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一話 鹿島 幸洋①

千王石先生に書いてもらいました。

「なあ、本当にここなのか?」

 夏のたけなわの夜に、鹿島幸洋は友人とともに廃ビルに忍び込んでいた。じっとりとした熱気が肌に張り付いてくる。発した言葉を飲み込んでいくような冷えたコンクリートの匂いを吸って、吐き出す。


「見たんだ、例の赤人形が女の子と入っていくのをさ」

 友人の言う赤人形というのは最近このあたりで話題になっているオカルト話だ。真っ赤な騎士の木偶人形が剣を持って徘徊しているということだが、週刊誌の記事になるようなこともなく、くだらない産まれたての都市伝説の一つだと思われていた。


「赤人形ってどれくらいの大きさだよ」

 懐中電灯をぐるぐると弄びながら、友人は尋ねてきた。


「さあ……結構ばらついてるんだろ、目撃情報じゃ」

 夕立の名残が床にはある。迂闊に歩いていた彼らは、跳ねた水をまともに食らった。反省して、壁に手をついてゆっくりと歩くことにした。


 このビルが無人となったのは、3年ほど前のことだ。築20年、入ってすぐのところは壁から柱からありとあらゆるところに落書きがあったが、それも階段を一つ上れば無機質で殺風景になった。こんなところにわざわざやってくるのは、彼らのような好奇心に釣られた蛾か、ここに根を張る食虫植物くらいのものだ。


 そう、食虫植物。彼らはそれを探しに来た。虎子か、暴虎か。いずれにせよ、噂を聞けば確かめに行かないと落ち着かないのだ。そんな、17歳の夜だった。


 二人は、錆びた手すりには触れないで、上へ上へと向かう。もはやどちらも口を開かなくなっていたが、5階に到達したとき、丸い光の中に、偶然にも金色の髪を捉えた。それはすぐに廊下を曲がって見えなくなったが、顔を見合わせた二人は、どちらからともなく駆け出していた。


 わずかに見える金色を手がかりに3分ほど走り続けて、たどり着いたのは504の会議室だ。いつの間にやら鹿島は一人になっていた。恐れがないと言えば嘘になる。それでも彼は、重たく、古びた扉を押し開けた。


 そこは、埃の一つもない、鼠色のカーペットが敷かれた部屋だった。蛍光灯は明るく、目を眩ませる。少しずつ闇を取り戻していく彼の視界に、先程の金髪が入ってきた。


「ごきげんよう」

 声変わりもしていない少女の声だが、不相応な覇気も兼ね備えている。ぼんやりとした視界の中で、ちょこんと座っている姿は確認できた。


「こんな遅くに出歩いてちゃいけない」

 装飾過多気味の鞄を肩に下げ、時折大事そうにそれを撫でていた。


「それはあなたの道理でしょう?」

 反駁できずに黙っている間に、彼の目は慣れてきた。彼女は金髪碧眼に白黒のロリータファッションで、原義におけるロリータに近いコケットリーな少女だった。スーツ姿の男を椅子にしていたが、それは彼にとって驚愕に値しない。人の尊厳はたやすく踏みにじられるということを、彼は知っていた。


「ワタクシはあなたと同じようには生きませんから……」

 彼がここで言うべきは、何か。危ないから早く帰れと言ったとして、大人しく帰るようには思えない。無言のまま立ち去るのも、信条が許さない。


「その火傷痕、一体なんなのですか?」

 彼女は指一本も動かさず、不遜に訊いた。確かに幸洋の顔の左半分には大きな火傷痕があるが、改めてそれを聞かれるというのは久しぶりのことだった。


「……色々あった」

 軽々しく話したいことではなかった。


「ふぅん……一つ、面白いものをお見せしましょう」

 彼女は立ち上がって、鞄から木偶人形を取り出した。それは赤く染められ、剣を握っていた。まるで西洋の騎士のようだった。


「最後の見ものに、人形劇をどうぞ……」

 嘲笑うような顔で彼女はそう言った。


 途端、人形は見る見るうちに大きくなり、木屑を撒き散らしながら2メートルくらいにまでなった。木が成長している様を早回しで見せられているようだった。巨大化する体躯に合わせてか、剣までもがメキメキと伸展する。


 今、彼は悟った。赤人形とは、これなのだ。兜の覗き穴から見下ろす、ガラスの眼球。それが彼の体を縛ってしまった。深き淵に沈むが如く、その空虚な目に吸い込まれてしまっていたのかもしれない。


「そういえば、あなたのご友人ですが」彼女は俺の応対を人形に任せ、ぐったりと倒れ込んでいる男性に向かっていた。「すでにお帰りになったようです」

「どういう……」

「五体満足ではいらっしゃるでしょうが、一度病院に行かれたほうがいいかと」

彼女はもう一体、青い人形を取り出して、男性に押し付けていた。問いかけようと前のめりになった彼の前に、赤人形が剣を突き出す。まるで人間が中に入っているような動きをするが、動く度に軋むような音がするのが不快だった。


 視線を彼女に戻すと、玩具を与えられた子供のような、楽しげな笑みを以てして男性に何かをしていた。その行為がどのような意味を持つのか、彼にはさっぱりだが、しかし男性が突如として叫びだし、半狂乱になって壁をひっかく様は理解を抜きにして彼に行動を訴えかけた。


 やはり制止しようとする赤人形はフェイントで騙して、男性を抑えにかかる。


「ちょっと……落ち着いてください!」

 呼びかけても、何も見えていない腕が振り回されるだけで、彼はそれを避ける内に当初の目的を諦めていた。もはや、語らうことはできないと悟ってしまった。やるしかない、と彼は自然と喧嘩の体勢となっていた。しかし、その矢先に男が言葉を発する。


「お、俺が……増える!」

 喉を潰すような叫びだった。


「増える……!?」

 それは、すぐさま現実となってしまった。一人が二人になり、二人が四人になる。分裂だとか、増殖だとかではない。コンピュータ上でコピー・アンド・ペーストでもするように、脈絡も、存在の裏付けもないままに男は増えていく。


 16人になったところで増殖は止まったが、彼らは引き攣った顔で互いを見合っていた。そして、ついには殴り合いを始めた。同じ顔の男たちが、同じ形の拳で喧嘩をするのだ。あまりにも不慣れなのか、軽いパンチをぶつけ合うだけの茶番のようでもあったが、それが逆に一層気味の悪い光景にしていた。


「失格ですねえ」

 割って入ることもできずに傍観していると、ふと彼女が言った。


「分身は便利なのですが、それでアイデンティティの喪失を恐れて殺し合うのなら……無意味です」

 言い終わると同時に赤人形がずいと出てきて、その剣で男たちを斬り殺していった。


「これは……」

 思わず、幸洋は呟いていた。その様は殺戮ですらなく、処理とでも呼ぶべきものだった。検査基準に満たない製品を捨てるようだった。冷たすぎる行いに、彼の呼吸は荒くなっていった。


「さて、あなたも試させていただきましょうか」

 彼女はあの青い人形を差し出して、近寄ってくる。──俺もあんなふうになるのだろうか。思考ばかりが頭に湧き出て、行動とならない。自分同士で潰し合うのか。嫌だ。それは、受け入れられない。


 カチリ、と彼の中で鳴ったような気がした。少女の手首をひねり、壁に突き飛ばす。落ちた人形は投げ捨てて、尻餅をついた彼女を見下ろす。彼の行いに、一切の躊躇いも曇りもなかった。軽蔑、警戒、恐怖、憎悪。彼を動かす、マイナスに偏りきった心を金色の眼に見透かされているような気がして、不快だった。それを消し去るように、幸洋は、血が滲みそうなほどに、掌中の空虚を握りしめた。


「後方注意、ですわ」

 不意がすぎるそれを幸洋の脳が受容した頃には、もう遅かった。彼は、上腹部から剣が突き出しているのを見た。そこには血がべっとりとついていた。それが引き抜かれると、溢れ出た血液が彼女に降り掛かった。倒れた彼の体を少女は踏みつけた。


「今のをご覧にならなかったので? ワタクシは人を殺しますわ」

 下等な虫けらを弄ぶかのような目をして、彼女は言った。


「ワタクシはノイン。せめて、名前だけでも覚えて死んでいただきます」

 そう言い残して、彼女は赤人形と共に去っていった。追いかけようにも、体は彼のものではなくなりつつあった。自分というものが消えていく、失われていく、離れていく。これが、これこそが死だと察した。


(いや……まだだ)

 彼にとって、己の命なぞは天秤にかけるにも値しない。その重みを認めていないのだ。歪に壊れた彼の心は、自身が消失する恐怖以上に、あの赤人形とノインとかいう少女がさらなる殺人をすることへの恐怖に反応していた。


(俺の命は……使うためにある……!)

 心中で噛み締めた言葉は、しかしそれだけでは価値を持ち得ない。ならば、と無力なまま這いずってでも進もうとした彼の脳裏に、声が入ってきた。


「ならば、力を与えましょう」

 また、少女か。霞がかかったような頭で、幸洋は脳味噌に響く、その声の主の有り様を推測した。


「あれは理から外れたもの。消さねばなりません」


 真正面に、なるほど大和撫子といった風貌の少女が座り込んでくる。今の彼にはそれが幻影であるのかも判然としない。だが、紺色の着物の裾が、風もないのにひらひらとしていることは確かだった。

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