゴールドの粗利が必要ってことになる。一回70ゴールド。まあ、ひと箱ひと樽あたりの利益を5ゴールドの売り買いなら14箱運べるワゴンが必要だが、このひと箱あたりの利益というのが問題だ。たとえばこの村で品を仕入れるなら、鍛冶屋のワッカスが作る調理器具がいい。ひと箱20ゴールドで仕入れて、隣町のガゼバハルトの小売店に卸せば40ゴールドの値が付く代物だ。ところが、隣町で店で売ってさばける量を考慮すると、一度の卸しで売れるのはせいぜい2箱。それ以上持ち込んでも需要がないから小売店にすれば過剰在庫になってしまう。無理に売りつければ半値、つまり利益は出ないだろう。
こういうことはどの品でも、どのルートでもありえる話だ。まあ、稀に例外はあるがな。炭鉱の町ザクザラードのドワーフ酒場にうまい酒樽を持ち込めば、残らず全部高値で引き取ってくれるだろうし、鉄鋼都市ハーソニアに石炭や鉄鉱石を持ち込んだ場合も同じだ。どこで、何をどの程度相場で買ってくれるか、知っていなければ売れ残りをさらに次の町まで運ばなきゃならん。効率が悪い話だな。月700の話に戻せば、14箱丁度の輸送力では一回70ゴールドの利益は無理だってことだ。
高く売れる先の町まで運ぶ荷もあるし、買いたたかれても利が出る品なら大量に運べればいい。そういうことを考えれば、50箱載せられる二頭立て馬車がいいだろうな。それ以上の大きさでは旅のルート選びに支障が出る」
「ア、アドバイスありがとうございます!」
ジョセフィンはギルマスの話を書き留めた勘定帳を宝物のように抱きしめながら礼を言った。
「話が長くなってしまいましたが、とりあえずは村で仕入れするためのギルド登録ですな。これはどこの村や町に行っても同じシステムで、登録料1ゴールド払えば、年内有効だ。その年のうちに何度訪れても一回の支払いでいい。一方で、1月に払っても13月に払っても、年内有効だから13月28日で切れる。年明けにはまた1ゴールド。わかったかな」
「は、はい」
「それぞれのギルドでは、相場や名産品の情報もくれるだろうから、どこへ行ってもまずギルドに立ち寄ると良い」
ジョセフィンは力強く頷いた。
登録を済ませてギルドを出た二人。ジョセフィンが先に立って歩き始める。
「次はどこへ行くんだ?」
「まずは、ギルドマスターさんが教えてくださった鍛冶屋のワッカスさんのところへ、調理器具の仕入れに行きます。売買契約を済ませて、荷の大きさに合わせた輸送手段を揃えてから品物を引き取りにもう一度行きます」
勇者ブラウジットは、妹を頼もし気に見た。
「旅商人っぽくなってきたじゃないか、まるで本物の旅商人みたいだ」
「ギルドに登録も済ませたから、もう、本物の旅商人です」
「ははは」
鍛冶屋のワッカスは、40過ぎの独身男で、終始ジョセフィンにデレデレで鼻の下を伸ばした状態だった。
「では、荷詰め用の木箱に二箱分。品物はこっちで選ばせて頂いて、二箱で40ゴールド即金でよろしいですね」
ワッカスは、もう、ジョセフィンの言いなりでニコニコしながら頷いている。まるで女神の歌声を聞いているかのように、彼女の声に酔っていた。
「次はロバね。馬屋さんでいいのかしら」
ふたたびジョセフィンが前に立って、村の中心へ向かう。店やら屋台やらが並び、買い物客もそこそこ歩いている。名前こそ村だが、人口は郊外も含めれば二千人超えのクロッサ村の中心街は、それなりの賑わいがある。
旅人の宿の向かいに馬屋があった。旅人が馬を預けて世話を頼んだり、ここで馬を買ったり売ったりする。馬具などもここで揃う。馬車を修理・整備する場でもあるため、替えの車輪が入り口横の壁に吊られていた。
「ごめんくださ~い」
ジョセフィンが開いた状態の入り口から中に呼びかける。
奥で馬がいななく。
「ん? なんだ?」
馬にブラシをかけていたオヤジが振り返った。
「あのう、ロバっていますか?」
「ロバ? お嬢ちゃん、ロバなんかどうするんだい?」
タオルで手を拭きながら、髭面のオヤジがタオルを首にかけながら近づいてきた。
「わたし、旅商人を始めるんです。荷物を運ぶためにロバがいいかな、って」
「ふ~ん、お嬢ちゃん、ワゴンか荷車引かせるのかい?」
「いいえ、ゆくゆくはそうなんですけど、最初は荷箱を背負ってもらって手綱を引いて歩くつもりです」
「ならよかった。うちには今、ロバはいないけどラバならいるんだ。ロバ用のワゴンか荷車があるんならサイズが合わないが、先に買うんならラバ買って、荷車をラバ向けのにすればいい」
ラバはウマとロバの交配で生まれた家畜で、ロバよりは大柄で、荷役に向いている。
オヤジは奥へ戻り、ラバを連れてきた。黒毛で、額に白い星がある。
「まあ、かわいい。お名前は?」
「ないよ。買うんだったらあんたが付けな」
「……おいくらですか?」
ロバよりは高そうだ。
「15ゴールド、かなあ」
ここで、言い値で買うようでは商人はやっていけない。かといっていくらになら値切れるのか、価値の知識がない。では、おまけをつけてもらおう、とジョセフィンは思った。
「じゃあ、命名権といっしょに荷役用の鞍を付けて下さらない?」
「え? う~ん、中古でいいなら、小型の馬用のベルトを締めなおせばサイズが合うなあ」
ジョセフィンは満足げににっこり笑った。
「決まりね。15ゴールドね」
語尾にハートをつけられて、オヤジの顔が赤くなった。
「ロバは荷箱二つ運べる。乗用には不向きだ。ラバなら、荷物だけなら四つ運べる。人一人載せて、さらに荷物二つでも運べる。乗用の鞍もつけといてあげよう」
「ありがとうございます」
「ふんふん、ふん、ふん」
郊外の農地を抜けて、道は荒野へ入りつつあった。
ジョセフィンは楽しそうに鼻歌を歌いながらラバの手綱を引いて歩いている。
ラバの背の両側には調理器具が詰まった木箱が固定されている。鞍に乗れるスペースはあったが、ジョセフィンは乗らずに歩くことを選んだ。
「それで? ラバの名前は決めたのか?」
「ええ。ラバのロバーさんなの」
「なんだそれ? 紛らわしくないか?」
「だって、旅に連れて行く最初の家畜はロバの予定だったんだもの」
ラバの横っ面をなでながらわけのわからない理由を説明する。
「それにしても、乗らないのか? お前が載ってもロバーさんは平気だと思うぞ」
そう言うブラウジットは鎧を着て馬に乗っていた。
「おまえの歩く速さに合わせると、隣町まで4日はかかるぞ。馬なら1日、歩いても普通2日の距離なのに」
「でもぉー」
ジョセフィンは自分の姿を見下ろす。家を出たときのロングワンピースにエプロンを重ねた村娘ファッションだった。馬に乗る格好ではない。
「乗馬用のズボン買って、スカートの下に履けばよかったんだよ」
「そうかぁ、この格好は旅に向かないのね」
ジョセフィンは周りを見回した。もう人里は離れてしまった。左に林が見えてくる。道は、車輪のわだちが残る硬い土の道だった。明確な道とは言えないものだったが、旅人たちが、皆、ここを行くらしい。
「それにしても、モンスターとか出ないものなのね。みんな危ない危ないって言ってたのに」
「なんだよそれ。出たほうがいいのか?」
「そうじゃないけど」
ブラウジットはちょっと鼻を高く上げて種明かしをする。
「勇者のオーラっていうスキルがあるのさ」
「え?」
「雑魚モンスターを牽制して、遠ざけるんだ。このオーラに抵抗して襲ってくるようなモンスターは、この界隈にはいないだろうな」
ジョセフィンは眉を八の字にした。
「勇者ってずるいのね」
「ず、ずる?」
「だって、本当なら、もっと警戒しなら旅をするものなんでしょう?」
「まあな。でもデメリットもあるんだ。動物も逃げちゃうから、オーラを出してる間は狩りができないんだよ」
「あ、それで保存食を買っていけ、って言ったの?」
「まあな……、
!? おや?」
ブラウジットは手綱を引いてアンドロメダを止める。
道の前方にコウモリのような羽根を拡げた魔物が仁王立ちしている。
ラバが後ずさる。おどろおどろしい殺気を発しているのが、戦いは素人のジョセフィンにもわかった。
「大魔王の敵討ちのつもりか? アークデビルだな」
兄の様子からすると、かなり上位の悪魔らしい、とジョセフィンは身構えた。戦うためというより逃げる構えだ。
ブラウジットはアンドロメダから降りて、鞍に積んでいた盾を持った。一人で前に進み出る。だが、警戒移動とはいいがたい。自信に満ちた歩みだ。大股にどんどん距離を詰めていく。
「サモンモンスター!」
相手のスキルが発動した。光の渦がアークデビルの横に四つ現れ、その渦を抜けて四体の魔物が現れた。直立したトカゲ、岩の巨人、首から上が馬の姿をした戦士。手足が触手のイカ頭。
呼び出された魔物の一匹でさえ、人間の都市をひとつ丸ごと滅ぼしかねない強さだ。
まったく意に介さないようにどんどんブラウジットが前に出ていく。すらり、と剣を抜く。
「三日月剣!」
ブラウジットは剣を横に振るう。その剣の太刀筋から、三日月のような光が十個以上生まれ、並んだ怪物たちに燕のように飛んでいく。中央のアークデビルだけが三日月をはじいた。あとの四匹は貫かれる。しかも貫通した光の三日月は小さな弧を描いて180°急カーブして再度四匹を後ろから貫いて消えた。
トカゲとイカは、ばったりと倒れて絶命した。岩の巨人と馬頭戦士はブラウジットに向かって駆け出した。
ブラウジットがはじめて構えらしい構えを取り、ジョセフィンの目に止まらぬ速さで、二体のモンスターの間を駆け抜けた。
二体は歩みを止め、振り返ろうとしたが、胴を切断されていて上半身は振り返る下半身に取り残されて振り返れず、そのまま倒れた。
残った悪魔は全身から激しい炎を放ち、自分の周囲を、ブラウジットが居るあたりも含めて火の海に変えた。
ブラウジットの鎧が、白く輝き、冷気のような白いもやを発した。炎攻撃に耐性があるのだ。
再びブラウジットが高速移動して悪魔のすぐ前に現れ、剣先を地面から摺り上げるように上に振り上げた。
悪魔が放っていた炎が、悪魔の身体の中央を縦に割って噴き出した。
悪魔の身体が二つに割れて、左右に倒れた。
ブラウジットは息が乱れた様子もなく、剣をしまいながら戻ってきた。
「オーラが効かないくらいのやつも、まあ、居るさ」
彼は、苦笑いしながら、盾を鞍につけてアンドロメダにまたがった。
兄についてラバを引きながら、モンスターの死骸を横目に、ジョセフィンは強がった。
「こいつらは、お兄様目当てで、来たのよね。こんなのがそこらじゅうに普通にいるわけじゃないんでしょう?」
「そうだなあ。あの悪魔は、以前なら大魔王に城か塔でも任されてたようなクラスのやつだよ。そもそも世界中にそんなに居るわけじゃない」
とぼけた様子で、何事もなかったかのように答える兄に、ジョセフィンはちょっと腹を立てた。
「お兄様との旅も考え物ね。普通のモンスターの危険はないけど、とんでもないモンスターは呼び寄せちゃうのね」
「う~ん。反論できないなあ」
ブラウジットは天空の兜と呼ばれるヘルメットを被ったまま頭をかく。
二人の旅は、まだ始まったばかりだった。
★★★★★★★★★★
1月1日 クロッサ村を出発
【収入の部】
<確定分>
兄からの出資 100ゴールド
<予定分>
なし
【支出の部】
<確定分>
商業ギルド登録料 1ゴールド
調理器具2箱仕入れ 40ゴールド
ラバ1頭と馬具1式 15ゴールド
保存食20食 2ゴールド
<予定分>
なし
【残高】
<確定>
42ゴールド
<予定含む>
42ゴールド
【在庫商品】
調理器具2箱(仕入れ額40ゴールド)
保存食20食
次は、初めて販売。そして情報収集。ところが、いきなり大きな商いの話が飛び込んで・・・・・・