武蔵と小次郎
八月二日昼、夏の暑さは相変わらず厳しい。今年は例年を上回るとテレビでも言っていた。晴天の空には太陽が輝き、多くの木々では蝉の声がはげしい。そんな夏真っ盛りの中、田園から市街地へと変わる境目、ここから先は道に車線が書かれている。
そこに巨漢と女性が立っていた。巨漢は、都会へ出て行ったものが里に帰って来たように伸びをしながらさわやかに言う。
「う~ん、雰囲気が変わったのう。だが空気はうまいままだ、暑いがな」
この巨漢、体は大きいが瞳はやさしげ、日焼けしたかのような肌に汗がにじむ、気のいいおやじ風は誰が見ても好印象を持てるだろう。が、兵馬が対峙したのは遥か過去であるはず。宮本武蔵だ。
「のんきですねぇ」
横にいた美女が応じる。この美女は武蔵の関係者の様だ。ただ、二人の衣服は現代のものであり、武蔵にはまげも無い。女性は、なんかOL風だ。眼鏡もかけている。
「さて、どうしたものか、小次郎は待ってるかのぉ」
「衣服程度であれば船で作れたけど、この後の行動を決めるにも情報が足りないですし」
「めんどくせぇ」
「この星も多少は進歩したのでしょ? 現在の社会ルールを把握できるまでは、この街で様子見と思ってくださいね」
「ああ、めんどくせぇ」
「小次郎様次第ですが……」
「そうだな、まかせた」
武蔵は厄介ごとから解放された様に嬉しそうに笑う。
「もう、やれやれです。 わたしはこの星初めてだっていうのに……」
こちらは少しむくれている。 が、美人顔に影響は無い。むしろ、このレベルのOL眼鏡美人の怒り顔は、その方面に向けては輝いて見えるのかもしれない。
「それじゃ、兄さんは先ほどの河原あたりで待っててください」
向かっていると思われる方向とは逆を指さして言う。同行する女性は妹だった。
「この景色の変わりよう、その方がいいよな」
少し嬉しそうに自分の理屈で肯定する。
「では、小次郎様との待ち合わせ場所など見てきます」
小次郎とは、あの巌流島の件の佐々木小次郎か。
そして、武蔵と小次郎が会うと言うのか、この現代で。
同時刻、友路駅を出てくる外国人男性が五名。全員三十前後だろうか。
「友路町、到着しました」
五名の内の一人、米海軍アレン一等准尉は、携帯電話で報告をしていた。
「報告は見つかったときだけでいいよ」
そっけない返事、そして声はなぜか若い女性のものだ。空母にいた少女である。そして、電話の向こうで知った声がした。マイク部分を手で覆っているのか、音量は小さかったが
「申し訳ございません、わたくしが指示させていただきます」と聞こえた。
そして、聞き覚えのある声は、
「報告はメールを使え、わかったな」
と音量を戻して話した。少女から変わったのだ。アレンは少女が通信に出た理由を疑問に思ったが、今は触れないことにした。その時、遠目からスーツ姿の男が駆け寄ってきた。
その男を手で制し「了解しました」と返事をして携帯電話を切る。あらためて男に向かうと、男は待っていたように、
「アレン一等准尉様でしょうか? 友路警察署田中です。お迎えに参りました」
警察が動く道理は不明だが、上層部にもいろいろ事情がある様だ。
「わざわざすまない。人探しだが、土地勘もないので、お手伝いいただけると助かります」
アレンは日本語が得意ということで任務を命じられていた。
「いえいえ、お気になさらず。さぁ皆さん、まずは警察署へ、涼しいですよ」
「この暑さはたまらん、お言葉に甘えよう」
米兵たちは探し人の素性も探す目的も知らされていない。彼らが電車を利用したのは、大げさにしたく無い為との指示であるが、察知され、先に逃亡されない様考慮したのだ。
米兵と同じ電車に乗っていたのか、少し遅れて改札を出る二十代後半と思われる女性が一人。黒のスーツは就職活動中を思わせる。さすがに上着は脱いで腕にかけており白のブラウスがまぶしい。だが、大きなキャリーケースを引いているため就職活動では無いことがわかる。遠方から職探しに来る様な街ではないのだ。
そして、女性用とは思えない武骨な形の腕時計をちらりと見て、
「デートでも無いのに、ちょっと早かったかな~、なんか悔しい、デートしたこと無いけど……」
そう言いながら駅前にある喫茶店に入った。
待ち合わせだろうか、それともただ夏の日差しを避けたかっただけだろうか。デートでは無いことは確かだが、いやそうともいえないのかもしれない。喫茶店の中で、女性よりは明らかに年上、四十代くらいの男性が手で合図していた。普通のおじさんを絵にかいた様なおじさんだ。
「うそっ」
女性は予想外だったのか驚きを思わず声に出していた。しまったと口元を押さえながら、合図を送った男性の前に座る。
「すいません、お待たせしました」
テーブルの灰皿に一箱分以上のたばこの吸い殻がある。
「お前、そのかっこは暑くないか?」
「暑いに決まってるじゃないですか、でも、あんまり私服持って無いのですよ……」
「女にも色々居るんだな」
「まぁ、女の種類の隅っこにぎりぎり入るくらいですが」
「謙遜するなよ、署内一の美人と有名だぞ、響ちゃん」
「個人的に今はどうでもいいです」
「そうか」
「で、わたしは、何をすれば?」
「何もするな」
「え?」
「だそうだ」
「え?」
「俺もだがな」
「ええ?」
「この街に滞在して居れば、分かるってことだろう」
「つまり、情報を全く漏らせないほどの事情があるが、何事かが起こると?」
「しかも確実にって事だ。そして、何か起こっても手を出してはいけない、もしくは出しようが無いということだろう」
「こんなちっぽけで平和そうな街でですか……あ、ちっさい組の支部ありますよね」
「そいつらがらみなら、情報が無いのはおかしい」
「ですよね。じゃ、いったい何のために私たちは?」
「見てこいということだ、いや、感じてこいかも?」
「そんな~」
「そして、既に、空気が変わってるかもしれない」
「え?」
「お前と同じ電車に米兵が乗ってたろ」
「気付かれましたか」
「ここから見てたからな」
「先に居たのはそういうことか」
「昨日、ここの警察署に米軍へ協力する様に要請があった。人探しの手伝いだそうだ」
「なんでわざわざ米軍が……」
「だろ?」
「そしてさっきの人数……」
「そうだ……だからといって、不用意にも動けん。動いてもいいが、なんかやばい気もする」
「山さんが言うなら。なるほど、理解しました」
「しかし、観光地でも無いこの街に長期滞在はきついな」
「確かに、それが一番問題ですね」
響はにやりとしながら肯定する。
「その顔は、良い手があるのか?」
「ええ、いったん帰っていいですか?」
「どんな手だ?」
「わたし、この街に親戚が居るんですよ」
「は?」
「そこに居候させてもらいます。なので、戻って荷物送って来ようかと」
「ほう、俺も一緒でいいのか?」
「まさか」
「ずるいぞ」
「でも、一つ屋根の下とか、後で問題になるのはまずいですから」
「そりゃそうだが、とほほ」
「では、さっそく戻ってきます。電車もうすぐみたいなので」
スマホで帰りの電車を調べたらしい。
「ああ、急げよ。俺は不動産屋行って安アパートを借りるとするよ」
「この街、漫画喫茶も無いとは残酷ですね」
「平和な証拠って感じだがな……あ、ちょっと頼みを聞いてくれ」
「なんでしょう?」
「これ調べて来てくれ、やっぱり多少時間かかってもかまわん」
山と呼ばれた男は、そう言ってメモを書いて渡す。
「お任せを……あ、このキャリーケースは預かっててください、中は見ない様に。では~」
響と呼ばれた女性は、入ってさほど時間がたっていないのに、いそいそと店を出て行った。
「水くらい飲んでけばいいのに……なんか、妙にやる気になってたな。
……だよな、俺もなんかむずむずしてきたぜ」
独り言をつぶやくと、一瞬、眼の鋭さが増す。そして、煙草に火をつけた。
「あ、またつけちまった」
自分も直ぐに出るつもりだったのだ。
次の電車でまた余所者とおぼしき者が来た。十代後半と思われる少女だ。
半ズボンに野球帽なこともあるが、華奢な体つきにショートヘアは少年と間違われても仕方ないかもしれない。
「やっとついた、こんな田舎に来るはめになろうとは」
パタパタと小さな扇子で風を作りながら駅の外に出て辺りを見回す。
「さて、どうしたものか」
太陽に容赦など無いことを確認する様に空を見上げ、
「僕を殺す気か。 とりあえず、めんどうだけど着いたくらいは報告しとくかなぁ」
ぼやきらしい独り言はなんらかの目的を持って来ていることをうたっていた。
その時、立って居る道の先に少し高級そうなホテルの看板を見つけた。
「まぁ、ホテルについてからでいいか、いそごっと」
暑さから少しでも早く逃れたいのか、駆け足ぎみにホテルへ向かった。
アンドロイド達を支えるメインコンピュータはマザーと呼ばれている。マザーは、おそらく現存する地球上のすべてのコンピュータを合わせても及ばないほど強力な性能を持つ。この時代での起動後、世界中の情報をリアルタイムで収集し分析している。
未来のデータベースにあるのは、メディアによって表に出たもののみで時間単位での精度も低い。そのため追加情報を収集し合わせる事で自分たちの行動が影響を与えるであろう事象を解析している。表に出る様な事象に関わる場合、織り込み済みと想定して行動するが、そうはならない様に力を返してくる場合もある。その大きさが怖いのだ。
そして、当然、自分たちに影響を及ぼす可能性の有無も監視している。駅周辺のモニター全てから所得しているデータを他の情報と照合しながらリアルタイムに分析するなど造作もなく、駅から出てくる人間達をマザーは見逃すことはなかった。
「メグ、何かおかしな事になってきました」
オペレーションルームでなにやら作っていたメグが応答する。
「おかしな事ですか?」
「一般人とは思えない者が三組、街に入ってきました。最初のグループはおそらく米軍です。乗車駅などのモニターからたどってみました。そして、もう一つは一人の少女なのですが正体不明です。後は公安でしょうか」
「少女を探ってみますか?」
「いえ、そちらは出方を待ちましょう」
「ホームのことを気付かれましたかね」
「そこまでは不明です。まずは、米軍の方、それとなく様子だけ見てきてください」
「了解しました。ちょうど引っ越し先に行く予定ですので」
「そちらもお願いします」
「兵馬様も気分転換にお連れしますね」
「何を浮かれてるんだか」
レッドがからかう様に言う。
「え?」
なんだか、へらっとした顔でレッドの方を向く。
「それでいいのですよ。様子見の方がついででよいです」
マザーが支持する。
「はいっ、では行ってきます」
見送ったレッドは、
「あんなふにゃっとしてて良いんです?」
「彼女の性格は本来そういうものなのです」
「それはそれで可愛いんだけど、かわいそうそうな気も」
「そうですね、彼女が一番……」
言い難いのか言葉を濁した。
「マザー?」
「いえ、我々は全てあの方の性格付けですから、なにかしらの意味はあるのでしょう」
「博士かぁ、そうかなぁ」
「それから、カメラの数はこちらで増やした方がいいですね」
「駅の周りしか無いもんね」
「既製品を調達してください」
基地周辺に設置した分は工作室で自作したものである。だが、人目に近い場所に未来の技術を置くわけにはいかないのだ。
「通販しますけど、一度にたくさん買うと変にかんぐられるかもですかね」
「お店名義にしましょうか」
レッドは、処理性能は非常に高い。それゆえにオペレーションとマザーの補佐を任されている。アリスと違い強い権限は無いが、アリスとマザーの意見が割れた時などで多数決が必要な場合には参加する。ファントムも同レベルの処理性能を持つが、通常はマザーの処理の一部を肩代わりする程度である。
日が落ちる頃、武蔵の姿は駅前の喫茶店にあった。
テーブルを囲むのは、武蔵、となりにその妹、そして向かいには小次郎と呼ばれていた男が座っている。
小次郎と呼ばれる男の身長は一メートル九十くらいあり、細身ではあるが見えている腕とシャツの起伏から筋肉質の体躯とわかる、なによりも切れ長の目のイケメン顔が目だつ。
「久しいのぉ? 小次郎」
「そうですね。まさかまた逢うことになるとは思ってませんでしたよ。わたしにとっては三百年ぶりだったか」
「俺にとっては、記憶だけなら数日前くらいだがな。 行って帰ってきただけだし」
「カミョルナちゃんもお久しぶり」
「小次郎様、ご無沙汰しておりました。この度はご足労いただきまして誠に感謝いたします」
「そう固くならないで」
小次郎は、なぜか緊張気味の妹を気遣ってから武蔵に問う。
「で、何をやらかしたんです?」
「逃げてきた」
「あ~、じゃ僕はこれで」
と、何食わぬ顔で立ち上がろうとする。
「おまえも逃げたじゃないか、俺に殺されたことにして」
「そうですが……」
小次郎は、少しむっとしながら座る。
「恩を返せ」
武蔵は、にやりと笑顔を返す。
「なんてことだ」
そして小次郎は天を仰ぐ。
「そういうことだ」
「追っては?」
小次郎は、あきらめたのか、心を決めたのか、辺りを見回し話を進める。
「来てると思うが、確認できていない」
「ということは、地球の方々もたいへんでしょうね」
「仕方ないだろう。やつらの目的は地球だぞ」
「それはたいへんだ、やっぱり逃げないと」
「臆病者め」
「そうですよ。だからこの星にとどまりたかった」
「三百年も何してたんだよ」
「いろいろと充実していましたよ」
「その辺の話はまた今度になりそうだな」
と窓の方に視線を向ける。
「そうみたいですね」
気付いたのはほぼ同じタイミングらしい。五人のスーツ姿の男たちが歩いてくるのが見えた。
「かなり訓練されてそうな体格ですが、人探しは素人。兵隊さんですかね」
「やはりその辺を利用しやがるか、何も知らずご苦労なことだ」
「軍を動かせるということは、追っ手はナンバーズでも上位に近いかもですね」
「ああ、一桁じゃないといいなぁ」
「あなたを追って来たのであれば、或いは……」
「お前の生存もばれるな、すまん」
「判ってて言いますか……ああ、変装して来るべきだった。判りやすい様にとの心遣いとは、なんで僕は……」
容姿や体形だけでも報告されれば察しが付くのだろう。
「なんだ、俺に会うのが、そんなに嬉しかったのか」
「ただの心遣いですよ。おもてなしってやつです」
妹はずっとくすくす笑っている。
「おんなじじゃねぇか。とりあえず、いったん別れてあれを巻こう」
「巻いたら、ここにきてください」
小次郎は用意していたのか紙のメモを渡す。
「準備がいいな」
「迷子になった時のために準備してたんですよ」
「お前は、その年になっても迷うのか」
「あんただよ」
ここで、はじめて妹が割って入る。
「すいません、これを食べ終わってからでいいですか?」
パフェを食べる顔は懇願であった。
「わかったわかった、早く食え」
実際、武蔵自信はあせってもいないのだろう。
「ありがとうございます」
ものすごく嬉しそうだ。そして、急いで長めのスプーンを移動させる。
その姿を見て小次郎が言う。
「いつでも食べれるでしょうに」
嫌味ではない、その視線は子供を見る様におだやかだった。
妹が食べ終わるのを待って武蔵は立ち上がる。
「ほんとにすまんな。あと、ここの支払いも頼む、先に出る」
口早にお礼を言うと、武蔵は妹とともに店を出た。プランは無いので適当に右手方向に歩いていく。妹は、満面の笑みで小次郎に会釈してから武蔵について行く。笑顔の理由はパフェがよほどおいしかっただけだろうか。
小次郎は窓越しに妹へ小さく手を振ってから、
「まったくあなたという人は……」
遠い目をして言う。そこには、旧友にあったためか、とてもやさしい微笑があった。
「さて、向こうから来る前に、逃げますかね」
小次郎は支払いをすませて外にでた。そのまま、武蔵達とは反対に向かう。入口ですれ違った女子高生のグループがその背を見送る。長身の美青年は、巨漢おやじよりも遥かに目立っていた。