8 『王宮』と決別の夜
暫く予約投稿です。戻ってきたらまた手動でお知らせ致します。
「ルーシー」
微かな声がドア越しに聞こえ、私は昼ご飯も夕飯も食べ逃したことを腹具合で悟りながら目を覚ました。
一応、外に出るかもしれないからと王宮を歩く時用のボロではない服を着ていたが、そっとドアを開くとガウェイン様が昨日の魔法で黒い髪と目になってその場にいた。
私に紺色のマントを被せると、人差し指を口元に立てて黙ってついてくるようにと態度で示される。
この部屋の中に未練があるものは何も無いから良いけれど、二度とここに帰ってくる事は無いような気がして一度だけ振り返り、3年を過ごした部屋を後にした。
もともと存在感を薄める神力を使っていたので、今こそ使い時かと思ってガウェイン様と私の存在感を希釈する。希釈しすぎると戻って来れない、というのは、一度試しにやってみたところ存在を周囲の人の記憶からも消されてしまったので、なかなかに注意が必要な力だ。
神力は便利だけれど、こういう隠密をずっと一人でやっていたガウェイン様は、魔法を使っていたと言っていた。魔法と神力では違うのだろうか。それとも、魔法とは言ったけれどガウェイン様にも神力と近い事ができるのだろうか。
でなければ、私をこんなところに隠している王宮の目を抜けて私を探す真似はできないはずだ。余程強い魔法が使えるのだろう、などと思いながら、兵舎を出て、昨日の井戸の横を抜け、ぬかるんだ森の道の無い場所を裸足に平靴で泥を跳ねさせながら進む。
一張羅の裾が台無しだが、一張羅と言っても正直王宮の侍女の服の方がいい出来だ。あくまで、王宮を歩いていても恥ずかしくない最低限、の服だから、気に入っているわけでもない。
(エプロン位は持ってきた方がよかったかな……)
飢えに繋がる土の汚れを解決したからといって、すぐさま食物が育つ訳ではない。ガウェイン様が隣国の間者だとして、私が王宮に来る前から騎士として兵舎にいたのを考えると……予見して、蓄えがあるうちに向かうのだろうから、私はそのままそこで料理を作る手伝いもしたい所だ。炊き出し、というやつ。
『金剛の聖女』とは言われていても、私が実際にできると実感できることは、本当に『飯炊き』くらいだ。存在感の希釈でルーシーと呼ばれずに『飯炊き女』さんと呼ばれるのは別に、気にしたことは無かった。
ガウェイン様に黙ってついていくうちに、馬の繋がれていない馬車が見えた。何台もある。一体、騎士団のうちの何人が今夜この国を後にするのだろう。
「あ、『飯炊き』さんじゃん! ってことは『飯炊き』さんが聖女?! うわー、俺不敬罪で首が……」
「そう思うならルーシー様と呼ぶべきだろう」
茶色の刈込の人懐こそうな、大きな体の騎士さんと、なんと騎士団長までいる。『鷹の爪』の中でこんな数の人がこの国を内心見限っていたのか、と驚いて何も言い返せずにいると、ガウェイン様が黒髪の魔法を解いて振り返った。
「彼らは、我が国の現状と……国王陛下の秘密を知っています。馬車の中で全てお話しましょう。ちなみに、宰相閣下もグルですよ」
「え……っと、私は本当に何も知らないのですが、陛下や宰相閣下……という事は、金剛の聖女の存在自体は皆さんご存じだった、という感じですか、ね……?」
私は深夜に陛下と宰相閣下、王太子殿下や王妃様と密かに謁見し、その場で今後の処遇を決められた。院長は、私が隣国に攫われて酷い目にあわされるよりは、と思ったらしいが、まぁまぁ酷い3年間だったようにも思う。
それなら、こうして導いてくれる人に出会って、何度も訴えて来た隣国の瘴気を払う仕事をする方が私の気持ちとしては楽だ。金剛の聖女、と言われて本当に言葉だけで陛下に敬わられても、私がやってきたことは下女のそれだから。
馬車で、と言われたが、馬は繋がっていないように見える。そもそも、王宮の門は大きな堀に1つかかっているだけで、こんな数の馬車が出て行ったら絶対にバレる。
「少し、飛びますので。夜だから下は見えないと思いますが、その分1日かけて、全てを話しましょう」
そう言ってガウェイン様と騎士団長、先程の騎士さんと同じ馬車に乗る。近付いたら、ちゃんと何か生き物の気配がしたが、やはり姿は見えない。
他の馬車にも3年間お世話をしてきた騎士さんたちが乗り込んでいく。
総勢で16名を乗せ、4台の馬車がふわりと空の闇に溶けるように飛び上がった。