奪われたもの
年を越えてしまいました。お読みいただいている方、すみません。
魔王アデオンは、自らの城の執務室で、大きな机に地図を広げて、それに見入っていた。
その地図は、一畳ほどの広さの巻物に見えたが、そこに見える地形は、巻物の生地に描かれたものでなく、魔力によって映し出された現世の俯瞰図であった。
『強欲者の地図』という名のアーティファクトは、見るものが魔力を注ぐことで、この世のどこの地形でも、好きな尺度で見ることができる地図。そして、その名の『強欲』たる所以は、その地図上に、現わされる『ピン』にあった。その『ピン』は、この地図同様、この世に二つとない力を持つ宝、アーティファクトの位置を示している。この地図を持つ者は、地図の力によってアーティファクトの正確な位置を知ることができる。あまたのダンジョンや神殿に隠されたアーティファクトやアーティファクトを手に入れた者が保管している場所や、身につけている者の位置情報を手に入れることができるのだ。
今、魔王アデオンが地図に映し出しているのは、ホートレンウォージャー王国の王都の地形だった。その一点に、ぎっしり重なるように無数のピンが集中して立っている。
本来、この世界の各地に、ぽつぽつとひとつずつ点在しているはずのアーティファクト。そのうちの八割にも当たろうかという数のピンは、数年前から常に世界のある一点に集中している。
その場所こそは、勇者ブラウジット・パーカーの居場所なのだ。
この世のアーティファクトのほとんどは、勇者が所有し、身に着けて旅をしているのだ。
したがって、この地図を持つおかげで、魔王アデオンは、常に勇者の正確な居場所を把握することができた。今も、王都のどの地点に勇者が居るのか、手に取るように見ることができている。
勇者の一行は、納税品の武具を持って、王都に到着した。それを確かめていたアデオンだったが、地図上のピンに、今までにはない動きを見つけた。
「ん?」
アデオンは眼鏡を指で眉間に抑え込みながら、地図に魔力を注ぎ、尺度を調節して、王都の一角を拡大表示する。無数のピンはどれだけ拡大しても勇者が立つ位置一点に集中して表示されるはずなのだが、そのピンの束から、二つだけ、やや離れて動いている。青い色合いのピンは、そのアーティファクトがお守りの類であることを示している。その二つのお守りは、勇者の居場所を離れ、商人ギルドの中へ入っていく。残りの無数のピンの束は、それをギルドの外で待っているようだ。
それは勇者ブラウが、アーティファクトのお守りを二つ、誰かほかの人物に持たせた、ということだ。
「妹か?」
おそらくば、旅商人になったという勇者の妹が、アーティファクトを身に着けているのだ。これまでいっしょに旅をしていて、今になってお守りを二つ妹に持たせた意味は、
「別行動するつもりか?」
アデオンは立ち上がり、壁際の棚に向かう。魔王が席を離れると『強欲者の地図』が表示していた地図が消え、白い布地が現れた。
魔王アデオンは棚に折りたたんで置かれた黒い布を手に取った。それは魔王アデオンが持つ二つのアーティファクトのもうひとつ『偽りの外套』だった。黒い布を羽織ると、アデオンはゲートを開いた。さっき『強欲者の地図』に表示されていた王都の郊外、勇者から十分に距離をおいて、ゲートが開いたことを探知されないくらいの場所へ開いたのだ。そしてそのゲートをくぐり移動した。王都を囲む農村のひとつの、整備された農道に降り立ったアデオンは、自らの足で、王都の城壁へ向かう。
彼が羽織った『偽りの外套』の力で、魔王の膨大な魔力や、まがまがしい悪のアライメントは、探知系のスキルや魔法に探知されることはない。完璧な偽装こそが、このアーティファクトの能力なのだ。
魔王アデオンが操れる魔法の中には、同じように魔力探知やデテクトイビルから、自らの存在を消して探知されなくする力を持つ呪文がある。しかし、その呪文の力では、並みの探知系スキルを持つ者や探知系の魔法には効果があっても、勇者が身に着けているアーティファクトや勇者特有のスキルによる探知はごまかせない。即座に接近を探知されてしまっただろう。アーティファクト『偽りの外套』だからこそ、こうして魔王が勇者の近くに、探知されずに近づくことができたのだ。
都市に入り商人ギルドがある四つ角が見えるところまで行くと、勇者と、その妹一行が見えた。妹一行が手続きを終えて、ギルドから出てきて、外で待っていた勇者と合流するところだった。さっき見えたピンの移動は、妹がふたつのお守りのアーティファクトを持って、勇者と別れて商人ギルドに入ったときのものだったのだ。
そして今、勇者は妹になにかを告げると、ユニコーンペガサスに跨った。ペガサスは白い翼を大きく羽ばたかせ、空を駆けながら、空に舞い上がる。そして王城のてっぺんよりも高いところまで駆け上ると、翼をかぎ型に折って固定し、後方に魔力を放出して反動で急加速した。放出された魔力は空気を変質させ、青い輝きを発する。ユニコーンペガサスは飛び去る後方に青い輝きの軌跡を残し、流れ星のように空を横断して西の山脈を越えてあっという間に見えなくなった。
この世で最も早く飛ぶ生き物であるユニコーンペガサスは、その全速力を発揮するとき、翼で羽ばたいて鳥のように飛ぶのではなく、ロケットの噴射のごとく、魔力放出によって飛行するのだ。
アデオンは勇者が飛び立ったのを確認すると、残された勇者の妹に歩み寄った。勇者の妹は馬車を移動させる準備作業をしていた。まわりに4人の護衛がいる。
アデオンは素早く四人を見て、その能力を値踏みした。
軽装のファイター、並み以上の戦闘力を持つが、装備は特別なものが含まれていない。問題外だ、こいつは魔王に傷一つ与えられない。
魔法使いの女、中位の魔法レベル、そこそこのマジックアイテムを持つが、いずれもレベルが低すぎる。脅威ではない。
吟遊詩人、マスターに近いレベルであり、その唄は魔王のいくつかの力を無効化するだろう。だが、それ以上ではない。脅威となるような装備も見当たらない。
僧兵、これもそれなりの者のようだが、そもそも僧侶は魔王の前では味方のサポート以外役に立たない存在だ。装備も特別なものは含まれていない。
この程度の者たちと、あの勇者が組んでいるとは。
彼らは到底、勇者パーティと呼べる水準の者たちではない。旅商人の護衛としては、この程度で十分だろうが、冒険者としては勇者の足を引っ張るレベルの者たちだけではないか。
アデオンは最後に勇者の妹を値踏みする。
戦闘に関してはただの町娘だ。アーティファクトを身に着けていることで、その守りの特殊効果以外にも、アーティファクト所有による副次効果によって、結果的に低レベル戦士ほどの防御耐性を得ている。だが、この娘はそれだけではないようだ。
魔王は呪文を使って、娘の能力を確認した。
なるほど、さすがは勇者の妹だということか、と納得したアデオンは笑みを浮かべ、そして表情が読み取られる距離になって、その笑みを商人の営業スマイルに偽装した。
「はじめまして、お嬢さん」
アデオンはジョセフィンに呼びかけた。ジョセフィンは、手綱を解く手を止めて、声の主を振り返った。ローブを被った背の高い男。眼鏡をかけていて、知的な商人風だが、それにしてはガタイがいい。商人の衣装をまとった騎士といった感じだ。
ジョセフィンの傍にいたグッテレイが身構える。剣の柄にこそ手をかけないが、戦闘態勢だ。しかし彼は、相手のことを襲ってくる危険な存在と認識したわけではない。ジョセフィンに言い寄る、若いハンサムな男だという理由で身構えたのだ。
アデオンは人間に姿を変えていた。瞳も瞳孔は縦割れではなく人間のそれと同じになっていたし、角や尖った耳もない。だが、アデオンの素顔を知る人が見れば、アデオンだと判っただろう。アデオンは魔法で姿を変えているが、それは変装ではなく人間化しているだけだ。誰か特定の人間に化けているのではないので、あくまでアデオンが人間として生まれていた場合の姿に偽装しているだけなのだ。その結果、彼は、街中で人目を引く美形の若者になっていた。
「わたくしは旅商人のアリオンと申します」
仰々しくお辞儀をして偽名を騙り、商人と名乗ることで商談を匂わせ、警戒を和らげる。
「わたしは旅商人のパーカーです」
ジョセフィンも名乗り返してお辞儀する。
「おお、パーカーさん。ではやはり、先ほど飛び立って行かれたのは勇者ブラウジット・パーカー様ですね。あなたは、奥様?」
「いいえ、妹です」
即座に答えたジョセフィンに、背後からグッテレイが眉を顰める。
「さようでしたか。勇者様の妹君が商人をなさっているとは存じ上げませんでした。ご商売の品などお教えいただいても?」
買い取りを打診されたことに気付いたジョセフィンは正直に答える。
「あ、いえ、馬車は今、空荷です。依頼を受けて運んだ荷物を降ろしたばかりで。なにか仕入れたいところなのですが、兄の帰りを待つので日にちに余裕があって、ゆっくり品さだめをしようと考えていたところです」
「それはそれは。この町は特産品も多い。いろいろ見て回られるのがよろしいでしょう。わたしも買い付けの途中です。お互い、良い仕入れができるとよろしいですね」
ジョセフィンはそれとなく商談を振ったのだが、アリオンは売り手になるつもりではないと答えた。すでにジョセフィン側も売るものはないと言っているのだから、商談はこれで終わりということになる。
「そうだ、あなたが良い商談に巡り合えるように、わたしの地方に伝わる簡単なおまじないをしてさしあげましょう。手を」
と言ってアリオンが左手を差し出す。
「はい?」
反射的に右手を差し出したジョーは、やや懐疑的だ。アリオンが左手でジョーの右手を受けて、その手のひらに右手の人差し指で文字のようなものを描くと、指先に白い光が宿る。
見ていたドボラ・コーンが、とっさに呪文を唱え、指で宙にルーンを刻む。呪いの類を感知する呪文だ。アリオンがジョセフィンに呪いをかけた可能性を疑ったのだが、呪いの反応は出なかった。
アリオンはその行為をちらりと見たが、ドボラに対してにっこりとほほ笑んだ。雇い主を護るための行為なので無礼には当たらない、と受け止めたことを現すように。
「それでは、これで。またお会いした時は、品の取引ができると良いですね」
「は、はい。ありがとうございます」
アリオンこと魔王アデオンは一同に一礼すると、ジョーがさっき出てきたギルドへ入って行った
それを見送りながら、ドボラがジョーの傍に立つ。
「呪いの類ではありませんでしたが、初対面の相手には用心しないといけませんよ。手は痛くないですか?」
「ええ。まるで温度も感じなかったし。不思議な光でしたね」
「商人さんのことにあまり詳しいわけではありませんが、あんなおまじないは聞いたことがありません。なにかの魔法を受けたのかも」
ドボラの心配を受けて、シオンヌがジョーに向かって呪文を唱え、ジョーの身体がうっすらと光る。
「うーん。状態異常はないみたいね。ほんとにおまじないかも」
シオンヌの報告で、やっとその場の緊張は解けた。
魔王アデオンは、商人ギルド内の物陰でテレポートして郊外のゲート位置にもどり、そこでゲートを開いて自らの王城に帰った。
いつもの執務室で、大きな机を前に豪華な椅子に座る。机の上に右手を差し出し、手のひらを上に向けると、その手のひらの上に白い光の玉が浮かぶ。
「ふふふ」
と愉快そうに笑う。
扉をノックする音がし、
「失礼します、アデオン様」
とあいさつしながら入ってくる者が居る。
タキシードのような服を纏った壮年の男性。ここが人間の王の城であれば、執事長といったところだろうか。しかし彼は、アデオンの配下の魔王軍を束ねる四将のひとり、魔将ササスだった。
「お戻りでしたか、魔王様。おや? その光は?」
「やあ、ササス。これは、ある商人の商運さ」
「商運、ですか?」
「ああ。持って生まれた商人としての運だ。それもこの上なく良質の、強力な運だ。この運の持ち主が商人になれば、一代のうちに豪商として国王をも凌ぐ財を成すだろうほどの、強運だ」
「才能ではなく、運なのでございますか? いったい誰の?」
「ふふふ。勇者の妹、ジョセフィン・パーカーの商運だ。妨害していたザクザラードからの兵士の装備が勇者一行によって王都に到着したと言うので、勇者が離れた隙に、勇者の妹の様子を見に行ったのだが、なかなかの見ものだったぞ」
「アデオン様は、勇者とはことを構えないご方針だったのでは?」
ササスは怒りを買う覚悟で進言したが、アデオンの好機嫌に変わりはない。
「ああ、今でもそうさ。やり合うつもりはない。妹を殺したり、誘拐したり、呪いをかけたりすることも可能だったが、そんなことをすれば、せっかく平穏な暮らしを堪能しようとしている勇者が、大魔王軍の残党狩りを始めてしまう。だから、人間どもでは探知されないように、運を奪ってやることで、しばらくは勇者が妹のことで手一杯になるようにしてやったのさ」
「しばらくは?」
「ああ、娘の商運は根こそぎ奪ったが、この商運は、娘の魂が生まれつき受けている商いの神オルテラの祝福を根源としている。数年もすれば新しく湧いて出て元通りだろうな。そうなったら、また奪ってやるのも一興だ」
魔王が手を閉じると、光は消え去った。
★★★★★★★★★★ジョーの勘定帳★★★★★★
2月2日
【収入の部】
<確定分>
王都への運送の報酬 250ゴールド
<予定分>
無し
【支出の部】
<確定分>
王都商人ギルド登録料 1ゴールド
2月初め冒険者雇用契約4人×ひと月分前払い 80ゴールド
<予定分>
来月初め冒険者雇用契約4人×ひと月分前払い 80ゴールド
兄を待つ間の宿泊及び食事(馬車停泊、馬預託を含む)。予定では2泊 18ゴールド6シルバー
【残高】
<確定>
1604ゴールド 3シルバー(1ゴールド=20シルバー)
<予定含む>
1505ゴールド 17シルバー
【在庫商品・消耗品】
商品在庫
なし
保存食
なし
【メモ】
初対面の人は警戒しないと、護衛の人たちが心配する。
今年は、ちゃんとしたペースで書きたいなあ、と新年の冒頭に思うのでした。




