5 雨の予感
「あ、水汲み」
部屋に戻った私は、分厚くて不細工な丸眼鏡を外し、そばかすや眉も綺麗に落として、窓の外を見た。
ちょうど満月が朧にゆらめき、夜空にもわかる灰色の雨雲が見えている。朝には雨だろう。
今のうちに飲み水を水瓶に貯めておかないと、明日の分の水汲みが大変だ。
こうして夜に天気を確かめるのは昔からの癖でもある。瘴気に水が汚されたら……、飢餓でもすでに怪しいのに、いよいよ国が滅ぶのではないかと胸が痛くなる。
かといって、私には陛下や宰相閣下を説得するような教養がない。行きたいから行きます、と言って出ていって孤児院がまた貧しくなったら、悲しい。
それに、私の予算は山程あれど、手持ちのお金はない。自由もない。
(聖女って一番上の存在なのに、不自由だ)
陛下が城下町に行かないように、私もその自由はない。あるのは顔を隠して、毎日の労働をするだけ。
明日はお休みだけれど、侍女さんたちが困らないように水汲みだけでもしておかないと。
よく考えたら変な話だ、なんて思いながら、私は薄手のワンピースになっている寝巻きにブーツを履いて外に出た。この時間ならみんな眠っているので、起こさないようにそっと外に出る。
少し肌寒い。明日はやはり雨だろう。部屋に篭って過ごす事にしようかと思いながら水汲みをしていると、朧月の月光に胸の金剛石が服の下でも光を反射したように光った。
金剛石は透明な石。月の黄金色には黄金色の光を吸い込み放つ。
誰にも見られてないと思っていたが、井戸の横の森から微かな声が聞こえた。
「見つけた……」
「えっ?」
驚いて振り向く。聞き覚えのある声だった事と、今はぐっすり眠っているはずの人の声だったからだ。
「貴女が……『金剛の聖女』様だったんですね」
彼はいつも、私に対しても礼儀正しい。騎士団長以外で私をちゃんとルーシーと呼んでくれる、ただ一人の騎士。
この夜更けに黒い軽装で、夜に溶けるような黒髪に黒い瞳の、それでもその顔形はガウェイン様だった。
「髪と、目が……?」
「魔法です。私は、長年隣国からこちらの国に送り込まれていた間者……という事になります。今は、聖女を探す任についておりました」
私は今、顔を隠す化粧もしていない。長く伸びた栗色の髪に、同じ栗色の瞳の、どこにでもいそうな17歳の女だ。
「あの、私を……どうされるおつもりですか?」
彼は静かに私の前までやってくると、私の足元に跪く。
私はドキドキしていた。どこか他人事だった隣国の方が、こうして目の前にいる。私は、この場で殺されて金剛石だけ持っていかれるかもしれないし、明日には拐かされているかもしれない。
魔法で色を変えていると言っていた。どちらが本当の色かわからなかったけれど、私の胸の金剛石の光にあたると、黒髪は金髪に、瞳は緑と青の不思議な色合いに戻った。普段が地なのだろう。
「神力の前では隠し事はできませんね。私は長年の草の根活動により、レジスタンスを結成しました。城下町には、既に有志の冒険者が集まっており、……騎士団の中にも賛同してくれる者がいます。飢えを経験したことが、ある者たちです」
跪いたまま彼は滔々と語り、私に手を差し出した。
「どうか一緒に来てください『金剛の聖女』様。お願いです、我が国に救いを」
私は高鳴る胸を……それが期待か不安かまでは頭が回らなかったけれど、抑えながら、そっと彼の手を取った。
雨はまだ降り出しそうにない。
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