第二話:生贄令嬢は遠い過去を思い出す
王都に行くまで私に宛てがわれていた私室は、館の外れにある酷く質素な部屋だった。
部屋に戻った私はドレスを着替えることもせずにベッドに身を投げる。
それだけでギシリと音を立てるベッドは、「公爵令嬢」の身分に相応しい品質でないことは確かで……。
「せめて、私にスキルが使えたら違ったのかしら……?」
吐くまい吐くまいと思っていた弱音が、唇の隙間から思わず漏れた。
……この世界には、生まれた時から「スキル」という特殊能力を授けられて産まれてくる人間がいる。
それは剣の能力であったり、商売の能力であったり……種類は様々だけれど、持ち主を助けるための能力であることが殆どで、スキルを持った人間は「神の祝福を受けた」者として重宝されることが多い。
私もスキルを持って生まれてきたのだけれど、私のスキルは、周囲の人間も……私ですらも解読できなくて……。
気が付けば私は「スキル持ちのくせに役立たず」として家族からも爪はじきにされてきた。
私のお母様が亡くなって、お父様が今のお義母様と異母妹を連れてきて……それは如実なものになってしまったわね……。
煌びやかなドレスも、アクセサリーも、家具も、使用人も、すべてがエリシアのために使われた。
私がテオドール殿下の婚約者になってからは、体面を保つためかドレスやアクセサリーは与えられたものの、部屋のくたびれて古ぼけた家具はそのままだったし、私専用の使用人が与えられることもなかった。
もちろん、家族としての愛情も……。
そんな私をお爺様が気遣って、デビュタント前からお爺様がいらっしゃる王都で一緒に執務のあれこれを教えて頂いていましたわ。
テオドール様が臣籍降下された暁には、私も公爵夫人として領地の経営に関わる手はずでしたし、そもそもお父様がお義母様と異母妹を連れて遊びまわるのに忙しく、まともに執務をなさらなかったから……。
王都と領地はさほど距離があるというわけではありませんけど、社交シーズン以外でお父様たちが王都にいらっしゃることはなかったわね…。
「……『役立たず』ですもの……仕方ありませんわ……」
噛み殺しきれなかった呻きと共に、私は枕に顔を埋めて…………。
(仕方なくないからね! あんなん二股をかける方が悪いに決まってらぁ!!)
憤慨する女性の声が聞こえて、私はそっと目を開けた。
真っ白な世界の中、黒髪の女性が激しく地団駄を踏んでいる。
(何が……なぁにが「真実の愛」だバカヤロー!! 単なる浮気じゃねーかクソ男!! テメェに相応しくあろうとしたフランのどこが不満だってんだ、えぇっ!? 妹ビッ〇の色仕掛けにコロッと捕まりやがって!!!)
どこからともなく大きなクッションを取り出したその女性は、ボッコボコを通り越して「フルボッコ」というのが正しいくらいの勢いで、そのクッションを殴り続ける。
え、と……フラン……というのは、私のこと……かしら?
顔も名前も知らないはずなのに、何故か懐かしさを覚える女性の言葉に、じんわりと胸が熱くなる。
――そう……私、頑張ってきましたのよ?
ヴァイエリンツ公爵家の娘として相応しい淑女であろうと……テオドール殿下の隣に並んでも見劣りがしない公爵夫人として、少しでも相応しい女主人であろうと……。
「あんな役立たずが……」と、私のせいでヴァイエリンツ公爵家が、お父様が、テオドール殿下が馬鹿にされることがないよう、知識も、魔法も、マナーも、必死に覚えてきましたのよ……。
それに、お父様がお義母様と異母妹にかまけてばかりなせいで、ここ数年は私が代理で仕事をしていたようなものでしたわね……。
それも全部無駄になりましたけど……。
(フランもフランなんだよぉぉぉぉ!!! なんでそこで諦めるのぉぉ!! 婚約者が浮気したなんて、めちゃくちゃ怒っていいんだよぉぉ!? 怒って当然なんだよぉぉぉぉぉ!!!)
黒髪の女性は、今度はクッションを抱きかかえて顔を埋めながら、ゴロゴロと床を転げまわる。
次の瞬間には長い黒髪をざんばらに振り乱し、テオドール殿下をクソ男、エリシアを妹ビッ〇と罵る女性の姿を見ても、不思議とはしたないとは思わなかった。
私のために怒ってくれる人なんて、最近ではお爺様くらいしかいなかったから……。
それに、そもそも私、テオドール殿下との婚約が嬉しかったわけではありませんもの……。身分と年回りが釣り合う令嬢が私しかいなかったから……という理由でしたし。
(あー、もう!! フランが私を……いや、日本語を思い出してくれればいいのに……!! フランのスキル、謎の言語じゃないんだよぉぉ!! 日本語なんだよぉぉぉぉぉ!!!!!)
クッションを抱えて慟哭する女性が吼えた言葉に、頭の中で何かがカチリと嵌った気がした。
それと同時に、黒髪の女性がこちらを振り返り、そっと近づいてくる。
私は、ヴァイエリンツ公爵家の娘・フランチェスカ=ヴァイエリンツ。
(私は、しがないアラサー社畜。名前は、もうない。死んじゃったからね。戒名は『光道院貞蓮信女』あたりじゃないかな?)
私は、ずっと昔に私だった……?
(前世ってやつかな? 消しきれなかった不具合みたいなものと思ってもらえればいいよ。でも、そのせいでスキルが日本語仕様になっちゃって……辛い思いをさせてごめんね?)
しょんぼりと俯く女性の言葉に、私はあわてて首を横に振った。
彼女の様子を見ている限り、この人はずっと私の中で私のことを見守っていてくれたんだろう。
「私、一人ではなかったのね……! 貴女がいてくれたんですもの……!!」
そう口にした瞬間、欠けた心が満たされていくのがわかる。
いつの間にか、向かい合わせに立っていた私とその女性の掌が、どちらともなく重ね合わされた。
背は、私の方が少し高いかしら? でも、掌は女性のほうが少し大きい。
触れ合ったところから……重なり合ったところから、私たちは少しずつ混ざり合っていく。
(不具合が残ったせいでひどい目を見せちゃったけど、これからはこの不具合が役に立つから……だから泣かないで、フラン……もう一人の私……)
ふわりと暖かな何かに包まれる。
それは、久しく感じたことのない人肌の温もりだった。
お爺様は私の心に寄り添ってくださったけど、さすがに年頃になってからはこうして抱きしめてもらう事なんてなかったから……。
柔らかく暖かなものに包まれて、私はそっと瞳を閉じた。