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アリスの旅立ち

 兵馬は夢を見ていた。

 遠い過去にあった気がする内容であった。

 河原の土手の草むらに、弟と妹と三人並んで寝転がっている。

 日差しも風も心地よく、のんびりとした時間であったろう。

 兵馬は独り言の様に、

「この空はどこまで続くのだろうな?」

「この空の上はあるのだろうか?」

「毎日上る太陽は同じものだろうか?」

「夜空にはなぜ星が輝く?」

 目の前のすべてが不思議と思えるかの様につづけた。

 そして、少し間をおいて、

「いつかわかる時が来るのだろうか?」

 と言ってから黙った。

 弟が仕方なさそうに答える。

「それがわかっても、何も変わらないと思いますけど、いつかわかるのかもしれませんね」

「お前は夢が無いなぁ」

「兄上は、夢を見すぎでは?」

 兄をからかう妹は、満面の笑みで笑っていた。

 その時、誰かが呼んだ気がした。

 そして、ぼんやりと目が覚めた。


 朝早く、兵馬の居る部屋の前にアリスは立っていた。

「もう起きてるかしら?」

 扉に向かって声をかけ、起きていると決めて話を続ける。

「あなたについてと昨日の件はメグに聞いたわ。それとは関係無いのだけど、少しお話させていただけないかしら」

 数秒後、

「昨日は申し訳なかった」

 返事があった。

「入ってもよろし?」

「ああ」

「それでは、おじゃまします」

 この部屋は自動扉ではない、本来の部屋主が嫌いだったようだ。アリスはノブに手をかけて開く。

 兵馬はベッドに座っていた。死の淵から戻ったばかりで無理をした付けがきたのだ。ただ、とにかくパジャマ姿は似合わない。着ることは昨日のうちに頼まれていたので着ているのだろう。

「かけてもいいかしら」

 アリスは兵馬の横を指差しながら聞く。

 兵馬は頷く。

「では、遠慮なく」

 ゴスロリ衣装のスカートを気にしながら兵馬の横にちょこんと座る。

「そんなに近くでいいのか?」

「ええ、大丈夫な人みたいだし」

「そうなのか」

「さて、わたしの名前はアリス、そのまんまアリスと呼んでくれていいわ」

「俺は兵馬」

「ありがとう」

「世間話をしに来ただけだから、緊張しなくていいのよ」

 アリスの見た目は本当に子供だが、子供では無いことは聞かされている。そこに少し警戒心が生まれているのかもしれない。

「わたしは少しの間ここを離れるので、その前にマザーの認めた人間と話をしておきたかっただけ」

「俺は認められているのか? まざーという方とは会っていないと思うが」

「そうよ、びっくりしたわ」

「救ってもらったことに感謝をしているのはこちらだ。放置されていればおそらく死んでいたのだろう」

「律儀なのね。やっぱり悪い人ではなさそう。それにあのメグと戦えるなんて超人でしょ。ヒーローの素質ありよ」

「ひーろー?」

「そこからかい」

 けらけらと笑いながらツッコミを入れるが兵馬に反応はない。

「いけないいけない、時間無いんだった。

 その話は次にあった時にしましょう。たぶんいろいろ不安だと思うけど、私たちは絶対に味方だから安心して」

「それはたいへんありがたいのだが、この喪失感、ここまで生きてきた全てが無意味に思えている。妹を失い、家元にも戻れない、武蔵を取り逃がし、時まで違っては仇を討つことも叶わず。ここには何も・・無い」

 かなり深刻な悩みを打ち明けてくれた。しかし、アリスは、一瞬言葉に反応した様に見えたが、それを流した。

「そういえば、お侍さんていうのは、生きる目的が明確だったのよね? 『死ぬことと見つけたり』……かっこよく聞こえる台詞よね。でも、ここでは死ぬ必要が無いのよ」

「どこの侍か知らんが、かっこよいな」

 少し間を空けて、

「わたしは、昨日死んだのよ」

 少しうつむいてとんでもないことを口にする。

 兵馬はアリスの方に目を向けた。

「飛び級でハイスクールに上がってたのが悪かったのよね~。学校で銃、鉄砲ね、その乱射事件があって巻き込まれちゃって。たぶんテレビのニュースでやってるんじゃないかな……あ、カタカナ言葉とか、わからないかもだけど、なんとなくわかって」

 兵馬には、単語のほとんどは分からなかったかもしれない。

「で、お父さんは超の付くお金持ちだったから、無傷だった脳を冷凍保存してくれたの……目覚めるのは二十五年後、それから、体を作ってくれた人の手伝いとしてこのプロジェクトに加わったのよ」

 侍は、正面の机の端に飾ってある写真立に気付いた。アリスと中年男性が写っている。ここは博士と呼ばれる者の部屋と聞かされている。その者が父親なのだろうか。

「明日、お父さんにお礼を言いに、そして助けるためにアメリカに行くの。外国よ。お父さんは八月二日に自殺した記録が残っているのだけど、死体は発見されていない……もしかすると、つじつまをあわせれば逆手にとれるかなって。運命が許してくれるかわからないけど、私にはその目的が全てに優先する」

 アリスは拳を握り話を続ける。

「そして、わたしには確証ができたの、私が生きてここに戻ってきた事実は、演出の一つだと思うから……

 それに今日と明日、飛行機が一機も落ちないこと、他に他人を巻き込みそうな事故が無いことは確認済みなのです。ずるだけど」

 未来で認識した事実を過去で利用するのは危険なのだ。そして、それを十分理解していてもなお、実行する覚悟を持っていた。

「ただ、そこから先はわからないから、戻って来られないかもしれない……だから、目的を無くしてるあなたにお願いよ。あの子たちを見守ってください」

 アリスは、兵馬の方を見た。

「アンドロイドは、身体的だけでなく、知能、知識、判断力とか人間を凌駕してるのだけど、精神的方面では大人になれないのよ。ある意味堅物のおやじみたいかもだけどね……あなたが面倒みてあげてくれないかな」

 アンドロイドには、ある意味様々なリミッターが付いている。特に現代への影響を押さえることが重要なためだが、それゆえに頑なに真面目だ。

 兵馬がアリスの方にまた顔を向ける。

 アリスは目を合わせてから続けた。

「みんなを生かすために、一緒に生きることとみつけて、難しいことはしなくてもいいの、一緒に居てあげてくれれば」

「なぜ、俺に?」

「あなたはヒーローの素質ありって言ったじゃん。過去から来た超人、とっても素敵だしね。話はここまで、できたらまた会いたいわ、その時は、ぜひあなたについて教えてね。あ、ヒーローについては、メグに聞いてみて」

 返事は聞いていないが、直ぐに断られなかった事で十分だった。

「ああ、おまえとはまた話をしたい」

「あら、これは脈ありね。まぁ、あまりへんなフラグ立てるのもなんだから、行くわ」

「達者でな」

「ばいばい」

 小さな手を振ってから扉へ向かった。

「待て」

 別れの挨拶を交わしたばかりだが、兵馬はアリスを呼び止めた。

「なにかしら?」

 振り返り不思議そうな顔で答える。

「自信を持て。それから、先ほどの件、承った」

「ありがとう」

 笑顔で答えたつもりだったが、なぜか少し涙が出た。

 扉を出ると、アーノルドが待っていた。

「アリス様の話を聞いていただけたこと感謝いたします」

 そう言って巨体をかがめてお辞儀した。

 そのまま扉は閉まり、二つの気配は移動していった。


 数時間後、アリスはアメリカへ向かう飛行機の中に居た。本人によれば現代の知識は持っているため、必要なものがそろっていれば造作も無いらしい。パスポートは偽造品だ。だが、本物は実家に存在するし、実際まだ無効になっていないはずだ。

 衣裳はワインレッド色のゴシックロリータ系だが、これは博士と呼ばれる者の私物では無くプレゼントだ。

 金髪の少女には似合い過ぎているので問題無い。アーノルドの恰好は、昨日メグが調達してきた少しラフなスーツだ。

「このまま何も起きないといいけど……おっと、またフラグ立てちゃったかも」

 なんとなく口にした。

 その時、

「あ、申し訳ありません」

 横に座っているアーノルドの脚に、客室乗務員が飲み物をこぼしていた。体の大きいアーノルドの膝が通路にちょっとだけはみ出していて、飛行機が少し揺れた時につまづいたらしい。

「お気になさらず。この程度なら……」

 アリスが応答する。アーノルドはずっと寝たふりをしている。熱い飲み物だとごまかすのが面倒だったかもしれない。

 その程度のトラブルはあったものの、アリスの立てたフラグは意味が無かった様で飛行機は無事に到着した。

「第一関門クリアかな」

 アリスは心からほっとしていた。ただ、帰りはファーストクラスにしようと密かに誓った。どんなに窮屈でも、動け無くても、エコノミークラス症候群になることは無いので、勿体無いのだが……。


 空港からまず向かったのは郊外の墓地だ。そこで自分の葬儀が行われる。タクシーで三十分ほどで着いた。

 既に埋葬は終わっており、墓の前に多くの喪服姿の人が立っていた。泣いてくれている友人、知人、親族……見るのは本当につらかった。実時間では数十年前のことであっても、いろいろな思いがこみ上げてくる。

 脳の無い体は自分だろうかと思ったが、やはり自分なのだろう。その時、涙を流している自分に気付くと、それが逆に偽物の体であることを認識させてくれた。それは感情の情報に合わせて勝手に機能していると思った。今の自分はこの程度で泣きはしない、ここまで生きてきた、そして克服した経験のはずだからだ。

 だが、それは違う、余計なほどに高性能な体は勝手に涙を流すことなどない、意識の情報を正しくくみ取ってしまうのだ。もう動くことも無い自分に対し、悲しみ、涙を流してくれている人の思いを目の当たりにしたことで、本当の死の実感がわいたのだ。

 まだ恋も知らない若干十二歳の子供は、飛び級で進学し、これから明るい未来が約束されていたはずなのに、因縁も無く、会ったことさえ無い無頼漢のうさばらしの的のひとつにされてしまった。

 そんな無念よりも、父や皆を悲しませていることがひどくつらかった。

「涙のタンク大きすぎない?」

 止まらない涙にうそぶいてみる。

 アーノルドがハンカチを目の前に差し出して、視界ごと遮った。一瞬、事体がわからなかったが、「ありがとう」ハンカチへのお礼と、彼のやさしさだろう行為へのお礼を合わせて言った。涙を拭くとハンカチはポケットへしまい、深呼吸をして脳に多めの酸素を送って気持ちを切り替えた。

 葬儀が終わったことを確認すると、本来の要件を果たすため視界の中に居る父に電話をし、その場を離れた。近づいて、飛びつき、ぎゅっと抱きしめたい、抱きしめられたい衝動を抑えて。

 電話の内容は、「未来から会いに来た」とそのまま伝え、再会する場所と時間を指定した。要件のみとしたのは、その場に留まることがやはり辛かったからだ。

「こんな事で、くじけていられないわ」

 なぜか、アーノルドへ強がりを言っていた。

 そう、彼女は人類の未来を背負ったリーダーなのだ。強がりを言ってでも前を向く。



 その日の夜、とある高級ホテルのロビーにて、アリスは父との再会を果たしていた。

(第二関門クリアかな)

 これは心の中でつぶやいた。父の前に立ち、冷静である自分を誉めた。ここに立つまでにどれほどの実時間を費やし、その間の経験のほとんどは時間を長く思わせる苦痛だった。そして今がある。

「驚くわよね。何が起こっているかわからないと思うので、まずは話を聞いてくださいますか?」

 言葉が終わらないうちに父は娘を抱きしめていた。

「君が何者でもいい。しばらくこうさせてくれ」

 アリスは、また涙があふれてきていた。父も泣いていた。

「誰よ涙なんて機能……」

 しばらくそのまま二人で泣いた。

「涙が止まらんぞ、さっき枯れたと思ったのだが」

 父は、少しおどけて見せた。

 それを合図とする様にアリスはまた話始めた。

「わたしの脳はあなたが冷凍保存してくれた本物。体はロボットです。そして未来からタイムスリップしてきました」

「そうか、なんとかなったのだな」

 父は、また泣き出した。

「あまり驚かないのね」

「どちらかというと、今は夢の中だと思っている。だからなんでもありだ。」

「夢では無いけど、未来で蘇生してから経過した時間は年単位なの。だから、中身はもうお姉さんよ。見た目は、あなたに会いやすい様にこの時間のものにしてあるだけ」

「なんだと、もう結婚はしたのか?」

「それ聞くの? ボーイフレンドもいないわよ、なんかめんどくさくなってきた。 でも、とりあえず落ち着いたみたいね」

「ああ、夢の中だ」

「ここにきた理由はあなたにお願いがあるから」

「そうかそうかなんでも聞いてやるぞう」

「子供扱いになった。まぁ、いいけどね。さて本題ですが、あなたも死んでください」

「やっぱりおれを迎えに来たのか」

「やっぱりって……今度は死神みたいな扱いね。もちろん冗談だけど、ある意味本当。死んだ事にして表舞台から消えて、ある事をやってほしいの」

「死んだ事にしないとだめなのか?」

「どちらかというと、個人的にはそっちが大事。理由は言えないけど」

「わかった、仕事ばかりであまりかまってやれなかったことを後悔したばかりだ、なんだってやってあげるよ」

「そんな、遊園地連れてってあげるよってレベルで答えられると、わたしの気が抜けちゃうわ、死ぬよりつらいかもしれないくらいの覚悟をしてください」

「わかった」

 もし、この人が未来の状態を知ったらどういう返事をしたのだろうと、ふと思った。

 誰かが死ぬと喜ぶ世界が来る、その前に死ぬ方が幸せではないのか、その世界に娘を向かわせてしまったことを後悔させてしまわないだろうかと……いや、もうここに居るのだ。

 そう、ただ会いに来た訳では無いことを、事の重さを、察してくれていると決めて、お願い事を話した。

 アリスの願い事はこうだ。

 宇宙人の侵略に対抗するための兵器開発工場を密かに作る計画だ。その工場や兵器は、当然、元の時間より前には存在が確認されていないから、元の時間まで見つかってはいけないということ。

 作業はすべてアンドロイド任せだが、材料の調達のみは必要になる、それに対処してほしいということ。

 これまでの事業で培ってきた人脈やルートは大きい。死人がうまくやるのも大変ではあるが・・・

 時間は三十年以上はあるため、場所と材料さえ確保できれば、アンドロイドを数人派遣すれば製造装置から作ることができる。膨大なエネルギーも必要になるが、未来の技術により自然エネルギーでどうとでもなる。



 二千四十五年、アリスは蘇生された。日本のある科学者の手によって。

 彼は、アンドロイド工学の権威で、アンドロイドの製造へ協力しながら、その技術を義体向けとしても提供していた。そんな中、スポンサーからの依頼によって、全身義体として脳を移植する依頼があったのだ。

 目が覚めた彼女は、殺されたばかりからのスタートであり、恐怖、怒り、そして、孤独感に加え、全く知らない環境におびえた。かしこい彼女も十二歳の子供だったのだ。

 それでも、やさしく接してくれたのがその科学者とその友人の女性、あと一人居た気がするが思い出せない。女性は材料分野の専門家で、一緒にいろいろな研究をしていた。二人は両親の代わりとして自分たちの子供の様に接してくれた。依頼主からの依頼事項だったのかもしれないが、そうは思えないほど愛をくれた。

 やさしく楽しい家庭は、恐怖も怒りも遠い記憶にしてくれた。父役はいつもふざけてばかりで、こいつ本当にすごい科学者なのかと疑っていたほどだ。母役はやさしくて、何かあればすぐに抱き着いてきた。足が義足で、同じだねと言ってくれた。

 いつからか二人を手伝うようになった。その時、二人は、アンドロイドの新型動力元の開発を行っていた。世の中の役に立つためという大義名分を持った趣味だと言っていた。その開発段階で、強力なエネルギー変換を可能にする媒体、さらに用途を変えれば時間移動まで可能な物質を発見したのだ。ただ、その物質は隕石から抽出されたものであり、その量は限られていた。量産には向かないが、新発見にとりつかれた様に三人は研究に没頭した。そんな時に彼らが来た。地球は地獄と化した。

 今回の計画が発案された時に、なぜか協力する条件の一つにアリスの同行を取り付けたのだ。アリス本人は断るが指揮する人間が必要だと言われて納得させられた。その際に、父を救う事を交換条件とした。

 他の犠牲者も救いたかったが、それは許されなかった。

 また、設備や他のアンドロイド達などの開発は手伝ったはずだが、未来の記憶はほとんど消されたのか思い出せない。送り出すために、脳を取り出し再度冷凍保存された。その際に記憶について何か施されたのだろう。


 アリスをタイムスリップさせた後、

「行けたかな?」

 父役の博士は、いつも自信満々なのに、この時だけは弱気だったかもしれない。アリス本人には見せられない姿だったろう。技術には絶対の自信があった。それでも、重すぎる目的、前人未到の行為、ましてや我が子同然の者がそれに向かうのだ。

「きっと大丈夫。

 願わくば、わずかな時でも幸せな時間を取り戻してください。

 そして、やつらが来る前に……逃げて……お願いよ、マザー、みんな……」

 母役は願い、不安にたえられず泣き崩れていた。

 父役は母役の肩を抱き、自分の弱気も払拭する様に言葉を発する。

「可能性は繋げた。信じよう」

「ええ」

 ここから、再会を待つのか、いや、再会しないことを祈るのか……



 アリスの話を聞いた父は即答する。

「必ず成し遂げよう。そんな試練まで背負わせてしまって」

 だが、また泣き出した。

「泣いててもいいけど、わたしは日本に戻らないといけないの」

「いつだ?」

「なるべく早くだけど、二、三日は娘やってあげるわ、生き返るわけにはいかないからこっそり」

「本当か」

「ええ、死ぬのも手伝ってあげる」

「それは嬉しくないが、うれしい」

「子供かよ」

「アーノルド、来て」

 小声でつぶやくとすぐにアーノルドが走ってきた。

「この人が彼氏か?」

「違うわよ、だからいないってば」

「そうか」

「見た目はいいけど、AIで動くロボットよ。ボディガードみたいなものと思って、ただ、知識、知能、運動能力、全部人間以上、そしてなによりもやさしい。だから、舐めない様に」

「すごいのだな」

「なんか、想像していた悲壮感が無くて拍子抜けだわ」

「そういうな。涙は止まらんぞ」

「ごめんなさい」

「それに嬉しい方が勝っている。また会えたのだ。守ってやれなくてすまなかった」

「わたしがここにこうして居るってことは、死ぬこと含めて運命ってやつだから、あなたに責は無いのよ。

 犯人は裁かれたと聞いたし、わたしは忘れるだけの時間を過ごし、経験しているわ」

 にこっと笑顔で答えた。


 次の日、父は悲しみを癒すためとの言い訳で別荘に籠ることにした。一人になりたいと言ってお供も連れて行かない様に計った。

 それから二日間親子水入らずの時間を過ごし、アリスが日本へ戻る日となった。午後十時の飛行機のチケットを用意してあり、その前に自殺の偽装を行うことになっている。

 新聞記事によると、一人でクルーザーに乗り沖に出て行方不明ということになっており、愛する娘の死を悲しんでの後追い自殺と断定されていた。であれば偽装工作の難易度は低いと考えていた。

 朝九時を回ったころ、父は来客だと言って入口を出た。アリスは今日は断った方がいいと思ったが、実質最後だから知人に会えるならそれにこしたことは無いとも考えた。

 別荘は庭も含めて広い、そして外壁と大きな木々で囲まれているため外から中は全く見えない。門から出入口までも数十メートルはあり、出入口の前は車寄せになっている。

 二階のテラスから隠れて遠目に眺めていたアリスは、そこに黒い大型セダンが止まっているのが見えた。父が車に近づくと、車の後部ドアが開き一人の女性が出て来た。見覚えがある、いや知っている、母だ。

「お母……さん」

 五年ほど前に母は家を出ていったはずだ、葬儀にも居なかった。父が、車の席から立ち上がろうとする母に手を差し出した時、母の手は父の手を握らず胸に伸びた。金属的な光が見えた気がした。父は手を差し出した格好のまま倒れ込んだ。すぐに運転席から男が出てきて車のトランクを開ける。

 テラスからではよく見えなかったが、父に何かが起こったことは分かる。

「お父さん」

 小さく声が出た。そして、すぐに向かおうとするアリスをアーノルドが止める。

「アーノルド、放しなさい。お願いだから放して。マスター権限の命令よ……」

 それでもアーノルドは放してはくれなかった。

「お父さん、お父さん、お父さん……、お父さん……」

 声は出しているつもりだが音は出ていない、車は少しづつ離れてゆき、そして悠々と門を出て行った。

 アリスは、はっとして、

「マザーね、どうして?」

 ――「わかっておられるのでしょう?」

 マザーの返答は、通信で送られてきた。アリスは、歯を食いしばり、顔は涙と怒りでぐちゃぐちゃだった。しかし、

「ええ、わかったわ」

 そう答えて力を抜いた。それに合わせる様にアーノルドが手を放す。

「アーノルド、ごめんなさい、あなたにも辛い役をさせてしまったわね」

 その巨躯の上にある顔を、涙目で見上げる。

「ついでに、少しの間だけ動かないで……」

 アリスは、アーノルドに縋りつく様にして泣いた。もう誰も居ないのはわかっていたし、音声の制限も解除されていた。だが声を殺して泣いた。嗚咽だった。

 自分の知っている父は自殺することなどあり得ないと思っていた。その理由を確認してしまった。油断していた、自分がこの時間に来れたことで、この作戦は運命に織り込み済みと勝手に認識していたのだ。

 自分を生んでくれた、育ててくれた、その大切な母をも狂わせたのは自分の死ではないかとも思えた。それは、運命の力を再認識させられることとなったのだった。もし、あの時飛び出していたら、取り返しの付かない結果となっていただろう。

 そして、だからこそ、将来を知っているがゆえに、何かが壊れてしまった愛する母が、これからの時間を幸せに暮らせる事を祈った。もう自分は何もしてあげられないのだから。

 自分の運命への怒りが膨らんでいくのを感じつつも、母への恨みは無かった。運命の非道さに流されている実感を持っている自分には、全ての事がひとつの事象としか思えなくなっていたのかもしれない。

「絶対に、未来を、人類を……救って見せる。そうで無ければ釣り合わない」

 そして怒りをあらたな決意に変えて立ち上がる。

「マザー、この結末は予想していたのでしょうね。でも、好きにさせてくれてありがとう」

 マザーの返事は無かったが、言葉をつづけた。

「大丈夫よ、怒りに任せて動いたりはしないから」

 一呼吸して。

「アーノルド、帰りましょう」

 いつものアリスに戻って声を出す。答える様に、傍らにただ黙って立っていたアーノルドがアリスを抱き上げて歩き出した。

「え? 歩けるわよ」

 アーノルドは前を見ていた。

「まぁ、いっか、じゃ日本へ」

 その時、マザーが言う。

 ――「あなたにもう一度会えたこと、それはお父上の一番の望、だからとても幸せだったのではないでしょうか」

 かけられた言葉は、先ほどの問いへの答えだろうか、確かに脳の冷凍保存は必死の見切り発車だったろうから結果が分かったのだ。

「うん」

 また涙があふれてくる

「もう、この機能ほんとにいらない。鼻水が出ないのが救いだけど」

 ぼやく顔の前に大きな手が現れた。そこにはハンカチが乗っていた。

「ありがとう」

 ハンカチへのお礼を口にしながら涙をぬぐった。ラベンダーがかすかに香った。

 アーノルドはさらにごそごそとポケットを探り、もう一枚のハンカチを取り出すとサングラスの隙間から目元にあてた。

「あなたって」

 アリスは少しだけ笑みをうかべ、アーノルドの頬を撫でていた。アーノルドはそのまま歩きだした。


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