第七話:生贄令嬢は邪竜と邂逅する
『……我が眠りを妨げるのは貴様か、人の子よ……』
鋭い牙が並ぶ真っ赤な口が開くと、お腹の底に響くような低い声が私の頭上から降ってきた。
竜の身体から放たれる強大な魔力が、ビリビリと肌に突き刺さる。
あの口に……あの柱を踏み潰した前足に……我が身を引き裂かれるかもしれないというのに、不思議と恐怖は感じなかった。
「今代の『花』、フランチェスカ=ヴァイエリンツと申します。以後よしなに……」
にっこりと微笑みながら、すっかりボロボロになってしまったドレスの裾を摘まみ、膝と腰を曲げつつ頭を深々と下げる私を、竜の瞳がじっと見つめているのがわかる。
しばしの間、沈黙が下りる。
私はずっと、頭を下げ続けたまま……。
ああ、全力疾走の後の最敬礼がこんなに辛いものだったなんて……!
このままではプルプルと無様に震えてしまう、と思ったちょうどその時。
『…………はな、とは何だ? 我が与り知らぬところで何が起きている? 面を上げよ、娘。お前が知っていることを話すがよい』
不服そうに鼻を鳴らす音と共に、低い声が再び響く。
ようやく頭を上げることを許された私は、改めて目の前の竜を眺めやった。
黒曜石のような身体は廃神殿の暗闇に溶けているせいで全貌は見えないけれど、ゆったりと揺れる太い尾と、背から生える一対の翼、そして、先ほど柱を潰した太い前足を見ることができる。
自分が知らぬ間に面倒ごとが起きているのを察しているのか、どこか憮然とした様子で尾を揺らす竜の姿は、どことなく香箱を組む猫によく似ていた。
……とはいえ、迫力は段違い、ですわねぇ……猫ならばぴたんぴたん……程度の擬音で済むのでしょうけど、目の前の竜がやるとブオンブオン、ビタンビタンですもの……。
尾を振る時の風圧に身体を押されつつ、私は当事者に向かって「竜の花贈り」のあれこれを語り始める。
その昔、この離れ小島に黒龍が降り立って以来、国中で自然災害や内乱が相次いだこと。
竜の許へ若い娘を捧げたところ、それらがぴたりと治まったこと。
何十年か経った頃に再び国内で疫病が流行り出し、娘を送り出したところこれもすぐに治まったこと。
そこから、50年に一度「竜の花贈り」と称してこの島に若い娘を送るようになったこと。
それが今でも続いていること……。
私の話を聞き進めるごとに、微かな唸り声と共に竜の鼻先に深い皴が寄っていく。
そしてとうとう、私が今代の「花」としてこの島に送られた……という話に差し掛かった頃、とうとう我慢の限界に達したのか竜の尾が洞窟の床に強く叩きつけられた。
轟音と共に砕けた床の破片が飛び散り、土煙が濛々と立ち昇る。もの凄い威力ですわね……。
幸いなことに、竜の体が障壁となっていたおかげか、私の体は傷一つついていない。
『我は知らぬぞ。確かにこの地に長く留まってはいるが、それは休眠の為だ。今目覚めた我に、生贄の娘をどうこうできたとは思えぬ』
「……………………」
『第一、我に自然を操る力も、疫病を蔓延させる力もない。人間どもの思い過ごしだ……!』
「…………そう、でしたのね……」
憤懣やるかたないという態の黒い竜が、再び尻尾の先をビタビタと床に打ち付けておりますわ……。
それでも、今話している私を傷つけまいと手加減してくれているのが何となくわかる。
これまでの歴史をすべて否定する黒龍の言葉に、現実を直視するしかなくなった。
……ええ。貞蓮の記憶を取り戻した私には、疫病が蔓延することにも、自然災害が起こることにも、内乱や反乱がおこることにも、竜の呪いなど関連性がないことは予想がついておりましたのよ……。
おそらく、この巨大な身体と膨大な魔力を持つこの竜は、本人――本竜というべき?――が意図せずとも、移動や食事をするだけで昔の人々にとっては共同体の存続にかかわる程の被害が出たんでしょうね。そして、そのせいで「邪竜」と称されるようになったんじゃないかしら……。
この島に降り立った竜に生贄を捧げて治まった……というのも、偶然が重なった結果だったのでしょう。本竜は眠っていたようですし、ね……。
ただそれでも……「民を助けるために竜を鎮める」という大義名分を、どこかで頼りにしていたのかしら?
……竜の花贈りに……私が生贄になったことに、結局のところ意味などなかったことを痛感した私の膝から、かくりと力が抜けた。立っていることができず、その場にへたり込んでしまう。
『お前も哀れだな……そのような与太話を信じて身を捧げるとは』
「……私にも、色々と事情というものがございますわ……」
金の瞳が、痛ましいものでも見るような目でこちらをじっと見つめていた。その瞳をじーっと眺めていると、少しずつ心が落ち着いてきましたわ……。
そうね。たとえ黒龍の逸話が人間が勝手に流布したものであったとしても、あの婚約者から解放されて、あの家から出られただけでも僥倖と言えるのでは……?
……下手をすれば、私と結婚した後に影で二股をかけられていた…………もしくは、いっそ堂々と不倫を続けられていたかもしれないことを考えると、さっさと片が付いて良かったわよね……。
いろいろと吹っ切れた私が立ち上がると、それに合わせたように黒い竜も首を引いた。
前足を交差させて首を擡げたまま、じっと私を見つめ続けている。
『だがしかし、確かに長く眠りすぎたせいか、腹が減っている感はある。お前が我への「花」だというのであれば、我がお前を喰らっても問題はない、という事か?』
「まぁ、丁度良かった。そのことに関しまして、私、とても良い案がありますのよ」
舌なめずりをしながらこちらを見つめる金の双眸を見つめ返し、私はにっこりと微笑んで見せた。