商運が尽きるということ
前回が正月だったのに、もう桜が咲いてるし・・・
商人ギルドでは冒険者ギルドと同じように掲示板の張り紙による仕事の斡旋を行っている。
ただし、その内容は、特定商品の買い付けや荷物の輸送といったものだ。そのうちの輸送に関しては、最近輸送に特化した大商会のガセル商会が安く確実に引き受けてしまうため、ギルドを通した依頼はほとんどなくなっていた。特定商品の買い付けも、どこで手に入るかわからないような依頼を除けば、ガセル商会が受けてしまう。旅商人に回ってくるのは、個人からの少量の買い付けや輸送の依頼、つまり、馬車の荷台の空きスペースの有効活用にしかならないものばかりになっていた。
とはいえ、通常、商人は運び屋ではないのだから、自分で商品を仕入れ、他所に運んで売るという本来の仕事に専念しているわけで、仕事がすべてガセル商会に取られてしまっているわけではない。
ギルドの掲示板には仕事の斡旋のほかにも、○○が買いたいという買い取り情報が掲示される。逆に、その土地の生産業者や卸業者からの売り出し広告のようなものも掲示される。常に貼りっぱなしのものもあるが、最新のお得情報が掲示される場合もある。店を一軒一軒回って情報を集めるよりは、効率がいい。ただし、掲示板の情報にばかり頼ったら、それは他の商人も知ることができる共通情報だから、出し抜くことは難しい。掘り出し物に巡り合いたければ足を使うべきだということは旅商人の常識になっていた。
特にジョセフィンは、新しい都市に来るたびに、顔つなぎも兼ねて各店を回るようにしているので、ギルドの掲示板に頼ることは、これまではなかった。
だから、到着の日の夕方、宿のチェックインが終わったジョセフィンとグッテレイが、ギルドに情報収集に訪れたとき、ちょうど掲示板に貼り出される瞬間の、その情報を目にとめたのは、まさに「運」だった。
『当面の運転資金確保のため、高級女性靴の在庫を通常卸値の八割で大量放出 ヘルチ工房』
ギルド職員が張り紙を張り終えると同時に、グッデレイが掲示板に顔を寄せて音読みする。
「王都の高級婦人靴は、周辺都市の貴族やお金持ちのご婦人の憧れの品です。ヘルチ工房の名前はわたしでも知っています。お話しをうかがいに行ってみましょう」
ジョセフィンは、このタイミング良い情報を幸運と捉え、逃さないようにすぐに行動した。
ヘルチ工房は工業区にあって、夕闇が迫るこの時間帯も、作業の槌の音が止まない、活気ある町工場だった。靴制作の各工程の専門職人が8人、工場で働いていた。皮のエプロンをした大柄な工場長が、対応してくれた。
「当座の職人の給与や材料の仕入れ用の資金を、今の在庫でいったん確保しておくことになりましてね。ライバルも居ることですから、値を下げてギルドに情報を出したわけです。品は新デザインの良品ですよ。婦人靴の業界は価格談合などしませんからね。八割はちゃんと利益が確保できるギリギリラインまでの値下げです。お買い得ですよ」
言っていることに無理はない。品も見せてもらった。ジョーは、単価と輸送時の梱包容量を頭の中で検討し、交渉をはじめた。
「靴をそれぞれ木箱に梱包していただいた場合、わたしの馬車で運べるのは100箱程度です。ですので購入できる数は100足。選ばせていただいて、二日後に馬車で引き取りに来る時までに梱包していただく条件でそちらの卸値札の八掛け。この条件でよろしいですか?」
値をさらに下げることはせずに、選別と梱包を条件に加えた。それに対し工場長は、
「こちらが放出したい量は120足です。若い女性のお眼鏡にかなわなかった20足が残ってしまうというのは、こちらとしてはつらい話です。すべてをまとめてのお買取り、梱包の件は明日中にいたしましょう。そのうえで、まとめ買いしていただくことでの価格サービスで7割8分まで値をお下げする、というのはどうでしょう」
選別しないまとめ買い条件で値を下げてきた。
120箱は、なんとか馬車に積めないこともない量だ。
「わかりました。その条件で」
「交渉成立ですな。今、価格を取りまとめさせます」
買い取り価格は936ゴールドになった。
「ではこちらで」
書面で売買契約を交わし、前金で払う。
「それでは明日のこの時間までには梱包しておきます」
高級婦人靴の販路の終点は、店舗陳列での来店購入ではなくお得意様への提案販売となる。
旅商人にできることではないから、お得意様を抱えている小売店への卸、もしくはそういう小売店を販路に抱えている卸業者への転売までが、旅商人にできることだ。
宿に戻ったジョーは、これから、あの靴をどの街に持っていってどれだけ売ろうかという計画を立てるのに夢中だった。
この王都からは、炭鉱の街ザクザラードも含めて7つの都市へ向かう街道が伸びている。いずれの都市もそれなりの規模で、貴族やお金持ちのご婦人も多いだろうが、120足を一度に同じ買い手に引き取ってもらうのは大変だ。売り値を必要以上に下げないようにするには工夫が必要になるだろう。それをあれこれと考えるのは、とても楽しいことだった。
この、楽しいわくわく感は、翌日の午後に現品を馬車に積みこむまでにどんどん膨れ上がっていく、はずだったのだが、翌朝、一気にしぼんでしまう出来事があった。
「な、なんだこりゃああ!」
朝食後、馬と馬車のチェックを終えた一行が、情報収集のために商人ギルドに立ち寄ったとき、掲示板を見たグッテレイが声を上げた。
そこには、真新しい張り紙があった。
『当店完全閉店のため、高級女性靴の全在庫を通常卸値の五割で放出します。早い者勝ち。完売まで順次割引しますので、ぜひお立ち寄りください。 ハイルト工房』
情報を集めると、こうだった。
ハイルト工房の今のオーナー夫婦は息子を失って、孫に店を継がそうとしていた。ところがその孫は、冒険者の職を選んだ。冒険者としてうまくいかなければ店に戻ってきてくれるだろう、と、待っていたのだが、魔物退治で名を上げて、冒険者として大成してしまい、夫婦は商売をやめる決断をしたのだ。従業員たちに報いるために、閉店セールですべて現金化してしまうということらしかった。
ジョセフィンはまだ資金は残していたが、もう馬車に余裕はない。買い足して独占するほどの資金があるわけではないから、より安価な高級女性靴が大量に、他の商人の手に渡るということだ。
昼が過ぎるころには、ハイルト工房のすべての在庫は買い手がついていた。
午後になって、ジョセフィンたちは空の馬車を引いて、ヘルチ工房に商品を受け取りに行った。
工場長は、むすっとしていた。
「騙したつもりはない。ハイルトが工房をたたむらしい情報があったのは確かだが、うちとしては何もせずにいたら当面商品が売れないことになり、従業員の給与も払えなくなってしまう。先に当座の運転資金を確保しなければ店がつぶれかねない情報だ」
それをバカ正直に買い手に伝えていたら、靴は売れなかったかもしれない。わざわざ買い手に明かす話ではない、ということだ。
きちんと木箱に梱包された靴は、ヘルチ工房の職人たちによって、ジョーの馬車に運ばれていった。
「そうですね。情報を得ていなかったのはわたしのミスです。それに、知ったうえで買い取る選択もあったけれど、わたしはその選択は選べない状況なだけです」
つまり、ヘルチ工房から通常より安く買った靴は、ヘルチが取った手と同じ方法で売り抜けることはできるのだ。ハイルト工房のさらに安い値の靴が出回る前に、先に街道の先の都市に持ち込んで売り切ってしまえばよいのだ。
しかし、ジョセフィンは、この王都で兄ブラウジットを待たなければならない。
つまり、街道の先の都市には、先にハイルト工房が放出した靴が届く。ジョーがそれらの都市に着いたころには、安く仕入れ終わった小売店ばかりでまともな値で買い取ってくれる相手はみつからない状況になっているだろう。
ハイルト工房の完全閉店大放出の結果については、ギルドに戻ると情報が溢れかえっていてすぐに把握できた。
競争・争奪で不利益が出ないよう、複数の商人が談合し、共同出資で全てを安値で買い取ったのだ。その上で、販売先が被らないように調整し、七つの街道の先の都市すべての市場規模に合わせて商品を分配し、それぞれに向けて隊商が日が沈む前に出発する。
昨夜、わくわくしながら、どこに持って行ってどれだけ売ろうかと検討していたジョセフィンだったが、その検討は全て無駄になり、かわりに残された選択肢は惨憺たるものばかりだった。
まず、この王都で、仕入れたばかりの商品の大半を処分価格で売ってしまい、馬車のスペースを確保して、ある程度の資金を回収し、あらたに情報を集めて、別の品を仕入れるという選択肢。損をいったん確定して再スタートする手だ。新たに仕入れる品次第だが、靴もいくつかは残しておいて、この先、ずっと先の街で売れば、損はそれなりに埋まるかもしれない。
次は、それと同じことを、この王都ではなくいずれかの街道の先の都市で行う選択肢だ。王都で処分するよりは回収できる資金は多めになると思われる一方、王都ほど、次の良い荷が見つかる可能性は高くないかもしれない。また、輸送によるリスクも生まれる。
そしておそらく、輸送リスクが低いジョセフィンにとって最良の手は、仕入れた靴を街道の先の都市ではなく、さらに先に旅して販売するという手だ。
利益は当面見込めないことになるが、資金はまだ残っているから、損が出ないであろうこの選択肢を採るべきなのだろう。
ジョセフィンは、この方針を、グッテレイたちに説明した。
「幸い、みなさんへの給金や、路銀については、残っているお金で十分賄えます」
四人の護衛は、気丈なジョセフィンに何と声を掛けるべきか悩んでいた。明るく「次がありますよ」と励ますべきなのか、「わたしたちは大丈夫」と決定に賛同すべきなのか。あまり軽い言葉は似つかわしくない雰囲気だというのは確かだった。口を開いたのはグッテレイだった。
「兄上には伝言を残して先に出発して、安い荷を運ぶ隊商に先んじて売り抜けるしかないんじゃないか?」
それは、ジョセフィンが意図して選択肢に入れなかったものだった。
「あとから安い荷が着くのを知っていて高く売り抜けるというのは、わたしの選択肢にはありません。もちろん商人としての良心を持っていたいからですが、それだけでなく、わたしの旅は、商人としての顔つなぎも兼ねているのですから、恨まれたり、商人としての評判を落とすようなことはできません。わたしの選択肢としてあったのは、隣接市場では売らずに、さらに先まで運んで売るか、この町で赤字を出してでも一旦商品を資金に替えて、別の商品を買い替えるか、もしくは安くなった相場の隣接市場で販売して、やはり赤字は出るでしょうけど、そこで新たな商品を仕入れるか、ですね」
グッテレイは口をつぐんだ。もしもジョセフィンが商人としての良心だけを理由に上げたら「そんなこと言ってられない」とか「そんなこと気にせずに」とか言えたかもしれないが、顔つなぎの話に反論する言葉は持ち合わせていなかった。
結局、勇者ブラウが戻ってくるまでの間は、かさばらない商品での儲け口を探す情報収集と、どの都市の先に行くかの検討に費やされた。
ユニコーンペガサスに乗った勇者が戻って来たのは、二月四日の夜、高級婦人靴を満載した七つの隊商が王都を出発してから、まる一日以上後だった。
兄の顔を見ると、それまで気丈に振舞っていたジョセフィンが顔をくしゃくしゃにして泣きながらすがりついた。
「にいさま!にいさま!」
状況がわからないブラウジットは一同を見回すが、皆うなだれているだけで説明しようとはしない。泣き止んだジョセフィンが、自分で話始め、グッテレイがときどき「お嬢が悪いわけじゃない」と合いの手を入れる形になった。
「運が無かったと言うしかありませんね」
と最後にハートミンが歌うように付け加えた。
「運?・・・・・・」
その言葉に、ブラウジットは何か感じるところがあったようだ。
「ジョー、ちょっと顔をよく見せておくれ」
ブラウは、ジョーの両肩をつかんで、正面からその顔を見つめた。そして、なにかを読み取り眉をしかめる。
「商運が・・・・・・無くなってる?」
「運?」
ジョーが訊き返した。
「ジョー、おまえが慢心しないように黙っていたけど、おまえは生まれたときに商いの神オルテラの祝福を受けた、たぐいまれな商運の持ち主なんだ。だからこそ、おまえが父さんに旅商人になりたいと言ったとき、賛成して力を貸すことにした。でも、今のおまえには、ほんの数日前まではあった商運が無くなってしまっている」
「あ!」
グッテレイが思い当った。
「あのまじない野郎だ! ギルドの前で会ったアリオンとかいういけ好かない野郎が、お嬢の手を取ってまじないをしたんです! なんかそいつの指が光って。まじないだとか言って、呪いじゃあなかったんですが、そうか! 運を吸い取ったんだ」
ブラウジットはグッテレイの話を聞いて、しばらく思案していた。そしてジョセフィンに提案した。
「ジョー、お前、商いの神オルテラの神殿にお参りに行かないか? あそこの神官様なら、なんとかできるかもしれない」
「商いの神オルテラの神殿って、どこにあるの? 聞いたことが無いわ」
「それは無理もない。ずっと東の海の向こうだ。まともな旅なら片道でも一年以上かかるから、アンドロメダで行こう。その間、馬車はみなさんにまかせて」
「それがいい! 馬車はおれたちに任せて、お嬢が決めたコースで進んでおきますから、安心して行ってきてください」
グッテレイが請け負う。他の三人も頷く。
「では、帰ってきて合流するときの目印に、どなたかこの指輪を預かってくれますか?」
ブラウがポーチから取り出した指輪に、シオンヌが飛びつく。
「わ、わたしが持ちます」
シオンヌは左手の手袋をはずし、嬉々として受け取った指輪を薬指にはめた。魔法の指輪は、持ち主の指のサイズに合わせてサイズを変え、ぴったりとはまった。その様子を見たドボラが咳払いをして渋い顔をしたが、シオンヌはツンと顔をそらして役得をちゃっかり得た自分を正当化していた。
「では、みなさん。どうかお気をつけて。危険なことがあったら、荷物は見捨ててもかまいませんから」
ジョセフィンはそう言いながら、グッテレイに小さな布袋に入れた旅の費用を渡した。
「命に代えても、守ってみせるぜ」
グッテレイはここぞとばかりにアピールするが、これは逆効果だ。
「だめです! 命のほうを優先してください。この荷や馬車はだめになっても、やり直せる資金は残っているんですから!」
「わ、わかったよ。じゃあ、俺たちは、指示の通りのルートで旅を続ける。ホドワースを通過してその先のバルトースまで行って靴を売る。そこではラバのロバーさんと俺たちの馬を残して馬車と馬を売って身軽になり、ガゼハハルトを目指し、この前の酒を仕入れて、馬車と馬を買いなおして酒を載せて、ザクザラードのソードレイの店に売る」
「ええ、お願いします。そこまで行っても私と兄が戻らなかった場合は、ザクザラードで待っていてください」
「まかせとけ」
ブラウジットはユニコーンペガサスの鞍の自分の前に妹を跨らせる。長い空の旅になるので、妹が疲れて落ちないように、手綱を持つ両手で抱き留めるような乗り方だ。ジョセフィンはアンドロメダの長いたてがみをしっかり握って、馬車の一行を振り返る。
「それでは、道中ご無事で。くれぐれも、無理しないでください」
四人がそれにこたえて手を振る。グッテレイが呼びかける。
「そっちの旅はご無事だろうから、安全を祈ったりしないけど、こっちのことはまかせて、心配しないで行ってきてくれ。商運が戻るように祈ってるよ」
ユニコーンペガサスは勇者とその妹を載せて舞い上がり、夜空の彼方へ飛んで行って見えなくなってしまった。
★★★★★★★★★★ジョーの勘定帳★★★★★★
2月4日
【収入の部】
<確定分>
無し
<予定分>
無し
【支出の部】
<確定分>
王都で兄を待つ間の宿泊及び食事(馬車停泊、馬預託を含む)。2泊 18ゴールド6シルバー
高級婦人靴仕入れ 936ゴールド
<予定分>
来月初め冒険者雇用契約4人×ひと月分前払い 80ゴールド
【残高】
<確定>
649ゴールド 17シルバー(1ゴールド=20シルバー)
うち、600ゴールドをグッテレイに預けた。
手持ちは49ゴールド 17シルバー
<予定含む>
569ゴールド 17シルバー
【在庫商品・消耗品】
商品在庫
高級婦人靴 120足
保存食
なし
【メモ】
「運も実力のうち」と兄は言うけれど、これまでの成功は神のご加護によるものだったのだから、自分の才だとうぬぼれてはいけない。
次こそは、間を開けずに、と思ってます、はい。
時系列に誤りがあったので改稿しました。




