ファントム現る
深夜、丑三つ時あたりだろうか、兵馬はふいに目を覚ます。ずっと眠り続けた反動か、そもそも睡眠があまり必要ないのか、ただ、枕が変わったなどでは無いだろう……。
部屋を出ると微かな明かりが目に入った。そのまま明かりの見えた方へ進む、寝ぼけているのか、それとも実は方向音痴か、教えてもらったトイレの場所とは違う方へと。
少し歩くと薄明かりの洩れている部屋が見えた。さらに進みその部屋の前に付くと、明るさは大きな天窓から入る月明かりであることに気付く。部屋の入口は開口されており、扉は非常時のみ閉まるのか横の壁にはまっている。間口の上にはHANGERと書かれたプレートが付いているが兵馬には意味不明のはずだ。
そして部屋のかたわらで自分を見つめる双眸に気付く、そしてその姿にも、
「うわっ」
兵馬は、つい驚いてしまったのだろう声をあげた。手は条件反射で腰にあるが目的の刀は挿していない。
「眠れないのですか?」
双眸が低く柔らかい男性の声で語りかける。
「あ」
兵馬は、少し間の抜けた声を出したと思った。
「はじめまして、わたしはファントム。番犬みたいなものです」
「なるほど、俺は兵馬」
何がなるほどなのか本人もよくわからず、とにかく名乗られて応じた感じだ。
ファントムと名乗った者は、理由は不明だが、恐竜、首長竜のような形をしているロボットだ。大きさは象くらいはあるだろうか。その金属的なボディは梨地の表面加工によって月明かりをにぶく散らしている。
部屋の広さはそこそこ余裕があり、隅にメグの使った車等が置いてある。
「以降よろしくお願いします」
ファントムは丁寧な口調で続けた。
「こ、こちらこそよろしく頼む」
兵馬は、とりあえず答えを返せた。
「やはり落ち着かないでしょうね」
「ああ、何を考えたらいいかわからないくらいに混乱している」
兵馬は、恐竜の言葉の使い方から、見た目によらないことがだんだんわかってきたのか少しづつ普通に話せる様になってきた。既に状況の異常さに麻痺していたのかもしれない。
「おまえはここで何をしているんだ、番犬と言ったが」
「周囲の警戒ですが、今は月を見ていました」
長い首を上に、月の方へ向ける。時間的にちょうど月の見える時間だったのだろう。
「ほう」
「この辺りは空気がとても綺麗なのです。だから、月も星もとても美しい」
AIにもわかるのだろうか。いや、美しさの基準も学習可能なのだろう。
「ああ、そうだな」
自分の時代ではもっと綺麗に見えていたであろうが、今は見上げた夜空の美しさをただ感じた。
「わたしが動ければお茶でもお出しできるのですが、申し訳ございません。 せめてこちらを」
ここちよい音楽が流れ始めた。静かなクラシックだ。
「邪魔してるのはこちらだから、気にしないでくれ」
ファントムが動け無いのは見張りだからと理解したかもしれないが、実際は駆動系が未完成のためである。
「邪魔ついでに、しばらくここに居てもよいか?」
「お気のすむまで」
兵馬はファントムの横に座る。
「ありがとう」
そのまま、一人と一匹?は静かに月を眺めた。しばらくして、
「やはり帰りたいですか?」
ファントムはやさしい声で問いかける。
「そうだな、今は……実はわからなくなっている。経緯を聞いて理解できてるかも判らないが、二人しかいない肉親も一緒に来た様だ。弟は当然探さないといけないのもあるが、俺が帰る理由はもう無いのかもしれん」
「弟様の捜索は我々が全力でお力添えいたします」
「助かる。ありがとう」
あての無い過去人としては本意であろう。
「そして、少し心がわくわくしている気がするんだ。見るものすべてが想像を超えていて、いろいろと知りたいと思い始めている」
ファントムが見上げていた首を兵馬に向ける。
兵馬は少しだけ間をとって続けた。
「いや、それもあるが、たぶん、彼女の美しさに惚れたのかもしれん」
「見た目だけですので? 女性は嬉しいでしょうが」
「ふ、お前は……面白いな……」
ファントムの姿が、人間では無い事が、素直な思いを吐き出せたのかもしれない。それでも、難しそうな表情になっていた。妹を失い、弟は行方不明の状態でのろけてる自分を恥じているのかもしれない。
「わたしが言うのもおこがましいのですが、あなたは、我々にとって必要な人間ではないかと思います」
ファントムは、これまでのデータに今の会話を加味して分析した結果ということだろう。
「なぜ…だ?」
兵馬は、少し眠そうに問い返した。
「とてもやさしい」
分析結果は意外と簡単にまとめられていた。
「そうでも…無いと…思う……が…あり……が……と…ぅ……」
答える声はだんだん小さくなり、ファントムの横腹にもたれて眠りについていた。やはり疲労は回復していないのだろう。
すると、部屋の外で様子を伺っていたメグが、静かに近づき兵馬を抱きかかえた。
「ありがとう」
メグはファントムにお礼をした。
「どういたしまして」
お互い様ではあるが、それぞれの役目を持っている二人、一人と一匹?、いや二体であった。
メグは格納庫を出て兵馬を部屋のベッドへ寝かせた。
「お大事になさってください」
寝顔に向けてささやき、顔を少しだけ見つめてから部屋を出た。
閉まった扉を背に、
「最初に出会ったのがあなたでよかったと思います」
胸のあたりに手を当ててつぶやいた。ほほが赤く染まっていたのは、照明の落とされた廊下では闇に紛れていた。
――「良かったわね」
言葉ではなく、通信データのみでマザーは伝えた。
その頃、アリスは、仮眠から目覚めベッドに腰掛けていた。抱っこした大きめのウサギのぬいぐるみを撫でながら、到着時からの情報を確認していたのだ。
そして、少し不機嫌そうにマザーに話しかけた。寝起きは悪いのかもしれない。
「ねぇ、マザー。メグの好感度パラメータいじりすぎじゃない? もう、デレデレよ」
先ほど良かったと伝えていたのも気になっていた。
「上昇値を加速しているだけです」
「だけ……か、自分だったら、他人の干渉はごめんだけどね」
「そうかもしれませんが、あの方は良い男です。おそらく匹敵する男子に巡り合う確率はそうとう低いと思われます」
「そうね学歴とか収入とかどうでもいいから納得だけど、それでいいのかしら」
「我々には時間がありません」
メグに三十年と言ったのは意味が違うのか。
「それを言われるとね。 実際、こっちきてから出たとこ勝負のノープランだし」
「そして、逆に好かれる必要もありませんから」
「誰でも良いってことよね、どんどんひどい話になってきた」
「既に動かしておいて恐縮ですが、まずは試しということでいかがでしょう?」
「わかったわ、正解がわからないなら可能性にかけましょう」
「申し訳ありません」
「謝る必要はないわ、あなたの最善でしょうから……
いつか、本当の意味でメグに詫びることができるかしら、結果に関わらず私たちが一番彼女を道具として見ている」
納得はしていないといった感じだが、代替案も無いから引き下がったのだろう。
「わたし自信は道具としての認識で満足です。おそらくメグも」
「わたしもだったわ……役目を果たす道具」
「皆、目的達成を目指しています、そのためなら全てが些事です」
「ほんとみんな良い子」
「それでも、あなただけは、あなたであって下さいませ」
「ありがとう、みんなでがんばりましょう。そして、わたしは人で在りましょう」
アリスは、そのまま横になった。
生身は脳のみでも、やはり疲れるのだろうか、また、すぐに眠りに落ちた。
いや、マザーがアリスをスリープモードに切り替えたのだ。
実際、栄養剤や薬品によって不眠にすることも可能である。
しかし、コールドスリープから目覚めたばかりなのに、気を張りすぎているのは分かっていたのだ。この管理機能、いや気遣いこそマザーと名付けられた所以であろう。それに、人に使われる宿命である機械には、人としてのアリスは大事な存在なのかもしれない。
アリスと違い、純粋に機械のアンドロイドたちは眠らない、いや眠る必要が無い。彼女たちは、兵馬の件で止まっていた本来の準備を進めていた。
「マザー、ここから引き継ぎます。ありがとうございました」
メグが持ち場に戻ったのだ。
アリス、マザー、メグ、レッド、指揮系統を明確に設定せず、皆が最善の行動をする。全員を一つの情報管理されたシステムとして運用していることもあるが、インターフェイスとしては個々の能力が重要なのだ。
「わかりました。では、わたしは、世界状況の把握と監視にもどりましょう」
「さて、後は外回りですかね。レッドさん、グリーンさんと外部の擬装をしてください。指示はレッドさんに任せます」
人の訪れ無い山奥であっても、なるべく目立たない様に隠す必要があった。
「ああ、人手が欲しい」
任されたレッドがお約束の様にぼやく。
タイムスリップの際に、どの様な状況だったのかは不明だが、ほとんどのアンドロイドにエラーがある以上かなりの負荷がかかったことが予想できた。アンドロイドであるがゆえに、量産型であればコストに見合った部品が使われる、そのためだろう。最初に起きた四人はスペシャル仕様なのだ。
「ブルーさんは、グリーンタイプを一人起こして、車両の点検をお願いしてください。私は観測用のセンサー類の設置に回ります」
「その後は、何かすることありますか?」
メグはブルーの視線まで腰を落としてから言う。
「では、お掃除をお願いします。昨日、わたしが外から戻った際にいろいろ汚してると思うので」
「わかりました」
ブルーは機能が家事に特化されていること、クライアントの要求仕様上非力に作られていたことなどから、現在用途があまり無いのだ。そう、彼女にはクライアントが居た。付けられた名前もある、サリミナと言う名だが今の状況で固有名は必要無い。
クライアントの要求は外見も然りで、エルフを思わせる尖った耳、青い髪、目は右が赤と左が黄のオッドアイなど、どれも未来のアンドロイド製造規格では使用禁止の仕様である。ただ、それ故にその美しさはメグ以上かもしれない。なお、背中の小羽根はブルーには無い、非力であるがゆえに効率よりも見た目重視ということで内蔵されたらしい。
ブルーは、指示された様にグリーンタイプのアンドロイドを起動するためカプセルのある部屋へ来た。カプセルの横にあるランプは緑なら異常無し、赤はなにかしらのエラー有りを示しているのだ。
元々は生身の人間も同行予定だったのか、または開発段階のチェック用か、視覚的、聴覚的な仕組みが多く取り入れられている。エラーについては、ハードに関する異常であり、戦闘モデルでは無い量産タイプ用の部品ストックは十分あるため修復可能ではあるが、作業の優先順位的に後回しにしていた。
グリーンタイプは主にメンテナンスを担当する個体で、視力等のセンサー類およびある程度の筋力の強化、手先の部品には精度が高い物が使われている。本来はファントム専属として存在しているが、今回、その他のメンテナンスや持ってきた車両関連の整備知識も持たされている。
「マザー、誰を起こせばよいでしょうか?」
ブルーはマザーへ指示を仰いだ。
「では、二十九番を見てみてください。右足が動かない様ですが工作室へ行ければ自分で治せるでしょう。
呼称はグリーンツーでお願いします」
個別名は元々無いのか、グリーンタイプでは二番目ということだろう。
「ありがとうございます」
ブルーは、二十九のプレート表記のカプセルの前に立つ。カプセルの蓋が開きドライアイスの様な気体が漏れる。中に、緑の髪の少女が寝ている。先に起きているグリーンとは髪形が少し違う。
ブルーは、緑の髪の少女の頭をやさしく撫でた。起こすつもりではないのか?
いや、起動方法の一つが頭を撫でることなのだ。緑の髪の少女は、ゆっくりと目を開けた。
「こんにちは、グリーンツーさん」
ブルーが声を掛ける。起動と同時に個体名含めある程度の情報はマザーから転送されている。
「こんにちは、ブルー」
緑の髪の少女は答える。そして、カプセルを出ようとするが、足に不具合があるためか一旦停止した。
ブルーが手を差し伸べ、それに捕まってなんとか立ち上がる。
「工作室までは一緒に行きましょう。お洋服は後で持って行きますね」
「お願いします」
二人は笑顔で会話してから移動していった。